第10話 鍛冶師の工房、黒鋼の刃
賑やかなカフェでの騒動を終えた僕たちは、クロエさんの案内で街の北側に位置する『職人通り』へと向かっていた。
大通りから一本外れた路地に足を踏み入れると、空気が一変する。両脇には無数の工房が軒を連ねており、真っ赤に熱された炉の熱気が通り全体に充満していた。カンカン、キンキンという金属を叩く音や、木材を挽く重低音が絶え間なく響き、職人たちの汗と活気でむせ返るようだ。
王都のルミナス家で見てきた、美しくも冷たい静寂に包まれた洗練された武器庫とは違う。ここにあるのは、血を通わせた実働のための泥臭いエネルギーだ。
「冒険者たちの間では、ものすごく偏屈で頑固だと有名なドワーフの方ですけれど……腕は間違いなくこのエルムで一番ですわ。実力を認められれば、きっと親身に相談に乗ってくれるはずです」
そう言ってクロエさんが立ち止まったのは、職人通りの中でも一際古びた、煤けた煙突が一本だけ突き出している質素な石造りの建物だった。軒先には装飾の一切ない木板に、ただ『鉄の槌』とだけ無骨に彫られている。
クロエさんが注意深く重い木の扉を開けると、中からむわっとした熱気と、鉄の焦げる独特の匂いが押し寄せてきた。
「ごめんください。バロンさん、いらっしゃいますか?」
薄暗い店内には、壁一面に無数の剣や槍、および魔導具の杖などが所狭しと立てかけられている。
クロエさんの声に応えて、店の奥の作業場から、岩のように逞しい体格のドワーフが現れた。
煤で汚れ、無数に刻まれた深い皺と、胸元まで届きそうな立派な顎髭。太い腕には血管が浮き出ており、彼がこれまで歩んできた長い年月と、職人としての凄まじい業を物語っていた。
「……なんだ、ギルドの受付嬢か。それにヒヨッコが三人。冷やかしなら帰んな。うちはなまくらを置いてる店じゃねえ」
バロンと呼ばれた親父さんは、僕たちを一瞥するなり不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「わぁっ、この杖、すごい魔力を感じます……!」
壁に立てかけられた赤い宝玉のついた杖に、リアが目を輝かせて手を伸ばそうとする。
「おい小娘! それに触るな! そいつは炎竜の鱗を編み込んだ杖だ。魔力制御もできねえガキが触れば、手が炭になっちまうぞ!」
「ひっ!? す、すみませんっ!」
親父さんの雷のような怒声に、リアは慌てて僕の背中に隠れた。
「……冷やかしではありませんわ。こちらのアイリスさんのために、手頃で丈夫な剣を見繕っていただきたいのです。彼女の剣が、先日折れてしまいまして」
クロエさんが場を宥めるように僕たちを促す。僕はアイリスが腰から外した、無残に砕け散った騎士剣の破片を革袋から取り出し、木のカウンターに並べた。
「……ほう。この欠け方、およびこの反り……」
親父さんは一瞬で眼光を鋭くさせ、その破片をそっと手に取った。先ほどの不機嫌さは鳴りを潜め、完全に職人の目になっている。
彼は破片の断面を指でなぞり、それからアイリスをじろじろと眺め、彼女の掌を強引に掴んで開かせた。そこには、うら若き少女には似つかわしくない、分厚く硬いタコがいくつも形成されていた。
「……凄まじい反復練習の跡だ。魔法による身体強化の恩恵も受けずに、生身の腕力だけで何万回、いや何十万回と素振りを繰り返した手だ。毎日手のひらから血を流してなきゃ、これほどのタコはできねえぜ」
親父さんは呆れたように息を吐き、アイリスの顔を覗き込んだ。
「だが、妙だな。自身の属性魔力を剣に乗せるなんてのは、魔法剣士なら誰でも息をするようにやってる一般的な技術だ。なのに、この砕けた剣には『魔法を一回も通した形跡』がねえ。魔力で剣身が強化されていれば、いくらガーディアン相手でも、ここまで派手に砕けはしねえはずだ」
