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#5 鼠害。闇から来るもの

 風車小屋は水路沿いにあった。水路はそのまま小屋の脇を通り越し、村を抜ける。奥のライ麦畑にも水を通すためだ。

 小屋の周辺にはすでに村人が集まり、作業に当たっている。男たちは小屋から麦袋を抱え出して、女たちはそれに穴がないか確認する。ひとところに集まって袋を繕い直す若い娘たちは、日頃の手仕事の延長のようにおしゃべりに花を咲かせている。

 だが、少し離れたところで立っている男たちは、難しい顔を突き合わせている。


 男の一人が、マリアンたちに気づいて手を上げた。



「戻ったか、テオ。おお、マリアンさんもいるのか」



 その声に、他の屈強な男たちもこちらを見た。年長の木こりが数人。そして彼らの体にすっかり隠れてしまっていたが、猫背の村長がいた。村を仕切る者が勢揃いしている。

 マリアンと目が合えば会釈し合うも、彼らはまたすぐに顔を見合わせ話し込んでしまう。


 村長が杖をつきながら、男たちの外側を回り込んでやってくる。



「テオ。孫たちへのお遣い、引き受けてくれてありがとうのう。サンドイッチ、喜んどったか?」


「ええ、まあ。あの、サンドイッチって三つでした?」



 思いもしない質問だったのだろう、村長が首を傾げて止まる。もちろんマリアンも硬直した。



「はて? たしかに儂は四つ――」


「ああっ! そ、それよりっ、鼠が出たと聞きましたがっ!?」



 突然大声を出した彼女に驚いて、二人の会話が止まる。

 そしてその声は、村長の後ろの男たちにも届いていた。さきほど真っ先にマリアンたちに声をかけた男が、こちらを見た。村長の次に年老いているが、未だ現役とわかる屈強な男、木こり長だ。毛のない頭皮が光り輝く。

 彼は丁寧に説明してくれた。



「棚に載りきらなくて床に置いてた麦袋がやられちまってな。ここ数年、鼠の被害なんてなかったんだが」


「そうなんですか?」


「ああ。前は鼠なんて茶飯事だったが……ここ三年くらいかなあ? ちょうどマリアンさんが山に住み始めた頃か。蛇が増えて、鼠を食ってくれるようになったから」


 マリアンの口が、巾着の紐を引き絞るようにきつく結ばれる。


 すると、ちょうど、風車小屋から手ぶらの男が出てきた。風車小屋の前から、木こり長たちへ向かって叫ぶ。



「床の糞も凄い量だ! こりゃあ、五、六匹なんてもんじゃねえぞ!」



 木こり長も他の男たちも、ため息をついてしまう。

 長く吐き出されたため息やその後の沈黙から、面倒事にほとほと困り果て、気疲れしているのが伝わってきた。



「まあ……とりあえず……鼠捕りでも置くか。どこに仕舞い込んだ?」


「どこだったかなあ」


「しゃあない、探しにいくか。……テオ! おまえは戻って、川近くの納屋のほうを見てこい」


「ああ!? また戻るのかよ! しかもオレのが遠いじゃんか」


「若いんだから文句言わず行け。ほら」



 しっしっ、と木こり長が手で払う仕草をする。テオは面倒くさそうに歯を剥いたが、来た道を戻っていった。



「あとは餌か。毒でも混ぜるか?」


「やめろやめろ。小屋の中で毒餌を散らかされてみろ、麦粉が全部駄目になる」


「でも鼠捕りだけじゃ捕まらんだろう」



「あの。もしよければ、忌避剤を作りましょうか」



 恐る恐るマリアンが発言すると、屈強な男たちの視線がいっせいに集まった。男たちがでかいからか、それとも威圧感に怯んだせいか、自分の体が縮んだような気持ちになりながら、マリアンは言葉を続ける。



