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第7話 癒しの光と、触れ合う心

 廃坑を飛び出した僕たちを待っていたのは、すべてを塗り潰さんとする激しい豪雨だった。

 空を裂く雷鳴が響くたび、背負った少女――アイリスの青白い横顔が、不気味なほど鮮明に浮かび上がる。


「シオン様、もっと速度を上げます! 私が風の力で、雨の抵抗を削りますから!」


 隣を走るリアが杖を振り、僕たちの周囲に流線型の風の結界を張った。

 足元の泥を跳ね飛ばし、視界を遮る雨幕を突き抜けて走る。背中から伝わってくるアイリスの体温は、雨に打たれているにも関わらず、焼けるように熱い。時折、苦しげに漏れる熱い吐息が僕の首筋を撫でる。その命の灯火が、今にも風前の灯火のように消えてしまいそうな危うさに、僕はただ無心に足を動かし続けた。


(死なせない。……絶対に、死なせたりしない!)


 属性を持たぬゆえに、誰からも助けられず、ただ一人で巨大な守護者に立ち向かっていた彼女。

 その姿は、かつてルミナス家の冷たい石畳の上で、誰からも顧みられずに魔法の訓練を続けていた僕自身の姿と、あまりにも残酷に重なっていた。


 ようやく辿り着いたエルムの街。

 深夜にも関わらず、冒険者ギルドの重い扉を押し開けた僕たちを待っていたのは、予想だにしない混沌だった。


「治癒師はまだか! 早くしてくれ、こいつの腕が……!」

「止血剤が足りない! 誰か奥の倉庫から予備を持ってきて!」


 ロビーには、泥と血に汚れた冒険者たちが数人、長椅子に横たえられていた。

 西の街道で商人の馬車列が魔物の大群に襲撃されたらしく、ギルド内は戦場さながらの騒乱状態に陥っていた。


「……何があったんですか、これ」


 リアが絶句する。

 受付カウンターの奥で、憔悴した表情で山のような書類を捌いていたクロエさんが、僕たちの姿に気づいて顔を上げた。


「シオンさん! ……ごめんなさい、今は最悪のタイミングですわ。負傷者が重なり、ギルド所属の治癒師たちは全員現場に向かってしまったんです。今ここにいるのは、せいぜい包帯が巻ける程度の下働きだけ……」


「そんな……。この子、ひどい傷なんです! 今すぐに治療しないと、もう……!」


 リアが叫ぶ。

 クロエさんは一瞬、僕の背後で意識を失っているアイリスの蒼白な顔を見つめた。それから周囲の混乱を一度だけ見渡すと、意を決したようにカウンターを飛び越えてきた。


「……奥の医務室へ。私がやりますわ」


「えっ、クロエさんが?」


「こう見えても、私は土、光、闇の三属性適性持ちです。ギルド事務の傍ら、光属性による『中級治癒魔法』の免許も取得しておりますの。……本職には及びませんが、止血くらいなら……!」


 クロエさんの言葉に、僕は一縷の望みをかけてアイリスを医務室のベッドへと運んだ。

 清潔なシーツの上に横たわったアイリスの服を、リアが手際よく脱がせていく。脇腹に刻まれたガーディアンの爪跡は深く、今もなお鮮血が溢れ出していた。


「……っ。ひどい……。よくここまで持ち堪えましたわね」


 クロエさんは顔を強張らせながらも、即座に精神を統一し、アイリスの傷口に両手を翳した。


「『慈愛の光よ、生命の灯火を掲げよ――ハイ・ヒール』」


 澄んだ詠唱と共に、クロエさんの手元から溢れ出したのは、朝陽のような温かく眩い黄金色の光だった。

 光属性適性を持つ者だけが扱える、生命力を活性化させる聖なる輝き。それは僕がかつて実家で、選ばれし者たちの特権として見せつけられていた奇跡そのものだ。


 柔らかな光がアイリスの全身を包み込み、傷ついた皮膚を塞ぎ、失われた血を補っていく――はずだった。


「……っ!? なぜ、魔力が馴染まないの……!?」


 クロエさんの額に、大粒の汗が浮かぶ。

 彼女の放つ治癒の光は、アイリスの肌に触れた瞬間、まるで鏡に当たった光のように不自然に屈折し、虚空へと霧散してしまったのだ。


「そんな馬鹿な。拒絶されている? ……いいえ、違うわ。彼女の体内に、私の魔力を受け止めるための『属性の芯』が一つも存在しないのよ……!」


「彼女は、属性ゼロ……無属性なんです」


 僕の言葉に、クロエさんは驚愕の眼差しを向けた。

 魔力があるなら、必ずその根底には属性の性質が宿っている。それが現代魔法学の絶対的な真理だ。だが、この少女にはそれが存在しない。器はあるのに、中身を固定するためのフックがない。だから、外部からの魔法干渉を受け入れることができないのだ。


「そんな……。このままじゃ、彼女は……」


 クロエさんは顔を青白くしながら、自身の限界を超えるほどの魔力を搾り出し、強引に光を流し込もうとする。けれど、属性の繋ぎ目がないアイリスの体は、砂漠が水を飲み込むように光を無意味に散らしていく。


「クロエさん、もうやめてください! このままじゃ、あなたが……!」


「ダメ……ですわ……! ここで……諦めるわけには……っ!」


 クロエさんの視界が揺れ、膝ががくんと折れそうになった。

 その時。


「……あ……う……」


 光の残滓の中で、アイリスが微かに目を開いた。

 焦点の合わない瞳が、まっすぐに、僕のことを見つめていた。

 彼女の指先が、ふらふらと空を彷徨い、僕の服の袖を掴んだ。


(……シオン……)


