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第9話 休日の一刻、重なる視線

前話に初めてグッジョブ?いただきました、ありがとうございます

とても作者の励みになります

 雲一つない快晴。エルムの街を包む空気は爽やかで、絶好の外出日和だった。

 僕は宿の入り口で、少し緊張しながら誰かを待っていた。ルミナス家を追放されてから、こんな風に誰かと待ち合わせるなんて、一体いつ以来だろう。


「お待たせいたしました、シオンさん」


 不意に背後から声をかけられ、僕は心臓が跳ねるのを感じて振り返った。

 そこに立っていたのは、いつものギルドの制服ではなく、淡いクリーム色のブラウスに、膝丈の藍色のスカートを合わせたクロエさんだった。

 

 眼鏡の奥の瞳は心なしかいつもより柔らかく、艶やかな黒髪はハーフアップにまとめられている。制服姿の時の「知的な受付嬢」という印象は影を潜め、そこには街で見かければ誰もが振り返るような、気品ある美しい女性がいた。


「あ……。ええと、おはようございます、クロエさん。……すごく、素敵ですね」


 僕が咄嗟に口にした素直な感想に、クロエさんはパッと頬を赤らめ、視線を泳がせた。


「……ありがとうございます。シオンさんにそう言っていただけると、準備に時間をかけた甲斐がありましたわ」


 彼女は少しだけ照れくさそうに微笑むと、僕の隣に歩み寄った。


「さて、シオンさんはまだこの街に来て日が浅いのでしょう? 今日は私のなじみの店を案内しながら、ゆっくり買い物を楽しみましょう。……さあ、参りましょうか」


「はい。……本当は、男の僕がクロエさんをスマートにエスコートするべきなんでしょうけど。この街のことをまだよく知らなくて、逆に案内させてしまって……すみません」


 僕が正直な申し訳なさを口にすると、クロエさんは足を止め、僕を覗き込むようにしてクスリと笑った。


「ふふ、気にしなくてよろしくてよ。……その代わり、シオンさんがこの街に詳しくなったら、次はあなたが私をエスコートしてくださいね? ……約束ですわよ」


「っ……! はい、必ず。約束します」


 僕たちは並んで歩き出した。

 エルムの街は冒険者の拠点だけあって、職人通りや市場は活気に満ちている。クロエさんは「あそこは腕の良い靴屋ですわ」「あそこの果物屋は、夕方になるとおまけしてくれますのよ」と、歩く先々で有益な情報を教えてくれる。

 

 けれど、僕の意識はどうしても、隣を歩く彼女の肩が触れそうな距離感や、時折ふわりと漂う石鹸のような清潔な香りに奪われていた。ルミナス家では女性と二人きりで歩くことなど許されなかったし、リアとは主従の関係が長すぎた。……今のこの状況は、僕にとって未知の魔導書を読み解くよりも、遥かに緊張を強いるものだった。


 ――そんな僕たちの後ろを、一定の距離を保って追いかける二つの人影があることには、まだ気づいていなかった。


「……ぐぬぬぬ……。シオン様、あんなに鼻の下を伸ばして……! クロエさんも、昨夜のあの知的な態度はどこへ行ったんですか!? まるで初恋の少女みたいにソワソワしちゃって!」


「リア……これ、本当に訓練なの?」


 通りの角から身を隠すようにして覗き込むのは、頭に大きなスカーフを巻いてサングラスをかけたリアだった。

 そしてその隣には、同じくスカーフを頭に被り、どこか楽しそうに周囲を見渡しているアイリスの姿がある。


「そうです、アイリス! これは『大切な人を悪い虫から守り抜く』という、人生において最も重要な隠密任務なんですよ!」


「……悪い虫。クロエさんのこと?」


「しっ! 声が大きいです! ……ああ、もう、あんなに楽しそうに笑い合って……。アイリス、行くわよ! 次の角を曲がったら一気に距離を詰めるわ!」


「わかったわ、リア。……あ、でも、あの店の串焼き、美味しそう」


「アイリス!? 任務に集中してくださいまし!!」


 アイリスは、リアの殺気立った気合を「冒険者の心得」か何かだと勘違いしているらしく、半分は観光気分で尾行に協力していた。


 一方、そんな背後の騒動に気づく由もない僕とクロエさんは、彼女の行きつけだという小さな雑貨屋や本屋を巡っていた。

 僕は彼女の買った荷物をいくつか預かり、隣を歩く。重い荷物を運ぶのは昨夜の「お礼」の一部だったが、彼女が申し訳なさそうに「……重くありませんか?」と覗き込んでくるたびに、僕は「全然大丈夫です」と虚勢を張ってしまうのだった。


「歩き疲れてしまいましたわね。……シオンさん、よろしければ少し休憩しませんか? 私がお気に入りのカフェがあるんですの」


 クロエさんに案内されたのは、大通りから一本入った路地裏にある、隠れ家のようなカフェ『銀の匙』だった。

 木製の扉を開けると、カランカランと心地よい鈴の音が響く。


「あら、クロエちゃん! いらっしゃい。今日は珍しくお連れさんがいるのね?」


 カウンターの奥から、元気な声をかけたのは、エプロン姿の恰幅の良い女性店員だった。彼女はクロエさんの姿を見るなり、ニヤニヤとした笑みを浮かべて僕たちの方へやってきた。


