第40話 秋の調べ(その9)
咲は立ち上がって、笑顔で観客にお辞儀をした。でも、そのまま、ステージに立っている。
やおら、丹羽先生が話し始めた。
「本来ならここで発表会は終わりなんですが、咲さんたっての願いで、番外編ということで。
生徒とは別にもう1人、特別に演奏者を招待しています。
‘米田 さき’さん」
先生に呼ばれ、米田さんがステージに上がってくる。ん、小学生か?という感じの小柄な子だ。
そして、回転の速い急ぎ足で咲の隣に並んで立った。
会場の皆は米田さんの姿を見て、えっ!という感じで瞬間的にどよめき、すぐにうーん、と感心して唸る他ないような空気に包まれた。
僕自身も不覚ながら、‘げっ!’という感じで心の中で驚いただけでなく、実際に少し、声に出してしまった。
服装は、靴にヒールが無い以外は咲と似たような感じの白いブラウスに黒のスカート。
それ以外は咲とは対照的だった。
髪はショートカット。痩せて、背は、低い。ヒールを履いた咲の肩にも届かないほど小柄だ。咲を二回りか三回り小さくしたような体格。僕は、何となく気になって、米田さんの指を見てみる。咲の長い指に対して、米田さんの指は、その半分くらいの長さしかないのでは、と思える。あの素晴らしい演奏をした咲自身が、自分より上手いと褒める米田さん。こんなに短い指で本当にそんな演奏ができるのだろうか。
そして、会場全体が、うーん、と感心して唸るしかなかった部分。
それは、米田さんの顔立ちだった。
隣に並んでいる咲は整った顔立ちだ。身長を含めた容姿は完璧そのものと言っていいと思う。
でも、身長や髪型を置いておいて、米田さんのその顔立ちの整い具合は、‘完璧を超えた完璧’としか言えないようなものなのだ。20代の頃の丹羽先生よりも整った顔立ちをしているように感じる。
もちろん、整っていることが人の心を揺さぶるかというとそうとも言えない。
アンバランスな部分こそが、人の恋愛感情をくすぐり、より美しさを感じさせるものだろう。
でも、純粋に、整い方、という一点だけに集中して言うと、米田さんの場合は、顔のどのパーツでも1mm動かしただけで、‘少しアンバランスになりましたね’という風になりそうなくらい、‘これしかない’という整い方なのだ。
丹羽先生といい、咲といい、米田さんといい、世界は広いと言えばいいのか狭いと言えばいいのか。まあ、咲については付き合いが長くて、美人だ、というのが僕ら3人には当たり前になっているが、他の観客にとっては、咲と米田さんを並べて見せられて、やたら緊張感が高まっているのではないか。新井さんの朗らかな笑顔の方が、僕にとっては現実的な可愛さとして、心が休まるような気はする。新井さんがこれを聞いたら膨れるかもしれないが。
会場のざわめきが少し落ち着いたところで、丹羽先生が再び話し始めた。
「さきさんは、咲さんの高校の同級生です。咲さんたっての希望で、さきさんと連弾で演奏する、ということになりました」
連弾、という言葉は初めて聞いたが、二台のピアノを使って、2人で弾く、ということは勘の悪い僕でも察することができた。
「この間、一度だけ、2人の連弾のレッスンをしましたが・・・さきさんの演奏も本当に完璧で、咲さんと甲乙つけがたい・・・・・
そして、曲は、咲さんが作曲したオリジナルです」
会場はまたさわさわとざわめいた。
「話したことがあるかもしれませんが、咲さんは、バンドもやっています。今日弾く曲はまだ曲名はついていませんが、そのバンドで演奏したらどうかな、ということで作曲したものだそうです。
そして、今日、そのバンドのお仲間が、会場に来ているということです。
ええと、どこかしらね」
丹羽先生は咲の方を向いて、教えて、と言っている。
咲は、僕らの方を向いて、右の掌で僕らを指し示すようにして、
「あちらです。あの、後ろの方に」
