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第4話 名もなき古書と、重なり合う日常

読んでくださっている方はいるのか・・・

 エルムの街に朝の光が差し込む頃、僕は香ばしいパンの匂いと、リズミカルに何かを切る包丁の音で目を覚ました。


 六畳一間の安宿。

 かつてルミナス家の屋敷で使っていた寝室の、十分の一にも満たない狭い空間だ。

 けれど、備え付けの小さな魔導コンロの前に立ち、楽しそうに朝食の準備をするリアの背中を眺めていると、ここが世界で一番心地よい場所に思えてくる。


「あ、おはようございます、シオン様。昨日はよく眠れましたか?」


「おはよう、リア。すごくいい匂いだね」


「ふふ、昨日の報酬で卵とベーコンが買えたんです。さあ、冷めないうちに召し上がってください」


 小さな木製のテーブルを二人で囲む。

 リアが淹れてくれた温かいお茶を啜りながら、僕はこれからの予定を頭の中で整理した。


「リア、体調はもう完全にいいんだよね?」


「はい! 魔力もすっかり回復しましたし、いつでも戦えます!」


「分かった。それじゃ、今日は二人で初めての『共同依頼』を受けに行こう。これまでは僕一人だったから安全な雑用ばかり選んでたけど、君がいれば少しランクを上げた依頼も受けられるはずだ」


「シオン様と一緒の依頼・・・! はい、精一杯お守りします!」


 やる気満々に拳を握るリアを微笑ましく思いながら、僕たちは宿を出た。


 冒険者ギルドは、朝から多くの依頼人で活気づいていた。

 カウンターの奥で忙しそうに書類を捌いていたクロエさんは、僕たちの姿を見つけると、少しだけ呆れたような、けれど安心したような溜息を吐いた。


「おはようございます、シオンさん。・・・それと、リアさんも。相変わらず仲がよろしいことで」


「おはようございます、クロエさん。今日からリアも一緒に冒険者活動を始めようと思いまして」


「そうですね。リアさんの実力(三属性)なら、本来は最初からCランク相当でもおかしくないのですが・・・規約上、まずはシオンさんと一緒にFランクからのスタートになります。でも、二人なら達成できる依頼の幅は一気に広がりますよ」


 クロエさんはそう言って、いくつかの依頼書を提示してくれた。


「おすすめはこれ、『薄暮の森での銀露草の採取』。森の入り口付近ならモンスターも弱いですし、報酬もそれなりです。・・・あ、それとシオンさん」


 彼女は周囲に聞こえないよう、少しだけ声を落として僕を手招きした。


「昨日の夕方、街の広場に古書専門の露店が出ているのを見かけました。魔法関連の古い文献も混じっているみたいですよ。シオンさん、確か昔の術式に興味があるって仰ってましたよね?」


「古書の露店・・・ですか。それは気になりますね。依頼の前に少し寄ってみます。ありがとうございます」


 ギルドを後にし、僕たちは広場の隅に設置された小さな露店へと向かった。

 そこには、持ち主の性格を反映したような、雑多で埃っぽい古本が山積みにされていた。


「いらっしゃい。どれでも一冊銅貨五枚だよ。掘り出し物があるかは運次第だね」


 居眠り半分で椅子に座る店主の許可を得て、僕は並べられた本に視線を走らせた。

 その多くは、平民向けの読み物や、効果の薄い民間療法をまとめたものだ。けれど、その山の一番下、煤けて真っ黒になった一冊の小さな本に、僕の魔力感覚が鋭く反応した。


(・・・何だろう、この感覚。属性が定まっていないような、ひどく不安定で、けれど膨大な魔力の残滓を感じる)


