#3 ミミン、クッキー、蛇ィ!
植物で溢れた土間。床にも壁にもびっしりと鉢植えが並ぶ。粗末な木製のテーブルと椅子が窮屈そうに、土間の中心に置かれていた。
マリアンと幼い女の子が向かい合って丸太椅子に座っている。女の子の後ろで、背の丸まった老人が心配そうに見守っていた。
マリアンは前屈みになって、女の子が大きく開けた口から喉奥を覗き込んでいた。
しばらくすると上体を起こし、女の子に向かって柔らかく微笑む。
「腫れももう引いていますね。風邪さんはいなくなりました」
「ほんとっ!? じゃあもう川で遊んでいいっ?」
「はい。でも、寒い日は我慢してくださいね。遊びたいからって無理しちゃだめですよ」
「うんっ!」
彼女の元気な返事にマリアンは笑みを濃くしたあと、何かを思いついたようにテーブルを見た。
いつもならば食事のために使われているテーブルは、いまは散らかって、いや、簡易的な仕事場になっている。羊皮紙の束、羽根ペン、インク、端に寄せられた植木鉢……、そして蔓を編んだカゴ。
内側に布が敷かれたカゴで、クッキーが無造作に詰められていた。形はどれもきれいだが、焼き色はバラバラ。混ぜ物も異なっている。それぞれ、茶葉か草を刻んだもの、花びら、木の実が練り込まれていた。
彼女はカゴを取り、少女へ差し出す。
「よかったらおひとつどうぞ。薬膳クッキーですよ」
「ええー。マリアンせんせえのクッキー、マズイからいらなーい」
「え」
マリアンが短い地声をこぼして固まる。
すると、老人が横から女の子の顔を覗き込みながら、白ひげをもごもご動かした。
「これ、ミミン。わがままを言っちゃいかん。薬師さんのお薬、ちゃんと頂きなさい」
「むう……」
ミミンと呼ばれた彼女は口を尖らせて、気乗りしない様子でカゴを覗き込む。
「薬ではなく、お菓子なのですが」
カゴを持ったまま、マリアンは頬を引きつらせていた。
しかし、クッキーを真剣に見比べるミミンの様子を窺っているうちに、彼女の引きつった笑みも自然と緩んでいく。ミミンの指先が緑の粒が練り込まれたクッキーに向かえば、マリアンの口角があがった。一押しの薬草クッキーだった。しかし、指先がまたうろうろと彷徨い出したので、マリアンは落ち着かなさげにどのクッキーが選ばれるのかと見守っている。
「薬師さん。少ないが、ほれ、代金を」
老人の声にマリアンが顔を上げると、数枚の鉄貨が差し出されていた。
マリアンはしばらく目を瞬かせる。そして、カゴを持っていないほうの手でそれを受け取った。
「ありがとうございます。とはいえ、今回はあまり大したことはしていないので、すこし申し訳ないですが」
「いやいや。本当に、薬師さんがいてくれて助かっとるのじゃ。この辺境の村じゃ医者もおらんでのう。あんたが診てくれるだけで、皆、安心できるのじゃよ」
「村長さんにそうまで言っていただけると、私も薬師冥利に尽きます」
マリアンは心ばかりに頭を下げた。
その視線が、手の中の鉄貨に落ちる。
指の隙間から見えるそれは薄汚れて黒く変色し、ひと目では貨幣とはわからない。しかし、表面に彫り込まれた、掠れた水瓶の意匠が、それが貨幣だと主張する。アーリア教会の発行した正式な貨幣だ。
脳裏に、今朝の、水たまりに横たわった騎士の光景が思い出される。
「あの、村長さん。最近、何か変わったことはありませんでしたか? とくに、教会絡みの……」
「いいや、そういった話は聞かんが。なにか気になることでも?」
「いえ、特にこれと言ったわけではないのですが。今朝、森の――そばの街道で、騎士様をお見かけしたものですから。なにかあったのかと」
「教会の騎士様かね? そりゃあ珍しい。納税の時期でもないのに」
「は、はは、」
マリアンの笑顔がひきつった。反射的に漏れた笑い声は低く、笑っていない。
するとなにを察したのか村長が「ああ……」と声を漏らした。しわが寄り集まりほとんど閉じているような細い目が、静かに伏せられる。
「三年前の納税。いやあ、あれは笑え……いや、悲しい事件じゃったのう」
「笑えると言いましたか」
「まさか薬師さんが脱税で教会に連行されるとは……。かわいい顔してようやるのうと、村の者は感心しとったものじゃあ」
口調こそ悲しげに努めていたが、声も肩も笑いが隠しきれずに跳ねていた。
マリアンはカゴを持ったままの両手をキュッと胸元に寄せた。繕うように声を荒げる。
「あの頃は越してきたばかりでっ、商いに納税が必要なんて知らなかったんですっ。今はちゃんと納めて……あ、あれ? ミミンちゃんは?」
そこで、いつの間にかミミンがいなくなっていることに気づく。
部屋の隅に置かれた、大きな薬草の植木鉢。ミミンは鉢のそばに座り込み、根元を覗き込んでいた。
すると薬草の大きな葉の下から、ぬるり、と赤茶の蛇が顔を出した。
「はわわわわっ! 蛇ィ!」
