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第12話 祝杯の夜、静かなる波紋

 フォレストウルフ討伐という、僕たち三人のパーティにとっての初陣を終えた夕暮れ。

 エルムの街の重厚な石造りの門をくぐると、西日に照らされた街並みが、任務前の不安だった時よりもずっと温かく僕たちを迎えてくれた。

 アイリスの腰にある新しい黒鋼の剣は、今は静かに鞘に収まっている。けれどその刃には、先ほどまで確かに紅蓮の炎が宿っていた。その事実が、僕の右手の掌にまだ微かな熱を、そして心地よい疲労を刻んでいた。


「お帰りなさい! 無事で、本当に無事で良かったですわ!」


 冒険者ギルドの扉を開けるなり、窓口の奥で心配そうに外を眺めていたクロエさんが、弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。

 彼女はカウンターを飛び越えんばかりの勢いで僕たちの元へ駆け寄ると、怪我がないか確認するように、僕やアイリスの体をまじまじと見つめた。その瞳には、単なる受付嬢としての事務的な心配ではなく、親しい友人や、あるいはそれ以上の何かを案じるような色が滲んでいる。


「ただいま戻りました、クロエさん。……アイリスの新しい剣と、僕の『付与』も、なんとか実戦で形になりましたよ」


 僕が安堵と共にそう告げると、クロエさんはほっと胸を撫で下ろし、僕たちをギルドの二階にある、冒険者専用の談話スペースへと案内してくれた。

 彼女は僕が「全属性適性」でありながら通常の魔法を扱えず、代わりに失われた古代の技術である「付与魔法」を使うことを知っている、数少ない理解者の一人だ。


「さあ、まずは精算を済ませましょう。……それと、これは私……いえ、ギルドからのささやかなお祝いですわ」


 テーブルに並べられたのは、具沢山の麦のスープと、表面を香ばしく焼いた厚切りのパン、および市場で採れたばかりの新鮮な果実。

 森での激闘で空腹の絶頂だった僕たちは、クロエさんが書類の手続きをしている間、夢中で食事を掻き込んだ。

 

「おいしいです……! 森で食べる保存食とは天と地の差ですね!」


 リアがリスのように頬を膨らませてパンを齧る。

 アイリスも、スープの温かさが身に染みたのか、少しだけ目を細めて満足そうにスプーンを動かしていた。


「……今回の報酬は、銀貨十五枚です。三人で分ければ一人銀貨五枚。Dランクの初任務としては、これ以上ない滑り出しですわ」


 クロエさんがトレイに乗せて持ってきた硬貨の山を見つめる。

 宿代や数日分の食費を考えれば、これだけでも十分な成功と言えるだろう。けれど、バロンさんに提示された「金貨百枚」という特注魔法剣の加工賃を思えば、まだ道のりの入り口に立ったに過ぎない。


「……金貨、百枚。銀貨に直せば、千枚か。今の僕たちには、まだ遠い目標だね」


 僕が思わず漏らした言葉に、談話室の空気が少しだけ引き締まった。

 金貨百枚。王都の貴族ならいざ知らず、一介の冒険者が稼ぎ出すには、文字通り命を削るような戦いを何度も乗り越えなければならない。


「大丈夫ですよ、シオン様! 私たちの連携があれば、もっと高ランクの依頼もすぐに受けられるようになります。そうすれば、金貨百枚なんてあっという間です!」


「……うん。私も、もっと訓練する。……シオンの魔力消費を、無駄にしないように」


 アイリスが自分の掌をじっと見つめる。

 あの時、自分の剣に魔法が宿った瞬間の、腹の底から湧き上がるような万能感。シオンが与えてくれた「火」の属性が、自分の中に眠っていた「力」と噛み合い、すべてを焼き尽くしたあの感覚。彼女はまだ、その新しく手に入れた力の正体に戸惑いを感じているようだった。


 精算を終えて、クロエさんが僕の隣の椅子に腰を下ろした。

 彼女は周囲に他の冒険者がいないことを確認すると、声を低めて僕を見つめた。


「シオンさん。……実は先ほど、別のパーティが報告に戻ってきたのですが。……皆さんが戦っていた地点の付近で、あり得ない規模の『属性の乱れ』を観測したそうですの」


 僕はクロエさんと視線を交わした。彼女の瞳には、僕たちが無事であったことへの安堵と、それ以上に深い懸念が混ざり合っている。


「……シオンさんの付与魔法と、アイリスさんの潜在スキルの相乗効果。……それが、これほどまでの事態を引き起こすなんて、私も予想以上でしたわ」


「ええ……。僕も、あそこまでの威力になるとは思っていませんでした。付与した火属性が、彼女の力によって何十倍にも膨れ上がったような……そんな感覚でした」


 秘密を共有しているクロエさんだからこそ、僕は率直に森での戦いの感触を打ち明けることができた。

 けれど、クロエさんは眉をひそめ、真剣な面持ちで僕の手を包み込むように握った。


「シオンさん、聞いてください。……エルムの街には、教会の魔力監視塔がありますの。属性の理を重んじる彼らにとって、理を超えた急激な出力上昇や、出所の分からない異質な魔力反応は、格好の調査対象になりかねませんわ。……『付与魔法』という古代の技術が、彼らにどう映るかを考えてみてください」


「……教会。属性は神の恩恵、でしたね」


「ええ。彼らにとって、理に反する魔法や、正体の不明な力は、秩序を乱す『異端』と見なされる恐れがあります。……シオンさんに何かあったら、私……。いえ、ギルドとしても看過できません。ですから、しばらくはあまり目立つ真似は控えてくださいね」


 クロエさんの指先は少しだけ震えていて、彼女が心から僕たちの、特に僕の身を案じてくれているのが伝わってきた。


「ありがとうございます、クロエさん。……肝に銘じておきます」


 それから数日間。

 僕たちは街の訓練場を借り、地道な特訓に明け暮れた。

 派手な付与は封印し、まずはアイリスの剣技そのものの鋭さをさらに磨くこと。そしてシオンは、魔力の供給量をごく微量に抑えつつも、確実に定着させ、持続時間を延ばす「効率的な付与」の練習を繰り返した。


 朝から夕方まで泥にまみれて特訓し、夜は宿でリアが作ってくれる簡素な、けれど温かい料理を囲む。

 一歩一歩、けれど確実に。

 僕たちは「金貨百枚」という目標に向かって、足場を固めていった。

 街の人々も、最初は物珍しそうに見ていた「銀髪の少女と二人の従者」という奇妙な三人組を、次第に『エルムの馴染み』として受け入れ始めていた。


 しかし、平和な時間は長くは続かない。


 ある日の午後。

 ギルドへ昨日の小さな依頼の報告に訪れた僕たちは、掲示板の前に集まる冒険者たちの殺気立った雰囲気に足を止めた。


「……なんだ? 全員、ピリピリしてる」


 人混みの隙間から見えたのは、これまでの手書きの羊皮紙とは一線を画す、豪華な装飾と印章が押された依頼書だった。


「『王都魔導聖省直轄・古代遺跡調査への護衛派遣依頼』。……依頼主は、魔導聖省・第三調査局長、ルキウス・ルミナス……」


 その名を目にした瞬間、僕の体は氷のように凍りついた。

 ルキウス・ルミナス。

 王都で僕を、そして僕が愛した亡き母を、最も冷酷に見下していた僕の長兄。


 王都から、僕を捨てた過去の影が、すぐそこまで迫ってきていた。


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