蝮は親の腹を食い破って生まれるという迷信
「どいてください」
「アステリア」
左咲佐奈子が、恐れる子供を押しのけた。
暗赤色のドレスをまとう紬実佳ことトゥインクルスターと精霊・蛇遣座を発現した佐奈子が対峙し、佐奈子が激しい憎しみを露わにしてトゥインクルを睨む。
「こんな女が、好きで好きで忘れられなかったなんて……」
殺したい、と思うほどの強烈な殺意を、佐奈子が生まれて初めて抱いた。
佐奈子は大多数の男から恋慕を寄せられる容姿の持ち主であり、男から告白されたことなど吐いて捨てる程ある経験から、誇りはしないが優れた容姿を自覚している。対するトゥインクル、つまり紬実佳は幼い外見であり、可愛くはあるものの佐奈子に比べたら劣っている。
佐奈子から見て紬実佳は、少し可愛い程度の褒めるべき点がない女だった。しかし、そんな女が彼の心をつかんでいる。これは佐奈子にとって堪え難き屈辱だった。
彼は佐奈子が並み居る男を捨てて選んだ男だ。その彼を手に入れた紬実佳を、佐奈子は女として殺したがっている。
「アステリアよ、やれい。その女八つ裂きにして、姿形消え去るほどにすり潰せ」
子供が後ろから佐奈子に命じる。だが、
「黙っていてもらえますか?」
「……なに?」
佐奈子が子供に口を閉じるよう要求した。
ふてぶてしい態度の佐奈子に、子供が当然不快を表す。
「アステリア、おぬし、誰に向かって」
「黙れ、って言ってるんです。言われなくてもそのつもりですから」
「……おぬし」
「あなたはそこで大人しく見ていてください。この女だけは、私がこの手で殺します」
背を向けながら告げる佐奈子に子供がたじろいだ。
佐奈子は変わった。彼にふられ、彼に復讐を誓った佐奈子は、その憎しみによって秘めし力を呼び覚まし、これが子供の想像を遥かに上回る力であったために子供は驚いている。
出来はよくない、などと佐奈子を侮っていた子供。事実そうであったのだが、実は佐奈子はアリマニドの素材・トゥルーダークマターにかなり適した身体の持ち主であり、憎しみという負の感情が彼女をアリマニドと密接に結びつかせ、覚醒へと至らせた。
今や無限と言っても過言ではない力を佐奈子は手にし、彼はおろか子供ですら手を焼かせる実力を備えている。なお、覚醒するまで頼りなかった点では、佐奈子は紬実佳と似ていると言える。
「うわっ、ぐっ!」
「あっ、鈴鬼くん!」
佐奈子が対峙するトゥインクルを回り込むように彼へ蛇を放ち、これに彼が巻き付かれた。
身動きできない彼が、力づくで蛇の拘束から逃れようとする。しかし、今の佐奈子の力は彼を大きく上回る。彼がいくら力を込めても抜け出ることはできず、
「コシロウ、特等席で見せてあげる。あなたが忘れられないって言う女が、醜く無様に死ぬところを」
そんな彼に佐奈子が言い渡す。
「鈴鬼くんに、なにをするの!」
トゥインクルが拳を暗黒に染めて佐奈子に殴りかかるが、この子供を怯えさせる拳を佐奈子が軽く受け止め、
「失せろ!」
「はうっ!」
「庚渡さん!」
そして佐奈子が衝撃を放ち、吹っ飛ばされたトゥインクルに彼が叫んだ。
地べたを転がるトゥインクル。これに子供が、
「ほほっ。やれいアステリア! その女さえいなければ、もう余に恐れるものはない!」
手を叩いて佐奈子に命じる。子供は何度も言うがトゥインクルに一度打ちのめされており、心に植え付けられた恐怖心を除ける希望に歓喜する。
しかし、子供は分かっていない。かつての戦国時代、美濃の蝮と恐れられた斎藤道三は、自身を取り立てた人物を殺害した上に主君を他国に追放している。
佐奈子が振り向いて蛇を放つ。そして、
「うがっ!? アステリア、何を!?」
彼に続いて子供も拘束する。
「黙ってろ、って言ったでしょう?」
「こっ、このっ」
「あなたはコシロウを痛めつけた。この行い、私が黙っていると思いましたか?」
「ぐっ……」
「あなたにはもう従いません。この力があれば、私は何でも、そう、コシロウの心も……」
佐奈子が妖しい笑みを浮かべて語り、それに呼応して下腹部に宿る黒い玉が静かに鼓動した。
彼をいたぶる子供に、初め佐奈子は「私を捨てて、いい気味」と笑っていた。しかし、憎んでいても好きな男は忘れられず、彼を弄ぶ子供の後ろで佐奈子は子供に対しても殺意を抱いていた。
彼に愛と憎悪という対極の感情を抱く佐奈子。そんな彼女はもやもやしている。佐奈子は子供が彼の黒い玉を取り出したとき、彼の黒い玉を奪おうと駆け出していたが、それを紬実佳に先んじられている。
子供に忠誠を誓っていた佐奈子だが、覚醒してからは変わった。そして彼を痛めつけたことで既に見切っている。紬実佳を殺したら子供も始末し、彼を無理やり我が物にしようと企んでいる。
「あなたも、鈴鬼くんのこと……」
立ったトゥインクルが、佐奈子の歪ながらも彼に寄せる好意に勘付いて訊く。
佐奈子は答えるわけがない。目の前の女は真に憎く、真に殺したい女。この女がいなければ――、と目を大きく剥いた佐奈子が、