ああ、と丹羽先生は、両掌を上に向けて腕を上げ、僕らに立って挨拶するようにというジェスチャーをした。
仕方ないので、僕らはゆらゆらと立ち上がって、なんとなくあちこちに頭を下げた。
会場から、まばらな拍手が起こる。明らかに咲と比べてバランスの悪い僕らに違和感を覚えているような、ぱらぱらとした拍手だ。
「じゃあ、準備して」
促され、お辞儀した後、米田さんは向かって右側のピアノに、咲は左側のピアノに座る。
2人はそのまま見つめ合うように、何度か首を頷くように動かした後、大きく、「はい」という感じで頭を下げ、そのまま演奏に突入した。
あ、これは。
咲がBARたかいの時に、MP3でくれた5曲の内の4曲目だ。
あの時は、僕、加藤、武藤で、この曲以外の3曲を選んだが、もし咲自身が選んでいたら、この曲が入っていたのだろう。
咲が低音のパートでどちらかというと伴奏のような感じで、米田さんが主要メロディーを演奏するという形だ。
米田さんが主なメロディーだからかもしれないが、なんだこれは、というぐらいの音量・音圧だ。咲がさっきソロで弾いた以上に力強く鍵盤を叩いているのが分かる。もしかしたら、これは、米田さんのあの短い指だからこそ出せる力強さではないだろうか、と、ピアノに関しては素人の僕は想像した。短い指を、鍵盤に突き立てるようにして弾く。しかし、それをやりながらなおかつ曲を滑らかに演奏するためには、音と音の間を移動するための指の動きを、長い指の咲の倍ぐらいのスピードで行わないとできないのではないだろうか。それこそ、指が高速で鍵盤と鍵盤の間を瞬間移動のようにジャンプするのでは。
そして、演奏する様子も咲とは全く正反対だった。自分の指辺りに視線を向け、ピアノと向き合って演奏するという感じの咲に対して、米田さんは体を激しく前後に揺らし、時には目を閉じて中空の方に顔を向け、ピアノそのものから離れて自由に演奏している、という感じだった。
僕は‘連弾’と聞いて、演奏の‘接近戦’という風に勝手にイメージをしていたので、どうしても「咲とさきの一騎打ち」として見てしまう。とすると、やや咲には分が悪いように感じた。米田さんのアクションの大きさも相まって、聴衆もどうしても米田さんの演奏の方に、目、耳とも傾けているように見える。
しかし、僕ら3人は、‘間奏’のような場面に曲が達した時に、腹に響くような音圧を咲のピアノの方から感じた。‘間奏’の間も、米田さんのピアノは、ギターソロをイメージさせるような、やや不協和音がかった難しい演奏を繰り広げ、聴衆を唸らせている。しかし、その背後には咲が常にピアノの一番左側の方に体を向けて、‘最低音’あたりの鍵盤を叩き続けているのが、耳ではなく、腹と体全体に伝わって来た。
これを意識して感じているのは僕ら4LIVEの3人だけだろう。その他の聴衆は、意識さえさせてもらえずに、咲の術中にはまっているのではないだろうか。
もちろん、咲はそんな計算高いことを考えてこの曲を作った訳ではないだろう。
けれども、演奏を振り返ってみると、耳にも残りにくい、ベースのような重低音のパートが、図らずもこの曲のテーマになっている。それは、叫びのような高音の訴えかけではなく、呻きのような、低い、でも、相手の心の奥底に無意識の内に働きかける、呼びかけ。ハンマーでとてつもなくでかい岩の塊をゴーン、と叩いているような、体の芯に直接入り込んでくる呼び声。
「いつもひそかに生きてる」
僕がノートにばらまいていたワンフレーズが再び脳裏に浮かんでくる。あの、土手を自転車で走った時の、咲の曲と僕の詩のシンクロが、ちょうど、咲と米田さんの演奏が終わる瞬間に再現される。
僕は、観客が今日一番の拍手をしている中、集中して考えていた。
‘4LIVEに咲のピアノを持ち込んだらどうなるのかな’
僕に、一つのアイディアが浮かんだ。