「……私には、属性がありませんから。どれほど魔力を流しても、剣には何も伝わりません。……私にあるのは、繰り返しの鍛錬で身に付けたこの身体の動かし方だけです」
アイリスが自嘲気味に俯く。彼女には実戦経験こそ乏しいが、その分、一族の中で誰よりも過酷な基礎鍛錬を自らに課してきたのだ。
ルミナス家で「最弱」と呼ばれた僕には、彼女のその痛みが痛いほどよく分かった。どれほど努力しても、どれほど血を吐くような特訓を重ねても、この世界では「属性魔法」という理がすべてを決定づけるのだ。
親父さんは「……そうか。無属性か」と短く呟き、腕を組んで深く息を吐いた。
「親父さん。今はまだ大きな金はないから、今の僕たちに買える範囲で、一番まともな剣を売ってほしいんだ」
僕が正直に言うと、親父さんは無言のまま店の奥のラックへと向かい、一振りの真っ黒な長剣を持って戻ってきた。
装飾は一切なく、柄から刃の先までが黒一色。しかし刃の厚みと鈍い光沢が、その圧倒的な堅牢さを物語っている。
「『黒鋼の長剣』だ。鋼を何度も折り返して鍛え上げてる。店売りの中じゃ一番丈夫で、魔力に頼らねえ『物理的な斬撃』ならこいつの右に出るもんはねえ。ただし、馬鹿みたいに重いがな。……嬢ちゃん、裏の試し斬り場で振ってみな」
促されるまま、僕たちは店の裏手にある土の中庭へと移動した。
そこには、刃こぼれを確認するための、太い樫の木の丸太が何本も立てられている。
アイリスは真新しい黒鋼の剣を握り、ゆっくりと構えを取った。彼女の重心が沈み、周囲の空気が張り詰める。
次の瞬間、彼女の体が風のようにブレた。
鋭い踏み込みから放たれる、袈裟斬り、横薙ぎ、そして刺突。黒い剣身が空気を切り裂き、ヒュッ、ヒュッと甲高い風鳴りを起こす。重いはずの黒鋼の剣が、まるで彼女の腕の一部であるかのように滑らかに舞っていた。
「……見事な型だ。剣の重心を完全に理解してやがる。一切の無駄がねえ」
親父さんが感心したように顎髭を撫でる。
「ああ。彼女の剣術は、繰り返し繰り返しの積み重ねが生んだ結晶だ。ただ、魔法が使えないというだけで……」
「だが、それが致命的だ」と、親父さんは僕の言葉を容赦なく遮った。
「どれほど技を極めても、この世界の強力な魔物の装甲は、属性魔法の理を介さなければ決して貫けねえ。嬢ちゃんの剣は『芸術』としては一級品だが、『武器』としては……いずれまた、強敵の前に折れる運命にある」
その残酷な事実に、中庭に重い沈黙が落ちた。剣を振り終え、肩で息をするアイリスの背中が、ひどく小さく、寂しそうに見えた。
「……親父さん。それなら、この魔石を加工して剣を作るとしたら、どうなる?」
僕は沈黙を破り、革袋から廃坑で回収したガーディアンの核――鈍く光る、巨大で高密度な魔石を取り出して見せた。
親父さんの目の色が、今度こそ劇的に変わった。咥えていたパイプがポロリと地面に落ちる。
「こ、こいつは……古代のガーディアンの核か!? おい坊主、どこでこんな代物を……」
「廃坑で拾ったんだ。これで、彼女のための剣を作れないか?」
親父さんは魔石を震える手で受け取り、信じられないものを見るようにためつすがめつ観察した。
「……この純度、この魔力密度。神話の時代の遺物だぞ。……これを砕いて鋼に練り込み、特殊な魔法陣を再構築すれば、属性魔力を極めて通しやすい『魔法剣の素体』が作れる。だがよ、坊主。さっきも言ったが、嬢ちゃんにはそもそも通す属性がないんじゃあ、宝の持ち腐れだろ? 魔石の無駄遣いってもんだ」
