6.家族
偽善的な冷たい態度を感じずにはいられなかった、私が「キの病」で倒れ付してこの病院に入院してから郷の両親がやって来てからの様子である、理解などする気は最初からないのだ、ただ理解のある両親であるという態度を繕うのに必死で、とにかく他人の目を気にして本質的なことなど興味すら無いのだ、これが私の家族である、結局にして「キの病」を患ってもその理解は寧ろ遠くへと離れていったのだ。
「どうして“こんなこと”になってしまったのだろうね…」
病室の外の廊下で母親が口走ったこの言葉が忘れられずにいる、「こんなこと」なのだ、私の「キの病」は、「“こんな人間”で悪かったね」とでも言えば許されるのか、そもそもに何に許しを乞うているのか、思わず乾いた笑いが込み上げてきた、その様子を見るなり、両親は私が相当に壊れたものだと勘違いを起こし、ひどく焦ったようだった。
無学な母は若くして私を妊娠したがために幾分年上の田舎臭い父と結婚する羽目となった、その年で私を生もうと決心した裏には父方の祖母が提言した私を中絶する意見に反論したいがためのプライドくずれの感情があった、父は祖母と母の間を右往左往するだけの卑屈な蝙蝠になっていたし、最初から私は何かしらの理由に祭り上げられていたのだ、誰もが本質を理解せず生まれる前からその命を弄んではエゴの保身に走っていたのだ。
生まれた私の幼少期は子供からすれば陰惨なものだった、欲しくもない服を靴を母はくれてやったのだから喜べと言った、少しでも汚せば折檻までされた、子供は考えない着せ替え人形か猿のようにして育てた、少しでも自我を見せれば穢れのような扱いを受けた、更に情けないのは苛烈な母に負けて低俗な酒と博打に逃げた父親である、男らしさや父親らしさを理解できぬ稚拙なこの男は息子を暴力で制した。
母は全てを強制し、父はそのやり方に加担するように首を縦に降り続けた、勝手に私を作り上げ、その作り上げた私を理解したことで私の全てを知ったような振る舞いで私の思春期を蹂躙した。
私の根本的かつ人間的な脆弱さは両親に強制された人格に耐えきれず露呈した潰れた骨の無い臓物のようなものだった、そんな私は十八歳ともなれば意図も容易く社会の餌食になりひたすらにみすぼらしく弱っていった、それは非生産的でありながらも今に至る「キの病」を患う土壌を作っていたような生活光景であった。
結果として私は「キの病」を患った、何れはそうなるだろうという予感を抱えて生きていたのは当の本人である私だけだった、私の周りの人間全てが私を踏みつけても壊れないゴム製の人形のような扱いをしていたのである。しかし、確実に私は壊れていったのだった。
そんな私が家族を作る必要性に迫られているのだから皮肉なものである、故に私は愛に飛び込む勇気を得ないでいるのだ、そんな私を意気地無しの腑抜けの脆弱と詰るのは容易いことであって、問題はそれを理解してくれることにあるのだが、例え星屑ほどの数のそれを集めたとて、私の愛に飛び込む勇気となりえるだろうか、いや、なりえないだろう、今や時すでに遅しなのである、他者からの私の出生や育った環境、境遇、脆弱さへの理解などは全てが等しく虚無なのである。
私には愛それ以上に家族という組織への信頼性は無く、その言葉を聞くだけで心は萎えてしまうし、立ちはだかる今となっては最大の脅威の一つとなっているのだ、この障害を乗り越えなくては私の肯定的に滅ぶ計画は不意になると言っても過言ではないだろう。
私のこれまでの生涯全てが不幸であったとは言わない、ただ、こうして結果的に「キの病」を患った姿となった今、幸せよりも不幸の方が真実であったということだと私は考えてしまう。
雨の日の病棟はとにかく寒々しく重たい空気が流れていた、私をより深く悩ませる場所として最適な空間が広がっていた、私は何度も何度も小声で「家族」と意識無く呟いた、そうして朦朧と廊下を壁伝いに歩き、テレビやソファーの置かれた人気の無い共有スペースへと出た、私はそのソファーに座り外を眺めた、外はやはり雨である、やはりそこでも意識無く「家族」と呟き続けた。
無限に続くような無意識の呟きの中で私は考えた、千代と経之助の純粋無垢かつ強靭な愛を持ってすれば私の理想の家族を作ることができるのではなかろうか、それは家族という組織を成熟させることなく、一定の段階で凍結させることで肯定的に滅ぶ過程の一つにおさめることによって叶うことではなかろうかと、だとすれば私は愛に飛び込んでも尚且つ愛の狂気に取り憑かれずにいることもできるのではなかろうかと想像できた。
私はあくまでも肯定的に滅ぶために家族を作るのだ、破滅のための家族、それならば私にも作ることができるかもしれない、後は千代と経之助が私と家族になってくれるかどうかである、そこはやはり慎重にならなくてはいけないと私は考えた。