 僕はその本を手に取った。

 表紙の文字は擦り切れて読めない。ページをめくってみても、そこには現代の魔法文字とは明らかに異なる、記号とも図形ともつかない複雑な紋様が並んでいた。


「あぁ、それかい? どこかの廃村の井戸で見つかった代物でね。誰も読めないから、ただの落書き帳だと思ってたんだが・・・兄ちゃん、それがいいのかい?」


「ええ、少し興味があるので。これをください」


 僕は銅貨五枚を支払い、その古本を鞄に仕舞った。

 リアが不思議そうな顔で覗き込んでくる。


「シオン様、そんなボロボロの本が珍しいんですか?」


「何かな、自分でもよく分からないんだ。でも、これに書いてある図形が、僕がいつも練り上げているマジックアローの魔力構成に、少しだけ似ている気がしてね」


「マジックアローに・・・? でも、あれはただの弾丸ですよね?」


「そう、現代ではね。・・・さあ、行こうか。あまり遅くなると森の空気が変わってしまう」


 エルムの街から徒歩で一時間。

 『薄暮の森』は、その名の通り日中でも薄暗く、ひんやりとした霊気が漂う場所だった。

 ここは低級モンスターの住処として知られているが、同時に高価な薬草の宝庫でもある。


「シオン様、あそこに銀露草があります!」


 リアが指差した先、大木の根元に、月の光を浴びたように銀色に輝く小さな草が群生していた。

 僕たちは周囲の警戒を怠らず、丁寧に薬草を摘み取っていく。


「これで半分くらいかな。よし、次を――」


 その時。

 森の奥から、空気を切り裂くような鋭い咆哮が響いた。


「――っ! シオン様、下がってください!」


 リアが瞬時に僕の前に出た。

 藪を薙ぎ倒しながら現れたのは、本来この森の外縁部には現れないはずの強力なモンスター――『シャドウウルフ』の群れだった。


 体長二メートルを超える巨体。影のように暗い毛並みに、血のように赤い瞳。

 それが三頭。彼らは僕たちを獲物と定め、低く唸りながら包囲網を狭めてきた。


「シャドウウルフ・・・。Fランク依頼で出てくる相手じゃない。リア、無理はしないで」


「大丈夫です。シオン様は私が守ります!」


 リアが杖を掲げ、術式を展開する。


「『火炎よ、螺旋を成せ――火蛇フレイム・スネーク!』」


 彼女の三属性適性の一つ、火魔法が発動した。

 杖の先から放たれた炎が、生き物のようにのたうちながら一頭のウルフに襲いかかる。

 三属性持ちのリアが放つ魔法は、現代の基準では十分に一流だ。炎はウルフの影を焼き払い、大きなダメージを与えた。


 けれど、相手は群れだった。

 一頭が炎に巻かれている隙に、残りの二頭が死角から、信じられない速度で跳躍した。


「リア、左だ!」


「――っ!? 間に合わない・・・!」


 リアが反射的に風魔法で盾を作ろうとするが、一瞬遅い。

 鋭い爪が彼女の喉元に迫る。


 その瞬間。


「――『マジックアロー』」


 空気を震わせることもない、静かな呟き。

 放たれたのは、現代魔法では「最弱」とされる無色の魔弾。

 けれど、それは放たれた瞬間、空中で三つに分裂し、それぞれが意思を持っているかのような鋭い曲線を描いて飛んだ。


 バシュッ、バシュッ!


 狙い違わず、二頭のシャドウウルフの眉間を魔弾が貫いた。

 ただの弾丸ではない。僕はマジックアローの魔力密度を極限まで高め、着弾の瞬間に内部で魔力を暴走させる「精密制御」を施していた。

 とはいえ、それはあくまで基礎魔法の域を出ない工夫だ。三属性を使いこなすリアの派手な魔法に比べれば、地味で効率の悪い戦い方であることに変わりはなかった。


「・・・助かりました、シオン様。でも、今のは・・・」


 リアが驚愕の眼差しで僕を振り返った。

 マジックアローを空中で分裂させ、それぞれに異なる軌道を描かせる。そんな芸当、普通は思いつきもしないし、できたとしても労力に見合わない。


「属性魔法を使えないからね。これくらい必死に制御を詰めないと、この世界では生きていけないんだ」


「工夫なんてレベルじゃありませんよ・・・。でも、シオン様がいてくれて良かったです」


 リアは少しだけ悔しそうに、けれど誇らしげに微笑んだ。

 無事に銀露草を採取し終えた僕たちは、討伐したシャドウウルフの巨体を引きずりながら、夕暮れに染まるエルムの街へと戻った。


 本来、Fランクの冒険者が手を出していい相手ではない。ギルドの入り口をくぐった瞬間、酒場にいた冒険者たちの視線が一斉に凍りついた。


「おい、冗談だろ・・・? あれ、シャドウウルフじゃないか?」

「しかも三頭も・・・。どこの上位パーティが仕留めたんだ?」


 ざわつく中、僕たちは受付カウンターへと向かった。

 書類を整理していたクロエさんは、僕たちがカウンターの前に置いた「獲物」を見て、持っていたペンをポトリと落とした。


「・・・シャドウウルフ。しかも、この綺麗な傷口・・・。シオンさん、これ、本当にあなたたちが?」


「はい。採取中に襲われたので、返り討ちにしました。依頼外の獲物ですけど、買い取ってもらえますか?」


 僕が淡々と答えると、背後から下品な笑い声が響いた。


「ハッ! 返り討ちだと? 笑わせるんじゃねえよ、もやしっ子が!」


 振り返ると、そこには昨日の登録時にも難癖をつけてきたボルグの連中が、酒の入ったジョッキを片手に立ちはだかっていた。


「おいおい、見ろよ。このガキ、マジックアローしか使えねえFランクだぜ? そんな奴がシャドウウルフ三頭を相手に生きて帰れるわけがねえ」


「だよなぁ。どうせ、そこの三属性持ちのメイドさんが一人で片付けたんだろ? 坊ちゃんは後ろで震えながら、死体を引きずるのを手伝っただけってところか」


 ボルグの仲間たちが、僕を指差してゲラゲラと笑う。

 周囲の冒険者たちも、その言葉に納得したように「ああ、なるほど」「三属性ならあり得るな」「男の癖にメイドに守らせるなんて情けねえ」と、嘲笑混じりの視線を向けてきた。


