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第11話 再起の一振り、古の付与

 エルムの街を囲む広大な森林――通称『深緑の回廊』。

 陽光が幾重にも重なる木々の葉に遮られ、幻想的な木漏れ日が地面をまだらに照らしている。空気は湿り気を帯び、時折、遠くで魔物の咆哮が木霊していた。

 三人のパーティとして初めて受ける依頼。その緊張感は、かつて王都で過ごした退屈な日々とは比べものにならないほど、僕の胸を強く叩いていた。


 職人通りで購入したばかりの装備の感触を確かめながら、僕たちは森の奥へと進む。

 先頭を行くのはアイリスだ。彼女の背中は、数日前の絶望に沈んでいた時とは見違えるほど凛としており、腰に差した『黒鋼の長剣』が歩みに合わせて規則正しく音を立てている。その後ろをリアが杖を抱えて警戒し、僕が最後尾から全体を把握する。


「……来ますよ、お二人とも。左前方、三体!」


 パーティの最後尾で、鋭い魔力感知能力を研ぎ澄ませていたリアが警告を発した。

 同時に、茂みが激しく揺れ、灰緑色の毛並みを持った巨大な狼たちが姿を現す。フォレストウルフ――森林の魔力をその身に宿し、鋼鉄のような硬度の毛皮を持つDランクの魔物だ。その素早さと、魔法に対する高い耐性から、新米冒険者にとっては最初の難関と言われている。


「よし……。アイリス、準備はいいかい?」


「……うん。いつでもいける」


 アイリスは迷いのない動作で黒鋼の長剣を抜き放った。

 装飾の一切ない、実用性のみを追求した真っ黒な刃が、木漏れ日を浴びて鈍く光る。彼女は基礎鍛錬で磨き上げた理想的な低姿勢の構えを取り、静かに息を整えた。属性魔法による身体強化の恩恵を一切受けず、純粋な筋肉と神経の連動だけで、彼女は森の静寂に溶け込むような集中力を発揮している。


 ガルルッ……!


 先頭の一体が、地を蹴って跳躍した。鋭い爪がアイリスの喉元を狙って閃く。

 だが、アイリスの動きの方が一瞬早かった。


 一歩。最短距離の踏み込み。

 黒い閃光が空を裂き、狼の胴体を真っ向から迎え撃つ。

 その剣筋には一切の淀みがなかった。何万回、何十万回と繰り返された素振りの記憶が、彼女の腕を、足を、そして刃を導いている。


 ガギィィィッ!!


 激しい金属音が森の静寂を切り裂いた。

 アイリスの剣撃は正確に狼の脇腹を捉えていた。並の魔物なら一刀両断にしているはずの、凄まじい衝撃力。しかし、フォレストウルフの毛皮に刻まれた森林魔法の加護が、物理的な斬撃を無慈悲に弾き返した。


「……っ、やっぱり、硬い……!」


 アイリスの手首に強烈な反動が走る。

 彼女はすぐさま後方に跳んで距離を取ったが、狼はわずかに毛皮を切り裂かれた程度で、再び低い姿勢で唸り声を上げている。

 属性を持たないアイリスの剣は、どれほど鋭く、どれほど技術が完成されていても、魔法という『世界の理』の壁を突破することができない。それが、この世界の残酷なルールだった。


「私の出番ですね! 『フレイム・ラ……」


「待って、リア! 魔法での直接攻撃は控えてくれ。……アイリスの剣に、僕の魔法を乗せるんだ」


 僕は叫びながら、アイリスの背後に詰め寄り、彼女の肩へと手を置いた。

 これから行うのは、バロンさんが「天地がひっくり返ってもあり得ない」と断じた、失われた古代の技術。


 ――全属性適性。

 それは単にすべての属性魔法を使えるという意味ではない。万物を構成する属性の『理』を理解し、自在に干渉できるということだ。


 僕はアイリスの肩越しに、彼女が握る黒鋼の長剣へと右手をかざした。


「アイリス、剣を動かさないで。……すぐ終わる」


「シオン……? ……分かった、信じる」


 アイリスが動きを止めた。その一瞬の隙を逃さず、残りの二体が左右から同時に襲いかかる。


「させません! 『ウィンド・シールド』!!」


 リアが放った旋風の盾が、狼たちの突進を強引に逸らした。稼げる時間は数秒。

 僕は全神経を集中させ、体内の魔力を『火』の性質へと変質させる。そして、それを自分の体外へ放出するのではなく、アイリスが持つ無機質な鉄塊へと「流し込み」、定着させるイメージを強烈に描いた。


(……馴染め。彼女の意志と、僕の属性を繋ぐ器になれ……!)


