5.愛に飛び込む
私はその愛を明確に示したのだ、最早それを隠すことなどあろうか、しかし、告白をしたからと言って突如に情熱的に迫り込むような真似はしなかった、私は愛の品性に趣をおいて行動するよう心がけていた、あくまでも千代と経之助の二人の愛があっての自分への愛だと考えていた。
それでも幾分は距離感を縮めた、いつも贈る一輪の花を経之助と共に間近で贈るようにしたのだ、千代は遠巻きの会釈ではなく「いつも、ありがとうございます」と今にも切れそうな細い声で礼を述べた、私はその時の千代の美しい微笑みを間近で眺めるようになったのだ、私はそうして少しずつではあるが二人の愛の輪の中に近づいていったのだ。
やはり経之助を中庭で遊ばせている時は千代と二人きりになった、私は相変わらず千代の車椅子の横にしゃがみこみ、目線を同じかそれより低くしていた、そう言った時に千代は尋ねるのである、先日の「好き」とはどういった意味であるのかを、だから私は率直に答えるのだった。
「そのままの意味ですよ、愛しているのです、お二人を」
ここまで答えておきながら私は愛の品性を保とうとしていた、だから直ぐ様に
「戸惑っても構いません、少しずつで構いません、私を知って下さい、それで宜しければ私があなた方二人を愛するように私を愛して下さい」
とも答えたのだった、それは私の正直な心でもあった、愛を注ぐので注いでほしいという至ってシンプルな懇願でもあった、千代の答えは沈黙であったが、それを包む優しい笑顔が溢れていた、私はそれ以上の答えを千代から求めようとはしなかった、それもまた品性であった。
また、千代は時にその不治の病である自身の境遇を憂いて涙することがままあった、その時に私は静かに頬に手を差し伸べて親指で涙を拭ったりもした、そして、私は立ち上がり経之助の肩を少しきつく抱き寄せて
「泣くことは決して悪いことではありません、私のいる前でよければ泣いて下さい」
と言った、私は千代の運命に対する漠然とした不安を「キの病」を患った者として共有しようと努めたのだった。
しかし、病室で一人ぼっちになると私はいつも焦っていた、肯定的に滅ぶという観点から私の計画はより迅速化するべきだと考えていたからである、千代と経之助の愛が確実に私に向くような画期的な何かしらを画策していたのだ。
その中で根底的な疑問にもぶち当たった、私は本当に千代や経之助のことを「愛している」のかと、今のままではただ「愛を“している”」だけではなかろうかと考えたのだ、これは単なる言葉遊びではない、「愛する」とはまた違ったものなのだ、言葉にするだけ本質から遠ざかり質量を得ないものになりそうだが、あえて言うならば「愛している」は愛を外側から眺めている状態であり、「愛する」は愛を内側から眺めている状態であるという違いがあるのだ、私はまだ千代と経之助を「愛する」ことができていないのではなかろうかということである。
そこから私はまだ愛に飛び込んでいないのではなかろうかという新たな疑問に直面した、愛に飛び込むことによって私の肯定的に滅ぶという計画はより迅速に前進できるのではとも考えた、しかし、それにはそれ相応の勇気が必要となった、私は愛に飛び込んだとて今までのように品性を保ち、冷静にしていられるのだろうかと想像したのである、愛は時に人を狂わせるのだ、その狂気に私も取り憑かれてしまわないだろうかと思うと夜も眠れずにいた。
その日は朝から雨が降っており、院内の湿度を上げ、気温を下げていた、若い女の看護師が言うには明日から本格的な夏が始まると言うではないか、そんな季節の節目も節目の日に千代は定期検査があり会えない日だったし、経之助も学校行事の準備やらで会いには来ない日だった、私は一人寂しく病室に籠って自分の計画を頭の中で見直していた、これまでのこと、これからのこと、各々のことをぐるぐると考え巡らせていた、しかし、結局は同じ結論にたどり着くのだ、愛に飛び込むしかないという結論にたどり着くのだ。
焦りながらも愛に飛び込むことができない自分の脆弱さを嫌悪する時間ならたっぷりとあったと言える日だった、しかし、私が愛に飛び込む踏ん切りが付かない最大の理由は明確に理解していた、それは「家族」であった、千代や経之助と家族となることで計画は迅速化され、私は肯定的に滅ぶことができるのだ。
家族、家族である、私にとっての家族とは愛から最も離れた場所にあるものだった、この社会的最小の集団が私に与えたものは「キの病」それぐらいであると言えるだろう、家族と聞いて想像するものは冷たい石の棺に閉じ籠られる感覚である、今も私がいる病室も白塗りのコンクリートの壁で覆われており、雨で気温が下がったこの部屋はまるで棺のようでもある、私はベッドの上で膝を抱えたった一言だけ「家族」とだけ呟いたのだった、それは意図して呟いた言葉ではなかったのだ。




