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第8話 銀髪の少女、魂の共鳴

 翌朝、エルムの街を包んでいた重苦しい雨雲はどこかへ去り、窓からは眩いばかりの陽光が差し込んでいた。

 宿の一室。使い込まれているが清潔なベッドの上で、昨夜保護した銀髪の少女――アイリスが、静かに、けれど確かな生命の鼓動を刻みながら眠っている。


 その隣の椅子に座り、僕は彼女の寝顔を眺めながら、自分の右手のひらをじっと見つめていた。

 昨夜、僕の体を通じて彼女へと流し込まれたクロエさんの治癒魔法。あの瞬間の感覚は、今も鮮明に血肉に刻まれている。

 僕の全属性(6)の魔力が、彼女の属性ゼロ(0)という空虚な器に触れた時、そこには反発も拒絶もなく、ただパズルの最後のピースが嵌まったかのような、恐ろしいほどの充足感があった。


「……シオン様。昨夜からずっと詰めっきりですね。少しはお休みにならないと、今度はシオン様が倒れてしまいますよ」


 トレイに乗せた温かいスープとパンを運びながら、リアが心配そうに僕の肩に手を置いた。


「ありがとう、リア。でも、不思議なんだ。彼女を見ていると、なんだか目が離せないというか……他人とは思えないような感覚があるんだ。……かつて僕が、ルミナス家の冷たい石畳の上で、誰からも顧みられずにいた時の自分を見ているような、そんな気がして」


「……シオン様。あの子も、きっと苦しかったんでしょうね。魔法剣士の家系に生まれながら、属性を持たないなんて……。それはきっと、この世界の誰よりも重い『枷』を背負わされているのでしょうから」


 リアの言葉に、僕は静かに頷いた。

 魔法がすべてを決めるこの世界において、魔力がありながら属性を持たぬ者は、器がありながら底が抜けている桶のようなものだ。どれほど努力しても、どれほど技を磨いても、現代魔法という名の水を溜めることはできない。


 その時。


「……ん……っ……」


 シーツが微かに擦れる音と共に、アイリスの長い睫毛が震えた。

 僕とリアが息を呑んで見守る中、彼女は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

 現れたのは、透き通るようなアメジスト色の瞳。彼女は眩しそうに何度か瞬きをし、それからぼんやりとした視線で部屋を見渡し、最後に僕の顔でその動きを止めた。


「……おはよう。気分はどうだい?」


 僕ができるだけ穏やかに問いかけると、彼女は夢遊病者のような手つきで、ゆっくりと、けれど確かな意志を持って僕の手を掴んだ。


「……シ……オン……? ……本当に……シオン、なのね……?」


「ああ、そうだ。僕はシオン。……昨夜、廃坑で君を助けたんだ。覚えているかな?」


 彼女の瞳に、じわりと涙が溜まっていく。

 そして、信じられないものを見るかのような震える声で、彼女は呟いた。


「……夢じゃ……なかった……。会いたかった……ずっと……。声が、聞こえたんです。色も熱も、何一つの属性も存在しない……空っぽの闇の中で独りぼっちだった私に、誰かが教えてくれたの。『全ての属性を束ね、運命を繋ぎ止める者が、エルムの地へ向かっている』って」


 その不思議な言葉を裏付けるかのように、彼女は語り始めた。

 アイリスは、王都でも指折りの魔法剣士の家系に生まれたこと。けれど、十歳を過ぎても属性が一つも発現せず、一族の伝統である『魔法剣』を使えない「失敗作」として扱われていたこと。


「……父様は言いました。『お前の居場所は、ここにはない。外の世界を見て、お前の道を探してこい』って。……分かっていました。それは、優しい『追放』なんです。属性を持たない私が一族にいても、恥をさらすだけだから……」


 彼女の瞳に、深い悲しみが宿る。

 けれど、彼女は絶望しているだけではなかった。


「だから……私、決めたんです。属性がなくても、剣術だけで、魔法に頼らなくてもモンスターを倒せるって……。そうすれば、きっと父様やみんなを見返せるって。……そう思って、一人で廃坑のガーディアンに挑んだんですけど……」


 彼女は自分の隣に置かれた、砕け散った剣の残骸を見つめ、力なく笑った。

 属性を持たぬ鋼の剣では、古代の守護者の装甲を貫くことはできなかった。それは、彼女の努力のすべてが、現代魔法の絶対的なことわりの前に否定された瞬間でもあった。


「……君も、自分を証明したかったんだね」


 僕はアイリスの細い手を取り、まっすぐに彼女の瞳を見つめた。


「アイリス。君は捨てられたんじゃない。君のお父さんは、本当に君の可能性を信じて送り出したのかもしれない。……なぜなら、君の剣筋は、僕が見たどの騎士よりも鋭く、美しかったからだ」


「……え……?」


「君が自分の剣に属性を宿らせられないなら、僕がそれを『付与』すればいい。……僕には攻撃魔法は使えないけれど、属性を『乗せる』ことならできる。僕と君が手を取り合えば、誰も見たことのない最強の魔法剣を完成させられるはずだ」


