【整いゆく舞台】
フィリアはドアの前で何回、深呼吸しただろうね。
なにせ思いっきり後ろ暗いから、緊張もそれに比してでかかった。
自然、深呼吸もしつこいくらいにすることになる。
ただねえ。
深呼吸はあまりしつこくやると過呼吸起こしたりして逆効果になるから諸刃の剣でもあるってのが難しいとこだよ。
でも、ま、結局はどうにか落ち着きを取り戻し、フィリアはドアをゆっくり開けた。
今度はイメージがやたら楽だったね。
頭に浮かべる対象が三人もいる上に、そのひとりひとりにそれぞれ常に気が向いてたのが正直なとこだったからさ。
アナトールへの後ろ暗さ。
カゾットへの心配。
フィリオへの、これまた意味が違う心配。
ドアを部屋に繋げるのが簡単な分、中の三人に対する緊張感が半端じゃない。
深呼吸してた理由の九割以上がこのせいさね。
だがこういうのはある程度勢いが大事だ。
心の中で(えい!!)って気合い入れて、静かにドアを抜けてゆく。
アナトールとフィリオの様子が予想通りだったのは、良かったのか悪かったのか、ここはなんとも言い難いね。
音も立てず、静かにドアを開けたのは確かだが、ふたりとも一切身動きせず、ただずっとベッドの上のカゾットを見てるだけ。
悪いほうに予測してた状況そのものだったわけさ。
恐らくはまるまる一晩。ふたりともこうして過ごしたんだろう。
カゾットは横になったままだったが、目は覚ましてた。
それをじっとふたりして見つめてるんだから、カゾットがもし正気だったらさぞかし気味悪がったろうね。
さて、悪いほうの予測とはいっても、予測してたってところが大事なことさ。
フィリアはそこからのシナリオはすでに整えてた。
「アナトールさん、フィリオ、朝食持ってきたわよ」
大きすぎず、小さすぎずのちょうどいい音量で、ふたりに声をかけたよ。
緩慢な動きだったね。ふたりとも。
まるでスローモーションみたいに振り返ると、生気の無い目をこちらに向けて、言葉を返してきた。
「……ありがとうフィリア。わざわざすまないね」
取り繕った笑顔浮かべて、棒読みみたいな台詞。
アナトールの疲労の度合いは相当だろうと察しはついた。
肉体的にも精神的にももう限界が近い。
少なくともフィリアにゃ、そう見えたね。
そして一方、フィリオはっていうと、これまた生気の無い目でこっちを見てる。
しかも無言だよ。
本気で(これはまずい!!)ってフィリアは思った。
なんとか急がないと、フィリオも引きずられて壊れる。
もともと精神力の強くないフィリオが、こんな特異な状況を長期間無事で過ごせるわけがないからね。
心の中の焦りは否が応でも増しちまった。
が、ひとまずは目の前のことをひとつずつ片付けるのが先決。
フィリアは持参した朝食の載った盆を昨日の晩、自分が座った椅子に置くと、
「さあ、ふたりとも食事だけはしっかりしてね。寝てない分、せめて栄養はとらないと」
そう言って、ふたりに食事を勧めたよ。
ある意味、こっからがフィリアの計算さね。
いかにもアナトール、フィリオともに食欲は無さそうに見えたが、こういう形で勧められちゃ、口にしないわけにゃいかない。
そして、人間はどんなに感覚が弛緩していも、麻痺していても、いざ欲求が満たされ出すと案外簡単に折れるのさ。
始めこそ目を覚ましたカゾットの口元に食べ物運ぶのにご執心だったアナトールも、自分も食事に手を出したあたりで様子が一気に変わった。
空腹と睡眠不足が重なってる状態で、空腹が満たされた時、まともに起きてられるやつはそういないんだよ。
案の定、アナトールは明らかにつらそうになってきた。
椅子に座ったまま、左右にぐらついて、目の焦点がてんで定まらなくなってさ。
いわゆる、睡魔に襲われるってやつだ。
見るからに、目を開けてるだけでもしんどいって感じになってきたところを見計らって、フィリアはこれ幸いとアナトールへ想定してた誘導を実行した。
「あの、アナトールさん。あたしカゾットさん見てますから、ちょっと横になってきたらどうですか?」
睡魔に半分意識をもってかれてる人間にとっちゃ、悪魔のささやきだね。
しかし、アナトールも思った以上に強情だったよ。
「申し出はありがたいよ。フィリア、本当にね。でもこれは私の義務だ。眠いから寝ますなんて、そんな単純には動け……」
「じゃあこの先、二日、三日、一週間、一か月って、ずっと起きてるつもりですか?」
理詰めのフィリアが本領発揮さ。
この流れに入ったら、もう止まらない。
「責任感じて、頑張って、無理して、それだけなら簡単ですよ。だけど、現実は長丁場なんですよ。意地だけでできることとできないことぐらい分かるでしょう。それに変な無理をして、アナトールさん自身が倒れたりしたら、それこそどうするつもりなんです?」
はい、まことにお見事。
反論の余地なんてまったく無しの正論だ。
こう畳み掛けられたんじゃアナトールも、ぐうの音も出なかったね。
少しの間、動かない頭を無理に動かして考え込むと、乾いて充血した目をフィリアに向けて、言ったよ。
「そうだね……やみくもに無理をしてすべて台無しにでもしたら、それこそだ。お言葉に甘えて、私はしばらく休ませてもらうよ。でも、何かあったら……」
「すぐ呼びます。何かあったら真っ先に。だから安心してください」
「……ありがとう」
ここまで言われちゃ、もうこれしか言えないね。
で、そのままドアへ向かった。
ふらつく足取りで。
分かりやすい弱り方だったよ。
一晩座り続けていたせいで、全身が固まっちまって、ろくに足が動かない様子だった。
だが、ひとまずはドアを開け、自分の部屋へ向かったらしい。
変な心配があるとすれば、アナトールはあの弱りようでも、ちゃんと自分の部屋へドアを通じさせられたのかってことかね。
まあ、とにかくアナトールは去った。
後に残ってるのは、生気の無い目をしたフィリオと、まだ眠ってるカゾット。
どうやらアナトールが部屋へ戻ってくる心配は杞憂だったみたいだが、ひとつずつ慎重にってのは大切さ。
一回でもしくじればそれでパーだからね。
注意してしすぎるってことは無い。
まずひとつ目をクリア。
次はふたつ目。
さあ、久しぶりに姉弟水入らずでお話の時間だ。
フィリオも疲労はピークだろうが、そこを今は構ってる場合じゃないんでね。
悪いがふたりともそれぞれに踏ん張って話をしな。
ここがまさしく正念場さ。
きっちりと話をまとめなよ。




