第43話 プロポーズ(その1)
マスターが困ったような、嫌そうな、変な顔をしてスタジオに入って来た。
10月中旬の土曜の午後。
珍しく僕の方から先にマスターに声をかける。
「体調でも悪いんですか?」
マスターはむっとした顔で僕の顔をまじまじと見る。そして、4人の顔を1人1人覗き込むようにして見る。ふうっ、と柄にもなくため息のようなものをついている。
「出演依頼が来たぞ」
僕らは、軽く驚いてはみたけれども、もし、BARたかいのようなイベントなら、あ、やるやる、という感じで今ならば応対できる、と少し誇らしげに思った。
けれども、マスターは、なかなか口を開かずに、まだ僕らの顔ばかり見ている。やがて、諦めたように話し始めた。
「‘joy pop inたかい’のスケジュールって知ってるか?」
「ん?もちろん」
加藤が即座に答える。‘joy pop in たかい’は、去年第1回が開催された、県庁前の公園を使って開かれる野外ロックイベントだ。主催はマニアックな編集方針ながら商業誌としても成功している、‘ロック&ロック’という邦楽ロック専門の音楽誌だ。地方都市でも本格的な野外ロックイベントを普及させたい、というその出版社の取組で、全国あちこちで同様のイベントが開催されてきた。昨年、この県での第1回が県庁所在地である鷹井市の同じ公園で開催され、大好評だった。ステージは2日間、前夜祭を入れると2日半、チケットは結構値が張るが、地方都市ではそうそう観れないような国内の大物ロックバンドばかりが出演する。昨年は、キャッシュも来た。
4LIVEの中ではロックに一番詳しい加藤だけがこのイベントの初日を観に行った。目当てのバンドは2つだけだったようだが、「こんなのが毎年あるなら、この県にずっと暮らしてもいいかな」と言っていた。
そして、もう一つ特別なのが、LRT(最新型の路面電車)の車内を貸切りにして運行しながら、トークライブとアンプラグドの演奏を行うイベントも同時に行われることだ。昨年のパフォーマーは、オルタナティブロックのカーブスのボーカルが、アコースティックギター一本で弾き語りをやった。
今年は11月の下旬に開催される。
「今年の目玉は前夜祭に出るブレイキング・レモネードだと思って、とりあえずその分のチケットだけ取った」
ブレイキング・レモネードは洋楽好きの加藤でも好むようなセンスを持つ、国内の4ピースバンドだ。まだ、そこまで認知されている訳ではないが、彼らが出ると聞いて「おおー」となった県内のロックファンは少なからずいるらしい。
マスターが、そうか、と呟きながら、再び話し始めた。
「そのチケット、無駄になったな」
「え?」
加藤が不思議そうにマスターの方を見る。
「その前夜祭、お前らに出て欲しいんだと」
そこにいる全員、マスターの言葉の意味がよく分からなかった。マスターは反応しようが無い様子の僕らを見て、解説してくれた。
「金曜の前夜祭での招待バンドはブレイキング・レモネードだけ。夜更けに登場する。その前に、夕方から、県内のプロ・アマのバンドが何組かまず出る。まあ、イベント全体の前座みたいなもんだな。お前らはその‘前座の前座’だ。夕方トップバッターとして出て欲しいそうだ」
加藤は思わず、マスターに食いつくように問う。
「出てくれって、誰が?」
「ロック&ロックの担当者から俺に電話があった。杉谷のブログを見たんだと。それで・・・まあ、はっきり言って、咲に興味を持ったんだろうな。話題にできる、という気持ちもあって、4LIVEに追加で出て欲しいと思ったんだろう」
本当に不思議なことだが、杉谷のブログのカウンターは既に80万を超えていた。そして、‘ロックバンド 鷹井’などとネットで検索すると、確かに杉谷のブログが一番上に表示される。
「まあ、お前ら自身やお前らの親なんかが決めることだからな・・・それに、俺も別に東京の出版社に義理立てするいわれもないから、俺の顔がどうとか言うのは全く気にしなくていいからな」
僕は、この間頭に浮かんだことをやる機会があるとしたら願ってもないことだと思った。
「僕は、出てみたい、と思う」
僕がそう言うと、みんな、ゆっくりと僕の方に顔を向ける。
「そうだな。僕もやってみたい。咲と咲の曲が世に出れるんなら、こんなにいい舞台はない」
加藤も静かに同意する。
「僕も、咲の曲を野外でやってみたい」
武藤も同意する。
今度はみんなで咲の方を見る。
咲は少しの間、黙っていたが、やがて、静かに口を開いた。
「わたしは」
みんな、咲の方をじっと見る。
「4LIVEで、みんなと一緒に演りたい」