 アイリスは僕の言葉に、弾かれたように顔を上げた。

 属性がなくて絶望していた彼女に、全属性の僕が手を差し伸べる。それは、欠落した二つの魂が一つに重なるような、運命的な瞬間だった。


「……シオン。……私、あなたに一生……ついていきます。私の剣も、この命も……全部、あなたのものです」


 彼女の瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちた。

 それは、重圧から解放された安堵の涙であり、新しい希望を見つけた歓喜の涙だった。


「ふふ、良かったです! ……シオン様にここまで言わせるなんて、アイリスさん、なかなかの果報者ですよ?」


 リアがニコニコと笑いながらアイリスの手を握った。

 アイリスはリアの幼い顔立ちを見て、少しだけ戸惑ったような表情を浮かべる。


「……あなたは? シオンの……妹ではない……わよね?」


「あ、違います! 私はシオン様の専属メイドで、パーティのメイン魔法使いのリアです! 年齢的には私が一番下ですけど……冒険者としては一足先にデビューしてますから、頼れる『先輩』として接してくれて構いませんよ!」


 リアが胸を張る。アイリスは少し驚いたように、けれど嬉しそうに微笑んだ。


「……よろしくね、リアさん。頼りにしているわ」


「はぅ……っ! 『さん』付けなんて他人行儀なこと言わないでください、リアでいいですよ! それから、シオン様にお世話を焼くのは私の特権ですから、そこだけは譲りませんからね!」


 そんな賑やかなやり取りをしていると、部屋の扉が控えめにノックされた。

 現れたのは、昨夜限界まで魔力を使ってアイリスを救ってくれた、クロエさんだった。


「……失礼いたします。アイリスさん、目覚められたと聞いて様子を見に来ましたわ」


「クロエさん……! 昨夜は、本当にありがとうございました。あなたの光属性魔法がなければ、彼女は……」


 僕が深々と頭を下げると、クロエさんは少しだけ照れくさそうに眼鏡の位置を直した。


「いいえ、私の力だけではありませんわ。シオンさんの『触媒』としての役割がなければ、私の魔法は届きませんでしたもの。……アイリスさん、お加減はいかが?」


「……はい。シオンが教えてくれました。命の恩人です……ありがとうございます」


 クロエさんはアイリスの顔色を確かめ、心底ほっとしたように微笑んだ。

 僕は、昨夜からずっと気になっていたことを口にした。


「……クロエさん。昨夜のような光属性の中級治癒魔法、本来なら相当な額の依頼料が必要なはずですよね。今の僕たちの手持ちでは、到底そのお礼をすることができません」


「あら、そんなこと気にしなくて良いのに。ギルドの職員としての……」


「いいえ、それでは僕の気が済みません。……いつか必ず、金銭的にも相応のお礼はさせていただきます。ですが、それまでの繋ぎとして……何か、僕にできることはありませんか? どんな些細なことでも構いません」


 僕の真っ直ぐな視線に、クロエさんは一瞬たじろぎ、それから何かを考えるように視線を彷徨わせた。

 やがて、彼女は僅かに頬を赤らめ、小さな声で言った。


「……それでしたら。……今度の私の休日、街への買い物に付き合っていただけませんか? 最近、重い荷物を持つのが少し大変で……。……護衛も兼ねて、シオンさんに隣を歩いていただけたら、心強いですわ」


 医務室に、一瞬の静寂が訪れた。

 クロエさんの提案は、お礼という名目の、婉曲な『デート』の誘いのように聞こえなくもなかった。


「買い物、ですか? はい、喜んで。僕のような者で良ければ、いくらでもお供します」


 僕が快諾した瞬間――背後から、ピキピキと何かが凍りつくような、あるいは燃え上がるような気配が漂ってきた。


「……ほほぅ? シオン様。クロエさんと、二人きりで、お買い物、ですか。……そうですか。護衛、必要ですもんね。……あ、なら私も一緒に……」


「あら、リアさんはアイリスさんのリハビリをサポートしなければならないのではなくて? 冒険者の『先輩』として、彼女を街に案内してあげるのも大切な役割ですわよ」


 クロエさんが、知的で涼しげな笑みを浮かべて先手を打つ。


「ぐ、ぬぬぬぬ……っ!!」


 リアは悔しそうに唸りながら、僕の脇腹を音が出るほどつねった。アイリスはそんな二人のやり取りを、不思議そうに見守っている。


「……あ、あの……シオン。私、何か悪いことをした?」


「いいや、何もしてないよ。……ただ、これからの生活が、少しばかり賑やかになりそうだっていうだけさ」


 僕は苦笑しながらも、窓の外に広がる快晴の空を見上げた。

 属性ゼロの少女。そして、全属性の僕。

 二人の欠落した魂が重なり合い、新しい物語は、予測不能な熱を帯びて走り始めた。


 背後で繰り広げられる「先輩」と「受付嬢」の静かな火花を感じながら、僕は新しい仲間と共に、第一歩を踏み出す準備を整えた。


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