第39話 秋の調べ(その8)
咲は拍手する客席にお辞儀をするとピアノの前にゆっくりと座った。
深呼吸をし、左手を軽く鍵盤の上に置く。そして、一旦、目を閉じた。
数秒の間を置いて、目をすっと開けたところから、咲の演奏が始まった。
素晴らしかった。咲の複雑で繊細で、でも、溢れんばかりの激情をたたえたココロが、すべて表現し尽された、咲にこそふさわしい曲だ、と感じた。そして、それは、クラシックではあるけれども、僕にとってはロックそのものだった。
‘叩きつけるように弾く’という表現を咲はしていたけれども、決して投げやりなのではなく、‘この気持ちを抑えることができない!’といった、高揚感と喜び。そして、その背後には、しっかりと、‘悲しみ’という背骨もある。悲しみを経ない喜びなど、なんの意味もないとすら思えるような、咲の人生そのもの。
それが、一気に爆発する。これが、ベートーベンなのか! 僕はただ、感動した。
僕は、すっ、と目を閉じる。咲が4LIVEでベースを弾く姿がごく自然に浮かび上がる。
BARたかいのための炎天下の河川敷での‘猛特訓’の後、川面から草の上を走り抜ける疾風が咲の後ろ髪を、ぶわっ!と吹き上げるあのシーンが、鮮烈に浮かび上がる。
咲が、MAXの力で鍵盤を叩きつけた瞬間、同じように目を閉じていた僕ら3人は、かっ!、と目を開け、クライマックスからフィナーレに向かう咲のピアノに、前のめりで飛びかかるような気持ちで食らいついた。咲の真剣勝負に、こちらも真剣勝負で応える。
咲は、時折、目を閉じて弾いている。額に汗が浮かんで見える。眼尻の辺りの水滴が額から流れた汗なのか、涙なのかは、咲に訊かないと分からない。
咲は疾走するようなリズムを刻み続けたまま、もう、限界だ・満足だ、という美しい表情で演奏を終えた。観客は割れんばかりの拍手を惜しげなく咲に贈った。




