第2話 自由への一歩と、偽りの登録
王都を出てから三日。
僕は、果てしなく続く街道を一人で歩き続けていた。
背負った鞄の中身は相変わらず軽いけれど、僕の心は驚くほどに軽やかだった。
これまでの十五年間、僕は常に「隠された期待」に押し潰されそうになりながら生きてきた。
父上が家族だけの秘密とした「全属性適性」という重すぎる真実。
外部にはその詳細は伏せられながらも、「ルミナス家最高の天才」という虚像だけが独り歩きし、周囲は僕が何でもできる神童であると信じて疑わなかった。
その期待が、実戦で属性魔法を使えないと判明した瞬間に、刃のような失望と蔑みに変わったのだ。
けれど今、僕の目の前にあるのは、誰の目も、期待も、失望もない、ただどこまでも続く砂利道と、自由な風に揺れる名もなき草花だけだ。
「・・・ふぅ。一人で歩き続けるのは、思ったより堪えるな」
街道の脇にある手頃な岩に腰を下ろし、僕は鞄から水筒を取り出した。
中身は、昨夜の野営で川から汲み、生活魔法で濾過した水だ。一口飲むと、冷たさが五臓六腑に染み渡る。
王都から離れるほど、空気はより野生の匂いを帯びてくる。
時折、街道の脇からモンスターの気配を感じることもあるが、今のところ大きなトラブルには見舞われていない。
ガサリ、と。
背後の茂みが不自然に揺れた。
僕は反射的に立ち上がり、指先に意識を集中させた。
今の僕にとって、唯一の攻撃手段は、この十年間必死に練り上げてきたこれだけだ。
「キィィィィッ!」
茂みから飛び出してきたのは、この辺りでは珍しくない下級のモンスター――フォレストラットだ。
通常のネズミよりも二回りほど大きく、鋭い牙を持つ。一匹なら子供でも追い払える程度の雑魚だが、今の僕にとっては油断できない相手だった。
僕は最短の術式で魔弾を形成する。
「『マジックアロー』」
放たれた無色の魔弾が、フォレストラットの足元に着弾して土煙を上げた。
当たらない。属性の追尾性能も、爆発的な範囲攻撃もないマジックアローは、標的に直撃させなければ何の価値もないのだ。
「キィッ!」
威嚇するように飛びかかってくるネズミに対し、僕は二発、三発と魔弾を連射する。
ようやくその内の一発が、空中でモンスターの胴体を捉えた。バシュッという鈍い音とともに、フォレストラットは地面に叩きつけられ、数度痙攣した後に動かなくなった。
「・・・はぁ、一匹倒すのにも一苦労だ」
僕は額の汗を拭った。
属性魔法を使える魔法使いなら、指先から火花を散らすだけで一瞬で片付く相手だろう。僕のマジックアローは、十年間練り上げてようやく「人並みに動く標的に当てられる」というレベルに達したに過ぎない。
威力も、速度も、攻撃手段としての効率は最悪だ。
けれど、今の僕にはこれしかない。これを磨き続ける以外に、生きていく道はないのだ。
僕は再び歩き出した。
目指すのは、王都から南西に位置する冒険者の街「エルム」。
そこは複数の迷宮や未開拓の森に囲まれ、実力さえあれば出自に関わらず生きていける自由の街だと聞いている。
それから、じりじりと照りつける太陽の下をどれほど歩いただろうか。
足の裏にじんわりとした痛みを感じ始めた頃、視界の先についに巨大な石造りの門が見えてきた。
王都のような洗練された美しさはないが、重厚で無骨なその姿は、荒事の多い街ならではの逞しさを感じさせる。
門をくぐると、そこには熱気と喧騒が渦巻いていた。
立ち並ぶ屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いやスパイスの香りが漂い、行き交う人々は皆、背中に武器を担いだり魔法の杖を手にしていたりと、血気盛んな雰囲気を隠そうともしない。
「ここが、エルムか・・・」
僕は、ようやく新しい人生のスタートラインに立った実感を噛み締めた。
まずすべきことは決まっている。冒険者ギルドへの登録だ。
街の中央広場に面した、一際大きな建物。
そこには剣と杖が交差した紋章が掲げられていた。「冒険者ギルド・エルム支部」。
僕は大きく深呼吸をして、その重い木製の扉を押し開けた。
中に入った瞬間、突き刺すような視線がいくつも僕に向けられた。
広い酒場スペースにたむろしている冒険者たちが、新顔の登場を値踏みしているのだ。
上等な布地の服を着ただけの、どこからどう見ても育ちの良さそうな少年が入ってきたのだから、彼らにとっては格好の「ひ弱な新人」に見えるのだろう。
「おいおい、どこの坊っちゃんだ? 王都から家出でもしてきたのか?」
「そんな綺麗な手で、モンスターを殺せるのかよ」
あちこちから嘲笑が聞こえてくるが、僕は無視して受付カウンターへと向かった。