 現代魔法が忘却した、魂と物質を繋ぐ架け橋。

 ――古代魔法『属性付与エンチャント』。


 カチリ、と頭の中で何かの歯車が噛み合う音がした。

 次の瞬間、アイリスの手元にある黒鋼の剣が、ブワッと真っ赤な炎を噴き上げた。


「え……あ……っ!?」


 アイリスが驚愕の声を上げる。

 黒い刃を、揺らめく紅蓮の炎が包み込んでいた。それは表面を焼いているのではない。魔力が剣身の深層まで浸透し、物質そのものが『火の理』を帯びたのだ。一度定着した魔力は、僕が供給を止めれば消えるものではない。僕の手を離れた後も、剣に込められた魔力が尽きるまでは、その属性を維持し続ける。


 だが、変化はそれだけでは終わらなかった。


「……何、これ。体の中から、何かが……」


 アイリスの体から、目に見えるほどの膨大な魔力が溢れ出した。

 それは彼女が生まれ持っていた、けれど属性という『着火剤』がなかったために眠り続けていた潜在スキル――『属性攻撃力アップ』の覚醒だった。


 シオンが与えた「火」という極小の種火に、アイリスが持つ膨大な魔力の燃料が投下される。


 ゴォォォォォォッ!!!


 剣を包んでいた炎が、一瞬にして暴風のような巨大な火柱へと膨れ上がった。

 それはもはや剣の形を留めていない。紅蓮の火竜が、アイリスの腕の延長として顕現したかのような、圧倒的な破壊の顕現。


「……これ、なら……いける!!」


 アイリスが叫びと共に、地を蹴った。

 その踏み込みだけで地面が爆ぜ、彼女の体は文字通り弾丸となって狼の群れへと突っ込む。


 横一文字。

 ただの薙ぎ払い。しかし、そこに込められた威力は、Dランクの魔物が耐えられる範疇を遥かに超えていた。


 ドォォォォォォンッ!!


 轟音と共に、森の一部が真っ赤に染まった。

 フォレストウルフたちの断末魔すら聞こえなかった。鋼鉄の毛皮も、森林の加護も、すべては太陽のような熱量の前に、一瞬で蒸発し、消え失せた。


 それだけではない。斬撃の余波として放たれた炎の波動が、前方の樹木を数十メートルにわたってなぎ倒し、地面には真っ黒に焦げ付いた巨大な傷跡が刻まれていた。

 あまりの熱量に、周囲の空気が歪み、焦げた土の匂いが立ち込める。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 沈黙が森を支配した。

 アイリスは、炎が消え、再び真っ黒な姿を現した剣を握ったまま、呆然と立ち尽くしていた。


「な、なんですか……今の……」


 リアが腰を抜かしたように地面に座り込み、目の前の光景を信じられないというように見つめている。

 僕自身も、これほどの威力になるとは予想していなかった。僕が施した付与は、あくまで「剣に火を纏わせる」程度のもの。それをここまで増幅させたのは、間違いなくアイリス自身の隠された力だ。


「……アイリス、大丈夫かい?」


「……シオン……。私、今……魔法を、使えたの?」


 アイリスがゆっくりと振り返った。その瞳には、涙が溜まっている。

 一族から「欠陥品」と蔑まれ、どれほど努力しても、どれほど血を吐くような特訓を重ねても手が届かなかった魔法の世界。その扉が、僕という鍵によって、今、初めて開かれたのだ。


「ああ。君の力が、僕の属性を何倍にも強くしてくれたんだ。……これこそが、君の本当の力だよ」


「……ありがとう。私、ようやく……戦える。私を役立たずと捨てた一族の魔法剣士としてではなく……あなたのパートナーとして」


 アイリスは剣を鞘に納め、僕に向かって深く、深く頭を下げた。

 その姿に、僕は言いようのない達成感と、それ以上の責任感を感じていた。彼女の人生を肯定できた喜び。そして、この強大な力を背負う覚悟。


 しかし、喜びも束の間。僕の視界が急にぐにゃりと歪んだ。


「おっと……」


「シオン様!? 顔色が真っ青ですよ!」


 リアが慌てて駆け寄ってくる。

 古代魔法『属性付与』。それは一度定着すれば持続するとはいえ、その定着させるまでの一瞬に、僕の魔力と精神力を凄まじい勢いで削り取っていた。

 全属性を完璧に調律し、他人の武器に馴染ませる。その制御の難易度は、バロンさんが言った通り、現代の魔導師には理解不可能なほど過酷なものだった。


「……大丈夫。少し、魔力を使いすぎただけだ。……でも、これで分かった。僕たちの進むべき道が」


 僕はリアに支えられながら、アイリスの隣に立った。

 属性はあるが器がない僕と、器はあるが属性がない彼女。

 二つの欠落が合わさった時、世界を塗り替えるほどの力が生まれる。


「さあ、狼の素材を回収して戻ろう。バロンさんに、良い報告ができるようにね」


「はい! ……あ、でもアイリス、あんなに派手に焼いちゃったら、毛皮が炭になって売れないかもしれませんよ?」


「え……っ!? あ、あああ……ごめんなさい、加減を忘れてて……!」


 慌てふためくアイリスと、それをからかうリア。

 焦げた土の匂いが漂う森の中で、僕たちは自分たちの新しい未来への第一歩を、確かに踏み出したのだった。


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