第6話 砕かれた刃、古の魔弾
冒険者ギルド「エルム支部」。
朝の光が差し込むギルド内は、一獲千金を夢見る冒険者たちの熱気と、安酒と汗の匂いが混じり合う独特の喧騒に包まれていた。
Dランク冒険者となって数日が経ち、僕とリアはその喧騒の中心にある、ひと際大きな掲示板の前に立っていた。
「さあ、シオン様! 今日はどれにしましょうか。これなんてどうです? 『狂暴化したフォレストベアの討伐』。森の主と呼ばれている魔物ですよ! 私の炎で丸焼きにしちゃいましょう!」
「リア、あまり意気込みすぎないで。僕たちはまだDランクになったばかりなんだから、まずは身の丈に合った依頼から選ぼう。……それに、あまり派手に焼きすぎると素材としての価値が下がるって、昨日クロエさんに注意されただろう?」
僕は苦笑しながら、興奮気味に杖を振り回すリアをなだめつつ、慎重に依頼書を吟味した。
ルミナス家を追放されたあの日から、僕たちの生活は一変した。豪華な食事も、清潔な寝床も、すべては自分たちの腕で稼ぎ出さなければならない。けれど、その不自由さが、僕にとっては不思議と心地よかった。
そんな中、掲示板の隅に追いやられるようにして貼られた、一枚の少し年季の入った依頼書が僕の目に留まった。
『――黒鉄の廃坑、最深部の調査および魔動守護者の排除』
「黒鉄の廃坑……。確か、エルムから北西へ一時間ほどの場所にある、古い魔導鉱山の跡地だね。数十年前に魔力が枯渇して閉山したはずだけど……」
「あそこですか。でもシオン様、あそこに出るガーディアンは物理攻撃がほとんど通じないことで有名ですよ? 以前、自信満々だったCランクの剣士パーティが、装甲を傷一つつけられずに返り討ちに遭ったという話も聞きます」
リアが少しだけ不安そうに眉を寄せ、身を寄せてきた。ガーディアン――古代の魔導文明が残した遺産であり、侵入者を抹殺するために作られた自動人形だ。その強固な金属装甲は、現代の鍛冶技術で作られた剣では紙屑も同然に弾き返される。有効なのは、装甲を内部から焼く、あるいは腐食させるような強力な『属性魔法』のみ。
「今の僕たちの組み合わせなら、相性は悪くないはずだ。リアの強力な炎魔法と、僕の属性付与があれば、物理無効の壁だって突破できる。……それに、ガーディアンの核に使われている魔導結晶は高値で売れる。……行ってみる価値はあると思うよ」
僕がそう言うと、リアは「シオン様がそう仰るなら!」と、一転して満面の笑みを浮かべた。
受付カウンターへ向かうと、クロエさんが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、僕たちの差し出した依頼書を見つめた。
「シオンさん、正気ですか? この依頼は、本来なら魔法使いを複数名含むDランク上位のパーティに推奨されている難易度です。新米のDランク二名では、たとえリアさんの火力があっても、道中の魔物の数だけで魔力を使い果たしてしまいますわ」
「ご心配ありがとうございます、クロエさん。でも、昨日の訓練で属性付与の多重展開に成功しました。……絶対に無理はしません。危ないと思ったら、すぐにリアを連れて逃げ帰ります」
僕が確かな自信を込めて告げると、クロエさんは観念したように深い溜息を吐き、受理の印を書類に押した。
「……分かりました。ですが、くれぐれも無茶は禁物です。……あなたたちがいなくなったら、誰が私の煩雑な書類整理を手伝ってくれるというのですか。……必ず、生きて戻ってくださいね」
クロエさんの(彼女なりの)激励を背に、僕たちは街を後にした。
エルムの街から荒野を北上し、険しい岩山の中腹に穿たれた「黒鉄の廃坑」へと辿り着いた。
かつては王都の繁栄を支える魔導鉱石を産出していたというその場所は、今や湿った苔と冷たい静寂に包まれた、巨大な地下の迷宮と化している。
坑道内に入ると、ひんやりとした空気が肌を突き、壁面に付着した発光苔が青白い不気味な光を投げかけていた。
「なんだか、嫌な空気ですね……。魔力が淀んでいるというか……」
「ああ。閉鎖された空間に、ガーディアンの漏れ出した魔力が蓄積されているんだろうね。リア、足元に気をつけて」
少し進むと、天井の暗闇から無数の赤い眼光が僕たちを見下ろした。
「来ます、シオン様! アイアンバットの群れです!」
金属質の翼を持つ巨大なコウモリが、鋭い金切声を上げながら急降下してくる。その翼は剃刀のような鋭利さを持ち、掠めるだけで石壁をも切り裂く威力を秘めていた。
「リア、左の三体を! 右は僕がやる!」
「了解です! 『炎よ、飛礫となれ――ファイア・ボルト』!」
リアの火球が鮮やかに闇を払い、二体を撃墜する。僕は指先に魔力を集中させ、一度に三つのマジックアローを形成した。
(マジックアローの弾頭に、土属性を付与……。密度を極限まで高めて、質量の重圧を加える!)