 声にならない声が、僕の脳裏に直接響いたような気がした。

 その瞬間、僕は迷わず彼女の手を握り、同時にもう片方の手でクロエさんの震える肩を支えた。


「クロエさん、僕を……僕の体を通してください! 僕の魔力を『触媒』にするんだ!」


「えっ……シオンさん、何を……!」


「いいから! 僕には、全属性適性がある! 彼女に属性適性がなくったって、あなたの光属性と彼女を、僕なら繋げるはずだ!」


 クロエさんは一瞬目を見開いたが、僕の瞳に宿る確信を見て、震える手で僕の手首を掴み返した。


 ドォォォォン、と。

 僕の全身を、今まで経験したことのないような巨大な奔流が駆け抜けた。

 クロエさんの純粋な『光』の魔力が、僕という全属性の回路を通る際、僕自身の膨大な魔力と混ざり合い、調和し、あらゆる属性に馴染む「普遍的な生命の波動」へと変換されていく。


 そして、僕の手を通じて、アイリスの空っぽな体内へと、その光が流れ込んだ。


「……通った……。嘘でしょう……魔力が、馴染んでいく……!」


 クロエさんが声を震わせる。

 パァァァ、と医務室全体が優しい黄金色の光に満たされ、アイリスの傷口がみるみるうちに塞がっていく。荒かった吐息は静かな寝息へと変わり、蒼白だった頬には、少女らしい柔らかな赤みが戻っていった。


「……っ……」


 アイリスの強張っていた全身の力がふっと抜け、深く、安らかな眠りへと落ちていった。僕の手を握るその指先は、まるで唯一の救いを離すまいとするように、眠りに落ちてなお微かな力を帯びていた。

 嵐のような魔力の乱れが収まり、医務室に静かな静寂が戻る。


「……はぁっ……はぁっ……」


 直後、極限まで魔力を使い切ったクロエさんの体が、操り人形のように崩れ落ちた。


「クロエさん!?」


 僕は反射的に彼女の細い体を抱きとめた。

 腕の中に伝わる彼女の体温は高く、汗で濡れた髪が僕の頬に触れる。限界まで魔力を搾り出した彼女の顔は紙のように白いが、僕を見上げる瞳には、成し遂げた安堵の涙が浮かんでいた。


「……よかった……。シオンさん……あなた、本当に……不思議な人ですわね……」


 至近距離で見つめ合う形になり、彼女の甘い吐息と、使い切ったばかりの魔力の残滓が混じり合った独特の香りが鼻腔をくすぐる。

 いつもは知的で凛とした受付嬢の顔が、今は熱っぽく、ひどく無防備な一人の女性の顔になっていた。抱きとめた肩の柔らかさ、指先に伝わる彼女の微かな鼓動。

 僕の心臓が、自分でも驚くほど騒がしく脈打ち、医務室の空気が急に熱を帯びたような、奇妙な高揚感に包まれる。


「あ、あの……シオン、さん……。もう、大丈夫……ですから……」


 クロエさんの顔が微かに赤らみ、彼女もまた、僕に抱きとめられているこの状況を自覚したのか、視線を彷徨わせた。

 僕が何を言うべきか迷い、腕に込める力をどうすべきか混乱していた、その時。


「……コホン、コホンッ! ……あのー、お二人とも? 状況は落ち着いたようですし、そろそろ離れてもよろしいのではないでしょうか? まだ表には怪我人がたくさんいるんですから」


 医務室の入り口で、リアが顔を引き攣らせ、わざとらしく大きな咳払いをしていた。

 その背後には、言葉では形容し難いどす黒いオーラが漂っており、手に持った杖がピキピキと音を立てているような気がする。


「うわぁっ!? ご、ごめん、クロエさん!」


「い、いいえっ! 私こそ、その……はしたない真似を……っ!」


 僕たちは弾かれたように体を離した。クロエさんは真っ赤になって眼鏡を直し、僕は僕で、行き場を失った手で後頭部を掻きむしる。

 リアは僕の隣に音もなく詰め寄ると、じとーっとした半眼で僕の脇腹をグイグイと突いた。その指先には、微かに火属性の魔力が込められているような熱さを感じる。


「シオン様。この子の治療が終わったのなら、ギルドへの報告と、この子の今後について相談が必要ですよね? クロエさんも限界まで魔力を使われたのですから、ゆっくり休ませてあげなければいけません。……さあ、行きましょう!」


「あ、ああ。そうだね。クロエさん、本当にありがとうございました」


「ええ……ええ。お気遣いなく。失礼いたしますわ……!」


 クロエさんは逃げるように医務室の奥へと引っ込み、僕はリアに引きずられるようにして廊下へ出た。

 窓の外では、いつの間にか雨が止み、雲の切れ間から透き通るような月が顔を出していた。


 属性ゼロの少女。そして、全属性の僕。

 彼女がなぜ僕の名を呼び、なぜ僕を介してのみ魔法を受け入れたのか。

 救われた命の温もりを手のひらに感じながら、僕はこれまでにないほど強く、失われた古代魔法の真実を解き明かす必要性を感じていた。


 背後から追いかけてくるリアの不満げな小言を聞きながら、僕たちの新しい夜が静かに、そして少しだけ騒がしく明けていく。


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