#7 助けることに理由など無い
一時間ほど遅れてしまいましたが、なんとか間に合いました(?)
毎日更新がこんなに苦しいとは思わなんだ……。
マリアンは事情を尋ねるのも後回しに、戸口から退いた。テーブルの上の物を腕全体で押しやって空けると、そこを寝台代わりにミミンを寝かせるよう指示する。彼女は部屋でひとつだけ灯されていたランプを掴むと、壁や天井に吊るされた空のランプに火を分けようとしたが、すぐに村長が「薬師さんはミミンを診とくれ」と代わってくれた。
「夕方、ミミンがいきなり倒れて……、痛いって呻きだして……! 脚と腕に痣が……」
シャルはミミンを背から下ろしながら、泣き声混じりに訴えた。
彼女の言葉通り、ミミンの脚は膝下までほとんど正常な肌が見えず、青黒い痣に侵されていた。腕は、斑点が散ったような痣と、肘の上へと伸びる線状の痣が混在している。痣の表面がうねるように、青黒い波紋がゆれる。
「マリアン、ねえ、ミミンは……これは……不治の病なの……? 不治の病の痣……? 違うわよね?」
マリアンの袖を、シャルが掴む。マリアンは彼女を見ることもなく、触診を続けながら答える。
「これは、瘴気の痣です」
言い切りつつも、マリアンの顔は強張っていた。不治の病であるからではない。彼女の知る不治の病と、目の前の症状は違っていた。
今のミミンの状態は、発症から何ヶ月も経った重篤な患者と等しい。しかし、今朝、沢で見たミミンの手足には痣など一つも見当たらなかった。
マリアンが顔を寄せると、ミミンがうっすらと目を開けた。「口を開けられる?」かすかに開いた口から、喉奥を確かめる。
腫れはない。しかしそれこそおかしかった。不治の病の最たる症状は、痣より先に喉に表れる。
不治の病は、瘴気を含んだ風が原因だ。瘴気を吸い込むから、まず喉がやられる。そして瘴気が体の内側で巣食い、全身を侵し、それが痣となって表れる。痣はあくまでも末期の症状だ。人を死に至らせるものは痣の痛みではない。マリアンが施療院で診てきた患者も、いつも息ができずに死んでいった。
腫れも、咳も、痰もない。痣の進行も早過ぎる。ならばこれは、瘴気の風を吸い込んだ通常の不治の病ではないのかもしれない。隣の診察室で寝ている騎士の男の、腹の傷のような――いや、しかしミミンにはそんな傷は――。
「で、でも、止められるのよね!?」
マリアンは腕を強く掴まれ、思考を中断させられた。
シャルが叫ぶ。
「マリアンっ、症状を抑えて進行を遅くする治療を施療院でしてたって話してたでしょ!? すぐ治せなくてもいい! 薬で抑えてさえくれれば、ミミンも楽になるし、教会に連れていければ不治の病を治す儀式も――」
「シャルロット」
村長が静かに名を呼び、シャルを止めた。皺だらけの両手を強く握りしめる
「無理なんじゃ……。儀式で"完全な聖水"を作ってもらえるほどの金は、うちには……」
「じゃあ! 村のみんなにも話して、お金を集めればいいわ! 皆だって話せば分かってくれるでしょ!?」
「金貨百二十枚じゃ」
「……え?」
「領主様が、甥の病を治すために教会に寄進した額じゃ……」
部屋に沈黙が落ちる。
目だけを震わせて固まっているシャルに、マリアンは重い口を開いた。
「シャル。不治の病の進行を抑える薬は、ここでは作れません。施療院で使っていた薬も、"完全な聖水"ではないにせよ、聖水を原料にしているんです」
「じゃあ……じゃあ、何……? ミミンを治せる薬は無いの……?」
ひどく細い声だった。
マリアンは、答えられなかった。はいともいいえとも答える勇気がなかった。
「……シャルねえ……」
聞こえてきた微かな呼びかけに、消沈していたはずのシャルがすぐ動く。幼いミミンに駆け寄り、テーブルに寝かされたままのその小さな頭を抱き込んだ。「大丈夫、大丈夫だから」ミミンかそれとも自分自身を励ますように、そう唱えていた。
