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第3話 街の便利屋と、予想外の再会

 冒険者の街エルムでの生活が始まってから、一週間が経過した。

 僕は、今のところ一度もモンスター討伐の依頼を受けていない。


 代わりに僕がこなしてきたのは、ギルドの依頼板の下隅に追いやられているような、いわゆる「雑用」の数々だ。

 『裏路地のゴミ掃除』『枯れ井戸の再起動』『商家の倉庫の害虫駆除』『家主が亡くなった後の屋敷の火種整理』・・・どれも報酬は雀の涙ほどで、まともな冒険者なら見向きもしないような小規模な依頼ばかりだ。


 けれど、僕にとってこれらは、自分の「全属性の生活魔法」と「精密な魔力制御」を試すための、格好の訓練場だった。


「――ふぅ、これでよし。お婆さん、もう詰まりは解消されたよ」


 街の裏路地にある古い共同住宅。

 水路が詰まって困り果てていた老婦人の前で、僕は指先から細い水の槍を放ち、蓄積していたヘドロを一気に押し流した。

 ただ水を出すだけではない。水圧を極限まで高め、管を傷つけないように内壁だけを削ぎ落とす。これは生活魔法とマジックアローの制御技術を応用した、僕なりの精密作業だ。


「あらまぁ! 業者の人でも三日はかかるって言われたのに、たった十分で・・・。シオンさん、あなたは本当に魔法使いの鏡ねぇ」


「そんな大げさだよ。困った時はお互い様さ」


 僕は老婦人から感謝の言葉と、お礼にと手渡された温かい蒸しパンを受け取った。

 報酬はギルドを通じて支払われるわずかな銅貨だけだが、こうして直接感謝されるのは、王都で「無能」と蔑まれていた頃には決して味わえなかった感覚だ。


 僕は軽やかな足取りでギルドへと向かった。

 夕暮れ時のギルドは、今日も一日を終えた冒険者たちで賑わっている。


「お疲れ様です、シオンさん。今日もたくさんの依頼をこなしてくださったみたいですね」


 カウンターに足を運ぶと、クロエさんがいつもの穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 彼女はこの一週間、僕が受ける雑多な依頼をすべて把握しており、時折「それはシオンさんに向いているかもしれません」とアドバイスまでくれるようになっていた。


「はい、街の北側の水路掃除と、東通りの街灯への魔力充填。それからギルドの倉庫整理ですね」


「ふふ、シオンさんが来てから、街の苦情が目に見えて減っているんですよ。本来、魔法使いはもっと派手な依頼を好むものですけど、あなたのように生活魔法を完璧に使いこなす方は、この街ではとても貴重な存在です」