放たれた褐色の魔弾は、アイアンバットの硬質な翼を真っ向から粉砕した。単なる魔力の塊ではない。土属性の「重さ」と「硬さ」を物理的に付与された弾丸は、小型の投石機にも匹敵する破壊力で相手の骨格を砕く。
残りの数体も、僕の精密な連射とリアの魔法によって、地面に近づくことすら許されずに片付けられた。
「ふぅ……。道中の魔物でこれですか。やっぱり属性付与は強力ですね。魔弾そのものの性質が変わるだけで、これほど威力が上がるとは」
「ああ。でも、まだ『マジックアロー』という不安定な器の上での話だ。もっと効率よく、魔力消費を抑える工夫が必要だよ」
さらに坑道の奥へと、僕たちは慎重に足を進めた。
進むにつれ、壁には激しい戦闘の跡が目立ち始めた。深く刻まれた斬撃の痕跡、激しい衝撃で砕け散った岩肌。それらは最近つけられたもののようで、まだ新しさを保っている。
「……誰か、先に戦っている人がいるみたいだね」
その直後、坑内の空気が震えるような重低音と、甲高い金属の衝突音が最深部から響いてきた。
「――っ!? 近くです!」
僕たちが空洞に飛び込むと、そこには一体の巨大な『鉄殻のガーディアン』が、侵入者を排除せんとして暴れまわっていた。
漆黒の重装甲に身を包んだその巨体は、一歩踏み出すごとに廃坑全体を揺らすほどの威圧感を放っている。
そして、その怪物の目の前で、一人の銀髪の少女が、ボロボロになった騎士剣を握りしめて立ち向かっていた。
「はぁっ、はぁっ……まだ……まだ、終わらせない……! 私は、魔法剣士なんだから……!」
少女の剣筋は、目を見張るほどに美しかった。一太刀ごとに一切の無駄がなく、流れるような動作でガーディアンの巨大な腕を紙一重で回避し、その隙を突いて完璧なタイミングで首筋に斬撃を叩き込む。
だが、その一撃は、鉄殻の装甲を撫でるような空虚な音を立てるだけだった。
キンッ! キンッ!!
少女の瞳には、鬼気迫るほどの執念と、それ以上に深い絶望が宿っていた。
本来なら、代々伝わる魔法剣士の技で剣に属性を宿らせ、その装甲を熱で溶かし、あるいは雷で内側から焼き切らなければならない。
けれど、彼女の剣には、魔力の輝きが一切なかった。彼女がいかに神懸かり的な剣技を披露しようとも、属性を持たぬただの「鉄」では、古代の守護者の前では無力な玩具に等しい。
「属性が、乗っていない……? あんなに見事な剣技を持っているのに、属性適性がゼロだというのか……?」
僕の呟きと同時に、ガーディアンの巨大な鋼鉄の腕が、回避の体勢が遅れた少女を捉えた。
少女は咄嗟に剣を盾にしてその一撃を受け止めたが、属性の加護無き鋼は、守護者の暴力的な質量の前に耐えきれず、無残にも砕け散った。
火花と共に銀色の破片が美しくも残酷に舞い、武器を失った彼女の体は木の葉のように弾き飛ばされ、硬い壁面へと叩きつけられた。その口から、鮮やかな朱色の血が溢れ出す。
「う、うあぁ……っ!」
ガーディアンが無慈悲に距離を詰め、その巨大な拳を、動けなくなった少女に向けて振り下ろそうとした。
それは、慈悲のない「処刑」の宣告だった。
「リア、最大火力で合わせろ! 『高熱付与』!!」
僕は叫びながら、火属性を極限まで付与したマジックアローを連射した。
それはガーディアンを直接撃ち抜くためではなく、その足元にある岩盤を『加熱して溶かす』ために。
ドォォォン!!
着弾と同時にガーディアンの足元の地面が赤熱した溶岩のように変わり、支えを失った巨体が大きくバランスを崩した。
「なに……!? 地面を……溶かしたの……?」
少女が呆然と、信じられないものを見るかのように目を見開く。
僕は彼女の前に割り込み、咄嗟に『土属性』を多重付与したマジックアローを空中に層状に展開した。
ガガガッ! と火花が散り、腕に激しい衝撃が走る。だが、土の「不壊」を付与された魔力障壁が、ガーディアンの追撃を辛うじて逸らした。
「君、動けるか!? ここは僕たちが引き受ける! リア、トドメだ!」
「任せてください! 『火炎よ、全てを焼き尽くせ――プロミネンス・バースト』!!」
リアの放った劫火が、僕の熱攻撃で装甲に亀裂の入ったガーディアンの心臓部を撃ち抜いた。
断末魔のような軋み声を上げ、鋼鉄の巨体が粉々に崩れ落ちていく。
崩れ落ちた残骸が転がる坑内に、再び静寂が戻った。
少女は、安堵したように騎士剣を落とし、そのまま糸が切れたように崩れ落ちた。
「おい、しっかりしろ! 君、怪我がひどいぞ!」
駆け寄って彼女を抱き上げると、脇腹からの出血がひどく、意識はすでに混濁していた。
泥と血に汚れた銀髪が、僕の腕の中で力なく揺れる。
「……マジック……アロー……なのに……あんな……魔法……。……不思議な……人……」
彼女はそれだけを微かに呟くと、完全に意識を手放した。
「シオン様、急いでギルドへ! この出血、一刻を争います!」
「ああ、分かっている。リア、風の魔法で僕の足を軽くしてくれ。最短距離で戻るぞ!」
僕は少女を背負い、全速力で廃坑を駆け抜けた。
属性を持たぬ魔法剣士。かつての自分とあまりに似た、けれど自分よりも遥かに過酷な戦いに身を投じていた彼女との出会い。
坑道を出たところで降り始めた冷たい小雨の中、僕は彼女の温もりを背中に感じながら、光の漏れるエルムの街へと走り続けた。
この出会いが、僕の、そして彼女の運命を永遠に変えてしまうことを、この時の僕はまだ、予感することしかできなかった。