その光景をまざまざ見せつけられながら、マリアンは迷っていた。
薬は、ある。薬棚に残ったわずかな薬材、それを使えばあと一回分、すくなくとも瘴気の痣をわずかでも減退させられる。減退という点で、進行を遅める程度でしかなかった施療院の薬よりも効果はあるだろう。しかし完治には継続的な投薬が必要だ。薬材を運んでくる行商人はいつ来るかわからない。それまで幼いミミンの体力で保つかもわからないし、そもそもミミンの瘴気の痣は異様に進行が早い。ならば、より確実性の高い、騎士の男に薬を残すべきだ。大人の体力がある彼ならば次の薬まで保つ可能性もあり、教会騎士という身分ゆえに教会から"完全な聖水"を下賜される可能性だってある。完治の可能性がいくらでもあるのだ。より確実に救えるほうを救うべきだ。物資がないなら、なおさら。
そして、なにより――ミミンに不治の病を治せる薬を使うということは、マリアンが魔女であることを示すことでもあった。
薬で瘴気の痣が縮まるのを目の当たりにすれば、シャルも村長も喜ぶだろう。行商人が間に合えばミミンも完治する。その事実はきっと隠せない。いつか必ず村に広まり、隣の町へ、そして教会へ届く。理外から生じた不治の病を治せるのは、神の水だけ。それ以外で治す術があるならば、同じ理外の力だけ。マリアンが魔女であると教会が悟るのは当然の帰結となる。
助かる可能性の低いミミンを、自身の危険を冒してまで助ける理由は、無い。
『そうだ。助ける理由など無い』
思考を読んだように、蛇の悪魔が言った。声のする方を見上げれば、壁のランプの笠の上に、周囲よりよほど暗い影が揺蕩っていた。
そこから、視線をゆっくりと下ろしていく。シャルがミミンの手を握り、ミミンは弱々しい声で何かを話している。
「シャルねえ……、ミミンも、お花の馬車にのれる……?」
「お花の、馬車?」
「ママとパパも……のってっちゃったから……。ミミンものれば、ママとパパにあいにいけるかな……?」
「それ、は……」
シャルが言い淀む。村長の白い髭に覆われた顔も曇るのがわかった。
すると、ミミンが寝たままこちらを見た。細い息を繰り返しながら続ける。
「せんせ……せんせのクッキー、まだ、はんぶんしか食べてないの……」
「……」
「あのね、よっつに割ってね、昨日と今日で、ふたつ食べたの……。でも、まずいから、のこりは、おうちのヤギさんにあげていい……? あした、ヤギさんにあげるね……」
ミミンが笑う。
冷水をかけられたように、それまで混沌としていた頭の中が静かになったのを感じた。
「――だめです」
マリアンはミミンのもう一方の手を握った。
「明日も明後日も、ちゃんと食べてください。わたしの薬膳クッキーは美味しいので!」
ミミンはしばらく細い息を繰り返していた。しかし、へにゃ、と弱々しく笑って、まずいよぉ、と返した。
マリアンも笑い返した。しかしすぐに笑顔を消し、シャルを見る。
「ミミンちゃんをこのまま見ていてください。薬を調合してきます」
彼女の突然ふっきれたような声と目つきに、シャルは困惑した。
「でも、治せる薬も、病を抑える薬もないんでしょ……?」
「大丈夫。必ずなんとかします」
シャルの目を見て、まっすぐに力強く応える。しかし彼女が応じる時間を待つのも惜しく、マリアンはすぐに体を起こした。
「薬が出来るまで少し時間がかかります。それまではミミンちゃんの手を握って、気力を持たせてくださ――」
言い終えるところで、マリアンは木板が軋む音を聞いた。マリアンだけでなく、シャルや村長もその音の方向を見る。
土間の奥、隣の診療室へ続く廊下の入り口で――柱に男が寄りかかった。
上裸の腹に包帯が巻き付けられ、ぐったりと柱に体を預けている。乱れた藁のような髪の下で、焦点の定まらない目がゆっくりとこちらを捉える。
診療室で寝ているはずの、あの、騎士の男だった。