「……それについては、考えがあります。この魔石が持つ『通りやすさ』があれば、きっとなんとかなるはずです」
僕が静かに、けれど確信を込めて告げると、バロンさんは面食らったように目を丸くした。
「考えだぁ? ハッ、ヒヨッコが何を企んでるか知らねえが……本来、属性を持たねえ奴が魔法剣を使いこなすなんてのは、天地がひっくり返ってもあり得ねえことだ。だが……」
バロンさんは僕の瞳の奥をじっと覗き込み、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「面白い。もし本当にお前がその『絵空事』を現実にしてみせるってんなら、こいつはとんでもねえ化け物剣になるだろうな。……いいぜ、その依頼、このバロン様が引き受けてやる!」
「本当ですか!?」
「ああ。だが、そのためには二つの条件がある。一つは、高純度の魔石の力を剣に定着させ、熱暴走を防ぐための冷却触媒『万年氷の雫』を、エルムの西にある氷晶の洞窟から取ってくること。もう一つは、莫大な加工賃だ。金貨百枚……今のヒヨッコの金じゃあ、到底足りねえぞ」
「……分かりました。必ず、素材とお金を集めてきます」
他人の武器に属性を定着させる『属性付与』――それは現代魔法が失った、古の魔導の理。今はまだ、誰もそんな発想すら持たない。けれど、僕たちの前には明確な「最強への道標」が示されたのだ。
「まずは今の黒鋼の長剣で、しっかり新しい腕を馴染ませな。金と素材が揃ったら、いつでも来い。俺の槌が疼くぜ」
僕たちはバロンさんに礼を言い、黒鋼の長剣を購入して鍛冶屋を後にした。
その日は結局、新しい剣の手入れ用品などを買い揃えただけで宿へと戻り、アイリスの回復を祝う穏やかな夜を過ごした。
数日後。
アイリスの体調も完全に回復し、新しい剣の重さにも慣れてきた頃。僕たちは再びギルドの門をくぐった。
特注の魔法剣を作るための、果てしない資金稼ぎを始めるためだ。
「それでしたら、こちらの依頼はいかがでしょう?」
受付カウンターで僕たちを迎えたクロエさんが、依頼書の中から一枚の羊皮紙を抜き出して見せた。
「『森の街道におけるフォレストウルフの群れの間引き』。Dランクとしては標準的な依頼ですが、新しい剣の試し斬りと、お三方の連携を確認するには丁度良い難易度かと思いますわ」
「フォレストウルフ……。森林の魔力を纏った、動きの素早い魔物ですね。いい練習になりそうだ。……これを受けます」
僕は依頼書を受け取り、リアとアイリスを振り返った。
「ふふん! お任せください、シオン様! フォレストウルフの群れなんて、私の『フレイム・ウェーブ』で一網打尽に焼き払って見せますよ!」
リアが自信満々に胸を張り、新しく手入れした杖を振り回す。
「いや、ちょっと待ってよリア。一網打尽に焼き払っちゃったら、アイリスの新しい剣の『試し斬り』ができないじゃないか」
僕が思わずツッコミを入れると、隣でアイリスも真剣な顔でコクリと頷いた。
「うん。リア、お願いだから私に斬らせる分も残しておいてね。全部お肉の炭焼きになっちゃうと困るから」
「あ……! そ、そうですよ! 分かっています! さすがの私でもそのくらい計算してます! ええと、ちょっとだけ焦がして、斬りやすく調理してあげるつもりだったんですからね!」
顔を真っ赤にして慌てて言い訳をするリアの姿に、僕もアイリスも、そしてカウンターの向こうのクロエさんも、思わず吹き出してしまった。
必要な装備と、果てしない目標を手に入れた僕たち。
賑やかな笑い声と共に、僕たちはついに三人のパーティとして、エルムの街の門をくぐろうとしていた。