 クロエさんは書類にスタンプを押し、報酬の硬貨を並べた。

 その額は、モンスター一匹倒すよりもはるかに少ない。けれど、地道に積み重ねてきたそれは、僕がこの街で生きていくための確かな糧となっていた。


「でも、シオンさん。あなたはもっと上位の依頼だって受けられるはずです。いつまでも雑用ばかりではもったいない気がしますけど?」


 クロエさんが眼鏡を押し上げ、少しだけ不思議そうな眼差しを僕に向けた。

 彼女は、僕が登録時に見せた(抑え気味の)魔力量でも、もっと効率よく稼げる方法があると考えているのだろう。


「今はこれでいいんです。自分の魔法が誰かの役に立つのを実感できるのが、今は何より楽しいですから」


「・・・そうですか。シオンさんらしいですね」


 彼女は優しく目を細め、それ以上は何も言わなかった。

 ギルドを出ようとした時、不意に背後で大きな騒ぎが起きた。


「おい、待て! 誰か、癒術師を呼べ! 入口にボロボロの女の子が倒れてるぞ!」


 その声に、ギルド内が一気に騒然となる。

 僕は心臓がドクンと大きく跳ね上がるのを感じた。

 得体の知れない予感に突き動かされるように、僕は人混みを掻き分けて入口へと走った。


「どいてくれ! 通してくれ!」


 冒険者たちの隙間から見えたのは、石畳の上に力なく横たわる、一人の少女の姿だった。

 埃にまみれ、所々が破れたメイド服。

 かつて艶やかだったはずの黒髪は乱れ、その顔は蒼白でひどく疲れ切っている。


「・・・リア!?」


 僕は叫び、彼女の元へと駆け寄った。

 周囲の冒険者たちが困惑する中、僕は彼女の体を抱きかかえる。

 冷たい。彼女の体は、限界を超えて歩き続けてきたせいか、驚くほど冷え切っていた。


「リア! 目を開けてくれ! リア!」


「・・・ぁ・・・し、おん・・・さま・・・?」


 彼女の瞼が、かすかに震えて開いた。

 焦点の合わない瞳が僕を捉えた瞬間、彼女の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した


「よかっ・・・た・・・。やっと・・・会えま・・・した・・・」


 そのまま、彼女は安心したように意識を失った。

 僕は彼女を抱き上げ、ギルドの奥へと運ぼうとしたが、そこへクロエさんが駆け寄ってきた。


「シオンさん、彼女は知り合いですか!? すぐに二階の医務室へ! ギルド専属の治癒師を呼びます!」


「お願いします、クロエさん!」


 クロエさんの迅速な手配により、リアはすぐに治療を受けることができた。

 幸いなことに、外傷は少なく、主な原因は極度の疲労と魔力の枯渇だということが分かった。


 数時間後。

 西日が差し込む医務室のベッドで、リアが静かに目を覚ました。

 傍らで見守っていた僕に気づくと、彼女は今度こそ、僕の名前をはっきりと呼んだ。


「シオン様・・・」


「リア、無理に動いちゃダメだ。ここはエルムのギルドだよ。もう大丈夫だ」


 僕は彼女に温かいスープを差し出した。生活魔法で適温に温め、栄養を凝縮したものだ。

 彼女はそれを数口飲み、少しだけ顔色を取り戻すと、僕に語り始めた。

 僕が去った後、ルミナス家で何が起きたのかを。


「シオン様が去られた後、旦那様は・・・私を、バルカス子爵という方の元へ送ろうとしたのです」


 リアの声は、怒りと悲しみで震えていた。

 バルカス子爵。あの女癖の悪い老貴族の名前を聞いた瞬間、僕の心の中に、今まで感じたことのないような激しい怒りが沸き上がった。

 僕は、彼女には才能があるから屋敷で大切にされるだろうと信じていた。それなのに、あの一族は、僕が救ったリアを「商品」として扱うことしか考えていなかったのだ。


「私は・・・どうしても嫌でした。シオン様以外の誰かに仕えるなんて、死んでも嫌だったんです。だから、その日の夜、監視の目を盗んで屋敷をこっそり抜け出しました」


「不眠不休で・・・? リア、君は三属性を使えるとはいえ、王都からエルムまでの距離を一昼夜で駆け抜けるなんて、なんて無茶をしたんだ。僕は三日かけて着実に歩いてきたのに・・・」


「必死だったんです。シオン様に少しでも早く追いつきたくて、一秒も休まず、風魔法で無理やり足を動かして街道を走り続けました。魔力が底を突き、意識が飛びそうになっても、シオン様に会うまでは止まっちゃいけないって思って・・・それから、必死に辿り着いたんです」


 王都からエルムまで、馬車でも数日はかかる距離だ。

 それを、十四歳の少女が一人、モンスターの潜む街道を歩いてきたというのか。

 彼女がどれほどの恐怖と絶望の中にいたのかを想像し、僕は彼女の手を強く握りしめた。


「ごめん、リア。僕が君を信じて置いてきたせいで、辛い思いをさせたね」


「いいえ、シオン様。私は幸せです。こうして、またあなた様の側にいられるのですから」


 リアは、弱々しくも幸せそうな笑顔を浮かべた。

 その笑顔を守るためなら、僕はなんだってしようと思った。


 そこに、クロエさんが静かに部屋に入ってきた。

 彼女は二人の様子を見て、少しだけ複雑そうな、けれど温かい眼差しを向けた。


「事情は概ね分かりました。シオンさん、彼女をこのまま放っておくわけにはいきませんよね?」


「はい。彼女は僕にとって、大切な人です。これからは、僕が彼女を守ります」


 僕の言葉に、リアが顔を真っ赤にして俯いた。

 クロエさんはそれを見て、少しだけ慌てたように髪を弄った。


「・・・そ、そうですか。大切な人、ですか。まぁ、あれだけボロボロになって追いかけてきたんですものね。シオンさん、宿はどうするつもりですか? 彼女を連れて、今の不衛生な安宿というわけにはいかないでしょう」


 確かに、僕が今泊まっているのは、独り身の冒険者が寝るだけの、お世辞にも綺麗とは言えない宿だ。

 女性を、ましてや体力の落ちているリアを泊まらせる場所ではない。


「一週間雑用をこなして、少しだけお金は貯まりました。もっとマシな宿を探してみます」


「それなら、私の知り合いが経営している宿を紹介しましょうか? 治安もいいですし、食事も美味しいですよ。ただ・・・」


 クロエさんは少しだけ言い淀んだ後、僕の顔をじっと見つめた。


「シオンさんの今の稼ぎだと、二部屋借りるのは少し厳しいかもしれません。・・・同じ部屋で、生活することになりますけど、大丈夫ですか?」


「僕は構いません。元々、屋敷でもリアには身の回りの世話をしてもらっていましたし。リアはどう?」


「わ、私は・・・シオン様と同じお部屋にいられるなら、それだけで、その・・・うれしい、です」


 リアはさらに赤くなって、蚊の鳴くような声で答えた。

 クロエさんはそれを聞いて、何故か「えっ!? あ、あぁ、そうですか・・・。元から主人とメイドですもんね。そ、それにしても・・・」と独り言を呟き、少しだけ慌てた様子で窓の外を眺めた。


「・・・ま、まぁ、とにかく! 健康管理には気をつけてくださいね。シオンさん、明日からはもっと稼いでもらわないと困りますから」


「はい。頑張ります」


 こうして、僕とリアの、エルムでの共同生活が始まった。

 六畳一間の狭い部屋での生活だったが、僕にとってはルミナス家の広大な自室よりも、ずっと温かく、居心地の良い場所だった。


 リアは、体が回復するとすぐに僕の身の回りの世話を始めた。

 家事全般が得意な彼女が加わったことで、僕の生活は劇的に改善された。

 朝起きたら温かい朝食があり、帰ってきたら清潔な部屋と、彼女の「お帰りなさいませ、シオン様」という声がある。


「アレン様、今日の依頼は何にしましょうか?」


「そうだね、今日は少し遠出して、薬草採取にでも行こうか」


 二人の運命の歯車が、エルムの街で大きく回り始めていた。

 僕はこの時まだ知らなかった。

 この何気ない日常が、やがて世界を揺るがす戦いへと繋がっていくことを。


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