「こんにちは、アンナさん。今日は……ええ、お友達を案内しているんですの」


「お友達ねぇ……。ふふーん、クロエちゃんが男の子と二人でうちに来るなんて、開店以来初めてじゃないかしら? ……ねえ君、もしかしてクロエちゃんの『彼氏』さん?」


「えっ!? い、いえ、違います! 僕は……その……」


 僕はあまりの直球に、顔が火が出るほど熱くなるのを感じた。


「アンナさん、やめてくださいまし! シオンさんは大切なギルド的の冒険者で、昨夜の恩返しに付き合ってくれているだけですわ!」


 クロエさんも真っ赤になって反論するが、アンナさんは「はいはい、そういうことにしておくわよ」と、さらに楽しそうに僕たちを窓際の席へ案内した。

 運ばれてきたコーヒーの香りに、ようやく少しだけ緊張が解ける。


「……すみません、シオンさん。彼女、昔から私のことを妹のように可愛がってくれていて、あんな風にからかうのが趣味なんですの」


「いえ……。でも、クロエさんが誰かとここに来るのが初めてだって聞いて、なんだか少しだけ、光栄だなって思いました」


 僕が正直な気持ちを口にすると、クロエさんは視線を伏せ、指先でカップの縁をなぞった。


「……シオンさんは、本当にずるい方ですわね。そんな風に真っ直ぐに言われると、こちらのペースが狂ってしまいますわ」


 静かなカフェの中に、二人だけの特別な時間が流れる。

 ……はずだった。


「……あいたたたっ。リハビリ、リハビリ……。アイリス、もっと右、いえ、左かしら?」


 カフェの入り口付近で、聞き覚えのある声と、何かがガタガタと崩れるような音が響いた。

 僕とクロエさんが反射的に振り返ると、そこには不自然なほど深くスカーフを被り、互いの肩を支え合うようにして立ち往生しているリアとアイリスの姿があった。


「えっ……リア!? それにアイリスも?」


 僕が声をかけると、リアは「ひっ!」と短い悲鳴を上げて飛び上がり、その弾みでサングラスが地面に落ちた。


「し、ししし、シオン様!? あ、あは、あははは……! 奇遇、ですね! まさかこんな場所でお会いするなんて、運命、でしょうか!?」


 リアの顔は、クロエさん以上に真っ赤に染まり、目は泳ぎまくっている。


「どうしたんだよ、その格好。……それに、アイリスはまだ安静にしてなきゃいけないんじゃ……」


「そ、そうです! それですよ! まさにそれなんです!」


 リアは僕の言葉に食いつくようにして、アイリスの肩を強引に抱き寄せた。


「アイリスのリハビリですわ! ずっと寝てばかりだと筋肉が固まっちゃうって、ギルドの資料にも書いてありましたし! だから、ちょっと街の空気を吸いに……そう、リハビリウォーキングをしていたんです! たまたま、本当にたまたま、このカフェのコーヒーの香りに誘われてしまっただけで!」


「……リハビリ、にしては随分と遠くまで歩いたね」


 僕が呆れたように言うと、アイリスがコクリと頷いた。


「うん。リアが『シオンを悪い女から守るのが最高のリハビリだ』って言ってた。……でも、少し歩きすぎて、足がふわふわするの」


「アイリス!? 余計なことを言わないでくださいまし!!」


 リアが絶叫し、アイリスの口を慌てて塞ぐ。

 それを見ていたクロエさんは、呆れたように、けれどどこか楽しそうに溜息を吐いた。


「ふふっ……。賑やかなリハビリですわね、リアさん。……せっかくですから、お二人も一緒にいかが? シオンさんがお礼に奢ってくださるそうですわよ」


「えっ、あ、ええ……。まあ、そうなるよね……」


 僕は苦笑しながら、店員のアンナさんがさらにニヤニヤしながら追加の椅子を持ってくるのを眺めていた。

 

 結局、四人で囲むことになったテーブルは、当初の二人きりの甘い雰囲気とは程遠い、騒がしいものになった。

 クロエさんとリアがシオンの隣の席を巡って無言の火花を散らし、アイリスが「このケーキ、美味しいわ」とマイペースに食事を楽しみ、僕はその真ん中で、冷めかけたコーヒーを啜る。


 けれど、こうして誰かに必要とされ、誰かに想われている。

 その賑やかさが、ルミナス家を追放された僕にとっては、何よりも尊い「全属性」の輝きのように感じられた。


「せっかくなので、アイリスさんの剣も探しに行きましょうか。私が馴染みの、少し偏屈ですが腕の確かな鍛冶屋を紹介しますわ」


 騒動がひと段落した後、僕たちは四人で連れ立って、午後の柔らかな光が差し込むエルムの街へと再び繰り出した。

 

 僕の物語は、一人では完結しない。

 この賑やかで、愛しくて、少しだけ面倒な仲間たちと共に、僕は最強への道を歩んでいくのだと、改めて心に誓った休日だった。


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