「お前だけは、この手で! この手で殺してやる!」
トゥインクルに襲い掛かり、怒りの形相で右腕を振り上げた。
佐奈子が振り払った右手。その五つの指の先にはとても鋭利で長い爪が備わっており、それを以て佐奈子がトゥインクルの顔に爪を立てんとする。
トゥインクルが左腕を上げて爪を防ぐ。だが、防ぐということは腕を盾にしたという事。上げたトゥインクルの左腕に佐奈子の爪による引っ掻き傷が付けられる。
傷を付けたことで佐奈子が一旦下がる。そして、
「腐れ」
呪いの言葉をトゥインクルに吐きかけると、
「……えっ。あっ、ううっ」
戸惑うトゥインクルが腹を押さえて跪いた。
今トゥインクルの身体には異変が起きている。吐き気を覚えるほどの気持ち悪さを腹から感じ、高熱を患ったような寒気に襲われ、毛穴という毛穴から熱い汗が噴き上がるように生まれている。
目の裏から重い痛みまで感じ、あまりの不調にうずくまったトゥインクルが左腕に視線を移すと、なんと引っ掻かれた左腕の所々が黒ずんでいる。しなびたように皺を刻む黒ずんだ肌は、例えるなら死人の肌のようであり、自分の体に何が起きているのかと、トゥインクルが混濁する意識の中で愕然とする。
そして、逆流する内容物に我慢できなかったトゥインクルが、
「うっ、うえぇ……」
胃の中にある物を全て吐いてしまう。
涙を浮かべながら息を整えるトゥインクルの髪を、
「爛れろぉ!」
「あうっ!」
つかんだ佐奈子が、トゥインクルの顔を長い爪で引っ掻いた。
痛がるトゥインクルに佐奈子がその優れた容貌をゆがませる。そして自身のドレスから手鏡を取り出して放る。
吐瀉物の上に放られた鏡。それにトゥインクルが目を移すと、鏡は鼻の先と右の瞼、右頬が黒ずんだ顔を鮮明に映し、
「えっ。いやっ、やだああああっ!」
トゥインクルが醜く変わった自身の顔を目にして堪えられずに泣き伏せた。
佐奈子が宿す精霊・蛇遣座。言わずと知れた黄道を通過する星座をモチーフとしており、黄道の精霊として数えられてなくとも、その力は黄道の精霊に匹敵、場合によっては上回る力を持つ強化支援プログラムである。
蛇遣座はまさに死を呼び寄せる。病に罹らせる力を有しており、かつて黒死病と恐れられたペストに似た症状を傷付けた者に引き起こす。
「庚渡さん!」
「やだあっ! 見ないで鈴鬼くん!」
彼が泣き叫ぶトゥインクルを心配するが、そんな彼をトゥインクルは拒否する。
トゥインクルは恐れている。醜く黒ずんだ顔を彼に見られ、彼に嫌われることを極度に恐れている。
泣きじゃくるトゥインクルの髪を、佐奈子が再びつかみ、
「ふふっ、見てコシロウ。あなたが忘れられない女の、この醜くて汚らしい顔」
持ち上げて黒ずんだトゥインクルの顔をさらして辱める。
「庚渡さん……」
トゥインクルの可愛らしい顔が、佐奈子の言うとおり黒ずんでおり、これに彼がショックを受ける。
言葉を失って茫然とする彼に、
「どうコシロウ? こんな汚らしい女のことが、まだ好きって言える?」
佐奈子が問うが、
「あたり前じゃないか! なんも汚らしくなんかない!」
すかさず彼が言い返し、この言にトゥインクルが目を見開いた。
彼が自身の顔を引き合いにして変わらぬ愛をトゥインクルに誓う。
「そんなこと言ったら、僕なんて火傷塗れでとても見られたものじゃない。そんな僕の顔を見て彼女は、好きって言ってくれたんだ」
「鈴鬼、くん……」
「庚渡さん! 僕は君がどんな姿になろうと大好きだ! だから泣かないで!」
彼の告白と激励にトゥインクルが感涙し、そんな二人に佐奈子が激昂した。
トゥインクルを突き倒した佐奈子が、――どうしてこの女を気に懸ける、どうしてこの女ばかりを見ている、と憎みながら広げた右手を真上にかざすと、空に巨大な剣の如き形の岩の塊が現れた。
巨岩はトゥインクルに剣先を向けている。この光景に彼が、
「庚渡さん!」
逃げるようにトゥインクルの本名を呼ぶが、
「さあっ、貫けぃ!」
佐奈子が怒りに満ちた形相で右腕を振り下ろし、剣の如き巨岩をトゥインクルへ落とした。
不調で逃げられないトゥインクル。――だったが、
「ううっ!」
突如として発光したまばゆさに佐奈子が目を背ける。
間もなくして光が収まり、佐奈子が視線を戻すと、そこには黄色いドレスを着て、醜くしたはずの顔が元に戻っている憎い女が立っており、
「な、なんでっ!?」
驚愕する佐奈子。トゥインクルが自身を潰さんとする巨岩を両手で受け止めた。
潰されまいと腰を落としてふんばるトゥインクル。この姿に彼が、
「庚渡さん、負けないで!」
あらん限りの声で応援すると、
「倒れるわけにはいかない!」
呼応するかの如くトゥインクルが吼える。そして、
「私には、彼と一緒に行きたい場所がある! そこに辿り着くまで倒れるわけにはいかないの!」
その小さな体が巨大な岩の塊を投げ飛ばした。