「違います! シオン様は――!」


 リアが顔を真っ赤にして杖を構えようとしたが、僕はその肩を優しく押さえて制した。


「いいんだ、リア。事実、君が一頭を仕留めてくれたのは本当だし、僕たちが無事ならそれでいい」


「でも、シオン様! こいつら、何も知らないくせに・・・!」


「ふん、謙虚なこった。まぁ、実力に見合わねえ手柄を自慢して、後でモンスターに食われるよりはマシかもな」


 ボルグは僕の鼻先で鼻を鳴らし、仲間の元へと戻っていった。

 リアはまだ収まらない様子で彼らを睨みつけていたが、僕はクロエさんに視線を戻した。


 クロエさんは、ボルグたちの言葉を真に受けている様子はなかった。

 むしろ、彼女の眼鏡の奥の瞳は、鋭くシャドウウルフの死体を観察していた。


「・・・三頭のうち二頭。眉間を一点、正確に貫かれていますね。火魔法のような爆発的な破壊ではなく、魔力を極限まで一点に集中させた、極めて鋭利な一撃の跡です」


 彼女は独り言のように呟き、それから僕をじっと見つめた。


「リアさんの火魔法の威力は把握しています。・・・でも、この二頭の仕留め方は、彼女の魔法とは明らかに性質が違います。シオンさん、あなた、本当に『運が良かっただけ』だと言い張るつもりですか?」


「・・・さて、どうなんでしょうね」


 僕はあえて曖昧に微笑み、報酬を受け取った。

 クロエさんは「はぁ・・・」と深い溜息を吐き、それ以上は追求してこなかった。


「・・・ふふ。分かりました、今はそういうことにしておきましょう。でも、シオンさん。あまりに謙虚すぎるのも、かえって目立ってしまうかもしれませんよ? いつかシオンさんの本当の『工夫』、ランクアップ試験で見せてもらえるのを楽しみにしていますね」


「考えておきます。ありがとうございます、クロエさん」


 ギルドを出た後、背後から再び冒険者たちの笑い声が聞こえてきたが、今の僕にはそんなことはどうでもよかった。

 大切なのは、リアを守るための力と、この街で生きていくための糧だ。


 宿へと戻り、夕食を済ませ、リアが眠りについた後。

 僕は一人、窓辺の月明かりの下で、昼間買った例の古本を広げた。


 不思議なことに、この本に込められた微かな魔力の波動が、僕の体内の「全属性の魔力」と共鳴しているのを感じる。

 父上は、現代の魔法使いは一つの属性に特化することで効率を高めていると言っていた。けれど、この本に記されているのはその逆だ。火、水、風、土、光、闇・・・それら全ての属性が、まるで複雑なパズルのように絡み合っている。


(・・・ひょっとしたら、一属性に特化した普通の人には、これがただの魔力の『雑音』にしか見えないのかもしれない。でも、全属性を等しく持っている僕の魔力が混ざると、不思議とこの絡まりが解けて、意味を持ってくる気がする)


「・・・これは、攻撃の術式じゃない。・・・『付与エンチャント』か?」


 ページをめくる手が止まらない。

 そこに記されていたのは、物質や術式に対して属性の性質を上書きする、古代の付与魔法の極意だった。


 現代の付与魔法は、武器を一時的に熱くしたり、硬くしたりする程度の補助的なものだ。

 しかし、この古書に記された術式は、対象となる魔法そのものに属性を「接合」させるという、失われた概念。


「これなら・・・僕にもできるかもしれない」


 僕は指先を掲げ、意識を集中させた。

 練り上げるのは、いつものマジックアロー。何の変哲もない、ただの無色の魔力弾だ。

 そこに、本から学んだ古代の付与術式を重ねていく。


(古代の術式を介して、僕の持つ属性魔力をマジックアローに『乗せる』・・・!)


 指先に形成された、いつもの無色の魔弾。

 そこに水属性の魔力を流し込むと、無機質だった魔弾はパキパキと凍てつく音を立て、鋭い氷のつぶてへと変貌した。

 この世界には、氷や雷を操る魔法は既に存在する。けれど、それらは適性がある者が直接生み出すものだ。


「・・・できた。これなら、僕でも属性を扱える」


 僕には火球を放つことはできない。けれど、放ったマジックアローに火属性を付与し、高熱を帯びた弾丸へと『変える』ことはできる。

 マジックアロー自体は、十年間使い古した、ただの基礎魔法だ。

 しかし、そこに古代の付与魔法という技術が加わったことで、僕の戦い方は劇的に変わる。


 シオン・ルミナス。

 最弱と呼ばれた少年が、全属性適性という唯一無二の鍵を使い、歴史から消された『古代付与魔法』の扉を開いた瞬間だった。


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