叫んだのはマリアンだった。
ミミンが「え?」と振り返ったときには、すでに彼女はミミンの真横へ飛び込んでいた。その細い手で赤茶蛇を問答無用で鷲掴みにする。一番そばの、開けっ放しの窓へぶつかるように駆け込むと、窓枠から体を乗り出して放り投げた。薬草畑の少し遠くで、茂みに落ちる音がした。
ここまで、ほんの数秒ほど。
マリアンは肩で息をしていた。
「はあ、はあ! なっなぜ私の家に蛇が! ま、まーったく! 油断も隙もありませんねえ! 薬師の家に蛇など! 衛生観念が崩れてしまいます!」
彼女らしくなくやたらに張り上げられた声は、残念ながらあまり遠くまでは響かない。息も荒いままくるっと彼女は反転して、ミミンを見た。
「ミミンちゃんっ。噛まれてませんか、怪我は?」
「もうっ。マリアンせんせえが邪魔するから、蛇さんにクッキーあげそこねちゃった」
不満そうにしながら、ミミンがクッキーを掲げる。薬草が練り込まれた緑色のクッキーだった。
マリアンはとりあえず安堵して、大きく胸を撫で下ろす。
「蛇にクッキーをあげてはいけません……」
「ええー」
「ええー、じゃありません」
そんなやりとりを見ていた村長が、ふぉっふぉっ、と白ひげをモゴモゴさせて笑った。腕には、どさくさにマリアンが押し付けてしまったクッキーカゴが抱えられている。
「すみません……」と平謝りしながら、マリアンがカゴを受け取る。
「部屋に蛇とは、薬師さんの家はにぎやかじゃのう。……では、ミミン。そろそろ帰ろうか」
「おわった!? はやく帰ろっ。川であそぶ!」
待ちきれない様子でミミンが椅子から下りる。表へ出る戸をマリアンが開けてやるとさっさく駆け出したが、戸口の前で急停止し、マリアンに向かってぺこりと頭を下げる。
「マリアンせんせえ、ありがとうございました」
「はい、どういたしまして。ミミンちゃんが元気になって良かったです」
「でもマリアンせんせえ。次はちゃんと『おうしん』に来てね」
「ぐっ……。すみませんでした」
マリアンが頭を下げる横で、村長がミミンを窘める。ミミンは聞いているのかいないのかわからない様子で、手付かずのクッキーを前掛けのポケットにしまっていた。
外へ出ると、ミミンがさっそく駆け出した。村長を置いて、薬草畑を抜けていく。
戸口前の小さな段差を降りる村長に手を貸しながら、マリアンは平謝りした。
「今日はすみませんでした。大変だったでしょう、こんな山の上まで」
「いやいや。こちらこそ、押しかけてしまって申し訳ない。はやく川遊びを許してほしいからと、ミミンが朝から玄関先で待っておってな。儂は、薬師さんは決まった日に来るわけじゃないのだからと言ったんじゃがのう……」
段差を降りきると、村長は薬草畑を見た。
畑の途切れたところで、ミミンがハーブの花を嗅いでいる。
「あの子は、物心つく前に両親を亡くしてしまって。村にも子どもは少なくて、遊び相手もないから退屈なのじゃろう。先生が来る日は、いつも首を長くして待っているんじゃ」
普段なら、大抵は親身に返すマリアンだったが、こればかりはどう返せばよいか分からなかった。
親のいない子どもの寂しさがどういうものか、彼女は知っている。しかし、知っているからと言って雄弁に語れるわけではない。それも他人の孤独について、励ましや共感の言葉を安易に口にするのは憚られた。
「ふぉっふぉっ、すまんすまん。年寄りはつい暗い話をしてしまう。薬師さんは、今日はこれから村に?」
マリアンが困っているのを察したのだろう、村長が明るく笑ってそう尋ねてくる。
「いえ、今からだと帰りが暗くなってしまいますから。また明日改めて」
「ふぉっふぉ。なら、明日もぜひうちに寄ってくださいな。ミミンが喜びますからの」
「ええ。また明日」
なだらかな山道を下っていくミミンと村長が木々に隠れて見えなくなるまで、彼女は見送る。
手を振る彼女の周囲、辺りの薬草畑の葉々がカサカサ鳴る。
ぬるっと、蛇の頭が植物の根元から生え出した。ゆっくりと小道に蜷局をまいて、我が物顔で日向ぼっこを始める。
ラベンダーの花穂が揺れて、花穂と並ぶように蛇の首が伸びていく。もう行った?もう行った?、と山道を見ようとしている。
マリアンもほっと手を下ろした。
そうして工房の中へ戻ろうとしたとき、すぐそばでラベンダーの根元が揺れる。
顔を出したのは赤茶蛇だ。いつも室内にいてきれいに保たれていた鱗は泥だらけである。抗議するように鎌首をもたげ、うねうね頭を揺らしている。
「しゃーっ」
威嚇される。
マリアンも負けじと、キュッと目尻を釣り上げた。
「そんな顔してもだめですっ。次はちゃんと隠れてくださいよっ。でないと、わたしもあなたもみんな火炙りなんですからね……!」
声を潜めつつ、それでも叫びたそうな勢いで言って、赤茶蛇の口先を数度つまんだ。