カウンターにはいくつかの窓口があったが、僕は一番端に座っている女性のところへ足を止めた。
そこにいたのは、艶やかな茶髪をポニーテールにまとめ、知的な眼鏡をかけた女性だった。
年は僕より二、三歳上だろうか。穏やかな微笑みを浮かべている。
「いらっしゃいませ。ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「初めまして。冒険者の登録をお願いしたいんですが」
「あら、新規登録ですね。かしこまりました。私は受付のクロエと申します。それでは、まずはこちらの用紙に必要事項の記入をお願いします。お名前、年齢、そして扱える魔法などを教えていただけますか?」
クロエさんは丁寧に書類を差し出した。
僕はペンを取り、慎重に記入していく。
名前、シオン。
年齢、十五歳。
そして「属性」の欄。
僕は家族との約束を思い出した。全属性のことは、決して外部に漏らしてはならない。
僕は迷わず「無属性(マジックアロー、生活魔法のみ)」と記入した。
書類を返すと、クロエさんは内容に目を通し、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「シオンさん・・・無属性、ですか。攻撃魔法がマジックアローだけとなると、最初は少し苦労されるかもしれませんね。この街の周辺はモンスターも手強いですから」
「分かっています。地道に頑張ります」
「ふふ、その意気ですよ。それでは、最終確認としてこの水晶に手を触れてください。魔力量を測定します」
僕は水晶に手を置いた。
その瞬間、僕は意識的に魔力の流れを「抑え込んだ」。
名門ルミナス家での厳しい訓練のおかげで、僕は自分の魔力を極限まで内側に封じ込める技術を身につけている。
水晶は、ぼんやりとした、力のない淡い光を放つに留まった。
「・・・魔力量は、標準よりも少し低い、といったところでしょうか。ランクは一番下の『F』からのスタートとなります」
「登録完了です。シオンさん、ようこそエルムへ。無茶はしないでくださいね。最初は街の中の雑用依頼から始めるのをお勧めします」
「ありがとうございます、クロエさん」
僕はギルド証を受け取り、一礼した。
正体はバレていない。魔力も偽装できた。
周囲の冒険者たちからも「やっぱりただの無能か」という冷めた空気が漂い、彼らの興味はすぐに失われたようだった。
ギルドを出ようとした時、背後のテーブル席から大きな物音がした。
「おい、待てや小僧! 貧相な魔力で冒険者なんて、命を捨てに来たのか?」
中堅らしき冒険者が僕の前に立ちはだかった。
彼は大きな斧を肩に担ぎ、下卑た笑いを浮かべている。
「・・・僕は僕のやり方でやっていきますから、放っておいてください」
「あぁ!? 減らず口を叩きやがって――」
「そこまでにしてください、ボルグさん」
カウンターの奥から、クロエさんの静かだが鋭い声が響いた。
彼女は笑顔のままだが、その瞳の奥には有無を言わせぬプレッシャーが宿っている。
「ギルド内での私闘は禁止です。新人をいじめて憂さ晴らしをするなら、代わりに私が訓練のお相手をしましょうか?」
「ひ、ひぃっ! す,すみませんクロエさん! 冗談ですよ!」
ボルグと呼ばれた男は慌てて逃げ去っていった。
クロエさんは満足げに頷くと、僕に向かって小さく手を振った。
「それでは、良い冒険を!」
僕は苦笑いしながらギルドを後にした。
とりあえず、目立たずに登録を済ませるという目的は達成できたようだ。
一方、その頃。
僕が去った後のルミナス家では、一人残されたリアへの非情な宣告が下されていた。
「・・・いいか、リア。孤児であったお前を拾い、我が家で今日まで食べさせてやったのはルミナス家の多大なる温情だ」
僕の父親であるゼノスの冷酷な声が、薄暗い廊下でリアに浴びせられていた。
リアは床に膝をつき、必死に涙を堪えている。
「あのシオンという不用品のために泣き続けるなど、恩知らずも甚だしい。お前には、その三属性の才能を有効に活用してもらう道を用意してある。西の辺境を治めるバルカス子爵が、お前をぜひにと望んでいるのだ。ルミナス家への借りを、その身で返してもらう」
バルカス子爵。
女癖の悪い変態として知られる老貴族への『献上』。
シオンは「三属性を持つ彼女なら、屋敷で立派に魔法騎士への道が開けるはずだ」と信じて彼女を置いてきたが、実家の人間にとって、彼女はシオンの所有物から「ルミナス家の資産」へと格下げされたに過ぎなかった。
リアの顔から、一気に血の気が引いていく。
僕がいなくなったルミナス家で、彼女を護る盾はもうどこにも存在しなかった。