「ね……鼠を殺せるほどの毒は、当然、わたしたちにも有毒です。麦粉を保管する小屋には使えません。でも、忌避剤なら、人間には無害な唐辛子や香草でも作れますよ」



 説明しながらマリアンは背負っていた薬箱を地面へ下ろした。さっそく薬材や道具を取り出して、調合の支度を始める。



「たしかに、唐辛子なら麦粉に混じっても平気だな! しばらく辛いパンしか食えなくなるが」


「辛いのは困るのう……」村長が白ひげを撫でながら嘆く。



「いや、待て」



 この場にいる中では比較的若手の木こりが、口を開いた。



「鼠が風車小屋に寄り付かなくなったら、今度は家に来るだろ。もう風車小屋近くの家は何軒か鼠に入られてるぞ」


「なら、誘引剤と併用しましょう」


「誘引剤?」


「そうです。鼠捕りには誘引剤を、寄り付いてほしくない食糧庫や家には忌避剤を。うまくいけば、鼠を罠に集められます」


「それなら、まあ――」



 そこからマリアンは彼らと鼠対策の相談を進めつつ、片手間に薬の調合を進めていった。

 相談も一区切りつくと、男たちがそれぞれ、鼠捕りや餌の調達、麦袋の運び出しの手伝いに散っていく。村長も風車小屋の様子を直接確認しに向かった。

 その場には木こり長とマリアンが残り、薬剤の完成を待つ。


 すると、男たちが散るのを見計らってか、袋を確認していた女衆の中から、恰幅のいい女が大股でやってきた。



「長。食われた袋に入ってた麦粉はどうする? 全部捨てるかい?」


「あー……鼠が食った後だからな……。罠のまわりに置くやつだけ残そう。ほかは捨てるしかねえだろう」


「ええーっ! もったいなーい!」



 よく通る声で抗議したのは村娘だった。

 恰幅のいい女が作業場を離れたからか、そこに便乗して休憩しようとしたのだろう、村娘たちがわらわらと寄ってくる。


 木こり長はそこまでの真面目な調子を崩され、毛のない頭皮を掻きながら唸った。



「だあ、もう、仕方ねえだろう。鼠がおかしな疫病でも運んできてたらまずい」


「あ〜! 不治の病とか?」

「不治の病って、鼠が運んでくるの? 瘴気の風が原因って話じゃなかった?」


「軽々しく不治の病なんて口にするんじゃないよ」



 村娘たちの黄色い声をぴしゃりと止めたのは、老婆だった。皺だらけの顔は険しく、村娘たちを睨んでいる。



「不治の病は、アーリア様の奇跡でしか治せない呪いなんだよ。普通の病じゃないんだ。軽々しく口にするだけで、"闇"から悪魔がおまえらに瘴気を運んでくるよ」


「また始まったよ……」



 村娘のうち、誰かが呟いた。


 老婆の耳にもその声は届いた。垂れた瞼のせいでわずかしか開かない目を吊り上げて、彼女は村娘たちに詰め寄る。



「瘴気も悪魔も、闇からやってくるんだよ! アーリア様のお力がなけりゃ、悪魔や魔女どもがうじゃうじゃと――」


「まあまあ、婆さん。そんな脅さんでも」



 木こり長がやんわり止めに入った。

 だが、老婆は彼をも睨みつける。



「脅しなんかじゃない。ほんとのことだよ」


「それはわかってるが、でももう昔とは違うんだ。慧眼の騎士が来てからこの第17大教区も平和になった。あんまり若いのを脅すな」


「甘いね。魔女も悪魔も、いくらでも湧いてくるよ。……あんたらも、油売ってないで仕事に戻んな!」



 嗄れた声で怒鳴りつけた老婆は、最後にはまた村娘たちを睨めつけた。

 場はしんと静まる。遠くで作業している女たちも心なしか、黙々と手を動かしているように思えた。


 村娘たちはしばらくコソコソ話していたが、老婆がずっと動かず睨むので、渋々と動き出した。一人の村娘が「マリアーン! 後でウチ寄ってね!」と手を振ったので、マリアンは気まずさを覚えつつも手を振り返す。娘たちが作業場に戻っていくのを見届けて、老婆も踵を返す。


 騒ぎが収まったことで気が抜けたか、木こり長がため息をつく。



「婆さんはいつも大袈裟なんだよなあ」


「そうでもないですよ」



 マリアンは薬草を擦る手を止めずに、視線も手元に落としたまま静かに言った。



「不治の病は瘴気が原因です。瘴気は世界の外――理外(りがい)から生じるもの……。現状の薬学も医学も役に立たない。薬学も医学も、この世界の(ことわり)のものですから」


