4.告白
その日から私は頻繁に中庭に出向き千代と経之助と交流するようになった、それは表層上では穏やかなものであったが、私は様子を伺いながら私の胸の内にある決死の愛をどの様に注いであげようかと考えていた、また、愛は多種多様多彩多面的な立体である、そんな愛の中でどんな愛の様を伝えるべきかを考えてもいた。
不治の病の千代には時間が無かった、それは「キの病」を患っている私も同様である、だからこそ普遍的な愛、例え千代がこの世から消え去ったとて継がれるような愛を注ぐべきだと考えた、では経之助に注ぐ愛ならばどうだろう、年齢的にまだ愛の持つ多種多様多彩多面的な立体性を理解できるものではない、だとすればその愛もまた母親の千代と同様により普遍的な愛にたどり着くのだ、余計な要素を省いた洗練された普遍的な愛こそこの二人に注ぐべき愛の形なのではなかろうかと考えたのだ。
注ぐべき愛の型が定まった、あとはそれを静かに注ぐだけである、ここで焦っては愛の品性そのものを欠いてしまうのだ、あくまでも二人の持つ強靭かつ純粋な愛の型を乱さぬように静かに注ぐのである。
私は毎日のように経之助に病院の売店でジュースかアイスキャンディーを買ってやっていた、その際に店先にある花を一輪だけ選ばせた、そして、それを千代に贈るようにしたのである、そうすることで千代と経之助の絆はより強力なものとなったし、その補助のように私は入り込むこともできた。
実際に一輪の花というものが千代にはよく似合っていた、それはどの様な花であってもよく似合っていた、大輪の花束の持つ大それた輝きとは違った一輪の花の持つ品性ある輝きこそが千代には相応しかったのだ、そして、それを手渡すのが少年の純朴さに溢れた経之助であるのがまた良かったのだ。
私はそんな二人の光景を少し離れて眺めるのが好きだった、経之助が千代に一輪の花を手渡すとふと私の方を向いて会釈する千代が実に美しかったのだ、私はその会釈に静かな笑顔を毎回送った、この距離感に私は愛を注ぐ上での重要性を感じてもいたのだった。
また、私は優しさというものを重要視していた、その根底には私の決死の愛を脈々と流し込んでいたが、表層上は優しさで包み込まれたそれを千代や経之助には注ぎ込んでいた、激情にかられたような愛の放出に意味や効果があるとは思えなかったのである。
距離感と優しさを持った私の愛は一見穏やかなようで尽きることなく注がれ続くものだった、私はほとんど千代の車椅子を押すことはなかった、それは経之助の役目だと割りきっていたからだ、そういった責任感のようなものを経之助には教えたりもした、そのような話を彼にするとまだあどけない少年の顔立ちに青年男子へと向かう荒々しさの片鱗が見えたのだ、それは経之助にとっての成長する姿だったのかもしれない、彼は私を男として信頼してくれたのだった。
中庭で経之助が無邪気に遊ぶ様子を眺める時は千代と二人きりにもなった、その時は車椅子の隣にしゃがみこみ、千代より目線を低くした、千代はこの先の短い生涯、この病院を出ることはないだろう、それでも二人きりになるとしずしずと話すのだ、病院の外の光景を、街の海岸線の砂浜の解放感、山林公園の木々の香りと虫の声、秋の街路樹を歩く時の空に浮かぶ雲のちぎれ行く様、それらを千代は経之助と共に感じたかったと言うのだ。
その様な話をする時の千代は気弱になっている時だった、私は千代より目線を低くくしたまま「私が連れて行きますよ、ですから気を落ち着けましょう」とだけ言うのだ、あくまでも「強く」とは言わないのだ、私は自己の脆弱さを痛いほどよく知っているのだから人に強さを強要したりはしなかった、それは愛でも優しさでもなく私自身の在り方そのものであった、千代は私のそれらの言葉に対して「すいません…情けない…」とだけ言って多量な悲しみを少ない涙にして泣いた。
千代と経之助と出会い数週間は過ぎた日のことだった、いつものように経之助にアイスキャンディーを与え、花を選ばせて千代へと贈り、中庭を三人仲良く散歩していた時だった、千代は私に「なぜ貴方は親切なのか」と尋ねてきたのだ、だから私は
「それは二人のことが好きだからですよ」
と言ったのだ、それを言われた千代にせよ経之助にせよ呆気にとられたような表情をしていた、それは当然である、出会って一月も経っていない間柄の男に突然の告白を受けたのだから、しかし、私は自分の心を、愛を偽らなかった、言うべきとき、表現するときには大胆になるべきなのだ、これはこの二人に対しての愛を表明する宣言でもあった、私はあなたたちに私の胸の内に潜めてある決死の愛を注ぐという明確な宣言。
私は花を贈った時のように静かに微笑みながら二人の顔を各々眺めて更に言った。
「本当にですよ」
と、私は「本当」という言葉の本来の意味を理解しながら言ったのだ、偽りなき心を込めて。




