11.家族になる
私の思考は不純物まみれだった、それでも肯定的に滅ぶことを求めた、そのために愛を求め、千代や経之助と家族になることを求めた、しかし、今の状態だからこそ逆説的に愛の純度を高めることができたと言えた、私はその日の夜に決断をした、明日の朝に花束を手にして千代や経之助と出会い、家族になることの否かを問いただそうと、今の最低な状態を抜け出すための成功体験として千代と経之助との家族を結成することに賭していた。
実に静かな夜だった、私はいつもの若い女の看護師からコップ一杯の冷たい水をもらい、それを飲み干してからベッドに横たわった、そして、私は体の中で冷水の温度が体温に吸い込まれて行くのを感じながら深い眠りについた。
翌日は早朝に目が覚めた、朝食まで幾分と時間があったが、病室の窓から眺める景色には既に今日が晴れた暑い日になる予感をさせる空が広がっていた、私の容態も精神状態は平行線のように落ち着きを取り戻していたし、私を悩ませた頭の鈍痛も引いていた、私はただ静かに今日が素晴らしい日になればいいと願った。
その時間となると病室で静かに朝食を食べた、不調時の昨日は牛乳とフルーツの欠片だけで精一杯だった私が一日の始まりの活力を得ようと米類も汁物も魚も見事に平らげた、空の食器を下げようとすると若い女の看護師がその様子を見て「今日はちゃんと食べれましたね!」と言った。
すると今度は私は身なりを整えて病院内を散歩に出かけた、例の中庭に向かう頃には外は暑くなっており、人気は殆どと言っていいほどなく、外からやって来た数人の業者が汗水を滴しながら草刈りをしていただけだった、私は空調の効いた共有のスペースへと向かった。
人気は中庭に出ていなかった数が流れてきたように共有のスペースに集まっていた、私は設置されているソファーに座り込むとしばらくは窓から外を眺めたり、大して興味のそそられないテレビを漫然と見ていた、その途中で年配の患者に野球の話を振られたり、テーブルの隅に置かれた雑誌を読んでその手の話題に疎い私でも知っている有名人が死んだことを知ったりしていた。
結局は私は窓ガラス越しに暑い外を眺めている時間が共有のスペースでは一番落ち着いた、入道雲の広がる様や窓ガラス越しでも分かる蝉の鳴き声を感じ、既に八月である事を壁の暦を見て知った。
面会の開始時間が迫っていた、私は病院のエントランスへと向かった、そこにも設置されている椅子があり、それに座ると夏休み期間であるはずの経之助を待った、五分か十分はやはり外を眺めて過ごした、あまりにも鮮烈な日差しが外の木々を青々と見せている様を見ていたのだった、病院のエントランスの壁に飾られたクレーの「セネシオ」の複製画にも目を向けたりもした、その隣にはキスリングやジョルジュ・スーラの複製画も飾られており、それらを眺めていた、そうやって時間を潰すと頭の不純物が晴れて行くのを感じた。
やがて病院の玄関から全身を健全に日焼けをした少年が現れた、経之助である、彼は私を見つけるなり「おじさん!」と言って元気一杯に手を振ってくれた。
「一緒に千代さんを迎えに行こう」
と私が言うと彼はまた元気良く返事をくれたのだった、経之助の小麦色の肌は美しい夏の化身のようだった、私は千代の病室へ向かう途中で売店によりオレンジ・ジュースを三本と花束を一つ買った、千代に会ったらまず家族となるか否かを尋ねようと決心していたのだ。
また、経之助は出来た子供であった、病院内の廊下でも決してはしゃぐことなく静かに歩いてみせた、時々私に学校の体育の授業のリレーで学年で一番になったことを小声で自慢してみせた、私はそんな経之助の頭を撫でたりしながら千代の待つ病室へと向かった。
病室はドアが開いており、風が流れていた、窓を開けているのだろう、病室を訪れるとカーテンも揺れていた、千代は窓際の椅子に座り、外の風を感じていた、その姿を見て、先ほどエントランスで眺めていたキスリングの複製画を思い出していた、私は本当の意味で健全な精神状態にあった、花束を持った私を見て千代は察したのだろう、私の顔を確りと見つめてくれたのだ、私は早速に話をした。
「改めて、私と家族になりませんか?」
その後に沈黙が挟まり込んだ、私は花束を千代に手渡した、千代はその花束の匂いを嗅いだ後にその大きな瞳を潤ませて言った。
「私は消えてしまいますよ…それでも良いのですか…?」
私は言った。
「家族となれば、家族となれば一番近い場所で貴女の想いと記憶を刻み続けることができる…そのためにも家族になりたいのです」
私には本心から千代の想いや記憶を刻み続けたい想いが私には明確にあった、それらを経之助に伝えたい想いもあった、私には偽りが無かった、だから二人を抱き寄せて言ったのだ、「家族に、家族になりましょう」と、しかし、私はただそれ以上に肯定的に滅びたいだけなのだ、私にはそのための愛だけがある。