「薬学が役に立たないなんて、あんたがそんなこと言っていいのかね」



 まだ木こり長の横にいた恰幅のいい女が尋ねてきた。いつもは豪快に振る舞う彼女には珍しく、窺うような声音だった。


 マリアンは顔を上げ、微笑んでみせた。



「治せないものを治せないと認めるのも、わたしの仕事ですから」


「じゃあ結局、不治の病を治せるのは、この世界を作った女神サマか、瘴気とおんなじ闇からやってくる悪魔か……あとは悪魔と契約した魔女くらいなもんか!」



 暗い空気を切り替えようとして、女が声を張る。


 木こり長は腕を組んで、ため息をついた。



「魔女は人助けなんざせんだろう。あいつらは災厄しか起こさん」


「はははっ、それもそうだ! ……ああ、そうだ。それで捨てる麦粉の話なんだけどね――」



 また、麦粉や風車小屋の話に戻っていく。次第にその場の空気も戻りつつあり、村娘たちの談笑も聞こえてきていた。


 「魔女」という単語が出たとき、マリアンの手元が一瞬だけ止まったことは、誰も気づかなかった。





 その後、マリアンは出来上がった薬剤を木こり長に預けると、ようやく往診のために家々を周り始めた。

 その道中。彼女の耳元で蛇の悪魔が笑う。



『治せないことを認める、か。しかし伴侶よ、おまえは不治の病を治す薬を作れるというのに』


「不治の病――瘴気の痣を治せる薬は、あなたの力を借りている時点で、薬学とは言えませんから」


『ほう。薬学とは言えない、理屈も理解しないものを患者に使っていると?』



 応えようと開いた口元が、何を言うべきか迷うようにそのまま閉じられる。マリアンは薬箱の肩紐を握りしめ、靴先を見ながら答えた。



「……それで、人を助けられるなら」


『クククッ……』



 悪魔はそれ以上、煽ってはこなかった。



 次の家は、村の倉庫番の青年が住む家だった。しかし、彼は患者ではない。


 マリアンは村に定期的に訪れる行商人から薬材を仕入れている。とはいえ行商人が来たときに必ず彼女も村にいるわけではないので、倉庫番の青年に事前にお金を渡し、行商人から必要なものを買ってもらっているのだ。


 倉庫番の青年は快く出迎えてくれた。しかし、なにがあったのか、すぐに申し訳なさそうに眉を寄せてしまう。



「――え。行商人さん、来てないんですか?」



 まさかと思いつつ、マリアンはもう一度確認する。血の気が引いていくような寒さを感じた。



「ああ、いつもなら昨日あたりには来てるはずなんだけど……一昨日の雨のせいかな。それとも、もっと手前で足止めを食らってるのかも。最近は領主様が隣の領主と揉めてるって話もあるし、そのせいで街道が通れなかったりもするらしいから」


「そんな……。行商人さんが持ってきてくれる材料が無いと、薬が作れないのに」


「急を要する物? 隣町で手に入るものなら、走って買ってくるけど。マリアンさんが困ってるって言えば、村長も馬を貸してくれるだろうし。明日には戻ってこれるよ」


「いえ、あれは行商人さんが遠くから仕入れてくれるものなので、隣町にも無いと思います。……大丈夫です。どうにかします」



 マリアンは懐から金貨袋を取り出し、金貨を一枚置いていく。



「一応、追加で置いていきますね。行商人さんが来たら、多めに買い付けをお願いします」


「うん、わかった。……そんなに落ち込まないで。ちょっといろいろ重なってるだけだから、行商人もきっとすぐ来るよ。今は昔と違って、道中で死体になってるなんてこともないしさ」



 元気づけようとしてくれているのは分かるのだが、なかなか茶化し方が恐ろしくて、マリアンの口端が震えてしまう。

 あまりウケなかったことに気づいて、倉庫番は「ごめん。慣れないことは言うもんじゃないね」と眉を寄せつつ笑う。

 そこでようやく、マリアンもなんとか笑い返した。

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