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10.High & Low

 私の体調は日増しに良くはなっていたが、それは私が身勝手に感じている健康であり、医者からすれば私はまだまだ危うい状態なのだと言う、私には明確な目的があり、それに対して信仰心などを学びながらも邁進しているというのにである、私は何よりも囚われず、焦らず、あまり深く考えずに過ごしているつもりだった、それでも医者はまだ私を重たい「キの病」の人間であると決めつけていた。


 これは一体どういったことなのか、それは「キの病」の症状というものが私の思うところとは別の部分で巣食っている病理なのではなかろうかと考えたのである、そうなれば今、私が健やかと感じているものは何なのか、これこそが愛の為せる御業(みわざ)なのではなかろうかとまで考えたが、そこまで愛を宗教的に持ち上げてしまうのは愛の本質的なものを見失いそうになるので止めたのだった、とにかく、私自信は健やかに過ごしている気持ちであった、それだけは間違いの無いことである。


 花瓶の花が思っていたよりも早くに萎れて行く、それを見ていると切なくなるのだ、私は病院の売店へと赴き、花を眺めた、千代や経之助(たつのすけ)に贈る花束はどのようなものがいいかを物色するためである、私の決心は自信へと繋がっていた、それほどまでに今の自分は健康に自負心を持っていたのだった。

 

 今にも千代と経之助(たつのすけ)を家族として迎え入れたい気持ちになっていた、ある種の興奮状態とも言えるほどに私の心は滾(たぎ)っていた、しかし、その状態を良しとしなかったのは医者である、私の今の興奮状態は一定を過ぎると下降線を辿り、悪夢のような精神状態に陥るというのだった。


 そして、その悪夢のような精神状態は直ぐにやって来た、翌日の雨曜日、凄まじいまでの鈍痛が頭を打ちのめした、私の心は花瓶の萎びた花と同様の状態にあった、私の愛への信仰心は揺らぎに揺らいだ、それでも私は肯定的に滅ぶためにその愛にしがみついた、それ以外に今の精神状態を抜け出す方法が見当たらないのだった。


 健やかさは失われた、また洗面台の前に立つと頭突きで鏡を割ってしまいそうになるため、私は洗面台へは近付かないようにした、他者が一見すれば冗談か笑い話のようであったが、それほどまでに滑稽であっても退(の)っ引(ぴ)きならない状態が今の私の精神状態であった。

 

 こうして今の精神状態で振り返ると医者の言葉は現実それそのものだった、私は愛に浮かれていたのかもしれない、“真実の愛”に固着し過ぎたのかもしれないと思うようになってきたのだった、それでもやはり愛を信じようとする心だけは保っていた、こういう時に愛を見失わない強さが私には欠落していると考えたからだった、私は脆弱な人間ではあったが、肯定的に滅ぶという目標に出会い、千代や経之助(たつのすけ)と出会うことで幾分はただの脆弱な男から脱却していたと言えた、やはり愛、愛である、愛が私を幾分ながらでも成長させたのだ、強い人間であろうとする態度を持つようになるほど変化させたのだった。


 このような精神状態が私の本来の姿だとするのならば、今、この状態で家族となるための答えを千代や経之助(たつのすけ)に尋ねるのはどうなのだろうかと考えた、一見すれば得策とは言えないかもしれないが、本当の私を見てもらうには今すぐにでも花束を買って、千代と経之助(たつのすけ)の前に現れて問いただすべきなのかもしれない、激しい頭の鈍痛に遮られながらも私はそう考えていた。


 しかし、同時に考えてしまう部分もある、それは千代や経之助(たつのすけ)と今まで良好な関係を築けたのは健全な男として振る舞っていた自分があったからではなかろうかと、そうなれば弱りに弱っている今の自分は単に失望を買うだけの存在ではないかと。


 結局のところ私は脆弱な本来の自分と健全な男として振る舞っている虚像の自分の板挟みの状態になっていることに気付いてしまった、それは愛を信奉する者にとってはとてつもない醜態の一つであった。


 またしても実に宗教的な思考に陥ってしまうが、私の愛は試されているとも考えた、そういう点でやはり脆弱を露呈している今こそ振り絞るべき勇気と愛を持ってして千代と経之助(たつのすけ)に家族となるべきか否かを尋ねるべきではないだろうかとも更に考え込んだ。


 このように愛について思考を巡らし、決定打と言える答えを出せずにいる自分は本当に脆弱な人間であると思える、同時に愛がなければ今すぐにでも死ぬべきであると言えるような無様さを抱えているとも言えるだろう。


 窮地にあるからこそ愛にしがみついている、ならば愛に従う他ないのだ、何度も言うように、何度でも言えるように、やはり愛、愛である、愛によって幾分ながらでも成長することができた、強い人間であろうとする態度を持つようになったのだ、ならば私が虚像とする健全な男として振る舞いもまた愛の為せる姿、愛に枯渇している脆弱な私もまた愛の為せる姿、どちらも私なのだ、つまりは今すぐにでも花束を買って千代と経之助(たつのすけ)に会いに行かなくてはならないのだ。


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