第27話 陽気なブロガー(その1)
クーラーの無い昔ながらの教室の中、先生が好意で持ち込んでくれた2台の扇風機のモーターの音を背後に、課題テキストについての先生の解説と、黒板にカツカツと当たるチョークの音が余計に静寂感を増す。8月の初旬、真夏の校庭を窓からちらっと見やり、すぐに先生の持つチョークの先を凝視する。扇風機の近くの席の女子は、風でノートのページがめくれると不平を言い、扇風機から遠い席の男子は、暑い、と不満を漏らす。
一応、僕の通う城戸高校にも夏季講習というものがある。城戸高校は際立った進学校という訳でもないが、9割方の生徒は大学を受験する。遅くとも高校2年の夏くらいから準備しないと間に合わない、と先生だけでなく生徒の何人かも力説する。
僕自身は、それなりに学生の本分たる学業というものに向き合ってきたつもりはある。少なくとも、背を向けてきたわけではない。それはなぜかというと、‘学校での間を持たせるために’だ。
以前、4LIVEのメンバー同士でも話したが、友達がいれば学校での‘間’は簡単に持つ。
でも、友達がいないと、その作業は困難を極める。
サラリーマンが仕事の話題や職場の人間関係の間でならば自然な社交ができるのと同様に、僕は、学業に没頭している様子を見せることで、間を持たせているに過ぎない。
なんだか、やっぱり寂しい感じはする。
ただ、8月に入ってからは、ほんの少しではあるが、様子が変わることがあった。
BARたかいで会ったクラスメート3人の内、一番、咲に興味を示していた男子生徒・・・杉谷が、ちょくちょく僕に話しかけてくるようになったのだ。多分、僕への興味ではなく、咲への興味でしかないのだろうが。
「室田、この問題、分かった?」
杉谷が数学のノートを持って僕の席の方に歩み寄ってくる。
僕はノートを杉谷から受け取り、青いフリクションで、間違っている部分をばっさりと見え消しで直していく。
「スゲーな、室田」
だが、問題についての杉谷のコメントは、‘スゲーな、室田’の一言で終わり、別の話題にすぐに切り替わる。
「咲ちゃん、元気にしてる?」
本当は、咲の了解も取らずに名前を勝手に教えることには抵抗があったのだが、杉谷があまりにもしつこく、低姿勢で訊いてくるものだから、仕方なく、白木 咲という名前を教えてしまった。その瞬間から杉谷は、咲のことを、‘咲ちゃん’と呼び始めた。名前が分かると次は、
「どこの学校?」
と、追加情報を求めてくる。
しようがないので、鷹井高校、パートはベース、ピアノが得意、身長174cm、というまあ、教えても特に害はないだろうという情報は教えた。この上体重なんかを聞かれたとしても、さすがにそれは教えられないし、大体僕自身が咲の情報をそんなに知らない。
鷹井高校、と訊いて、杉谷は少し身構えたようだ。鷹井高校は、鷹井市の県立高校の中では一番の進学校だ。私立も含めると、武藤の通う鷹井第一高校という、近隣県でも屈指の進学校という別格はあるのだが。
杉谷は、鷹井高校か、参ったなあ、という感じの表情をした。
「うちと鷹井じゃ、ちょっと釣り合わないな・・・」
本気で悩んでいるらしい。可笑しいような、悲しいような、自分自身まで杉谷の反応に影響されそうで、ちょっと気を付けようと思う。
そして、杉谷は、
「咲ちゃんに会えないかなあ」
と、独り言のように、何度も何度も呟いていた。
「ライブに来れば?」
僕は突き放すように答える。
実は、4LIVEは、BARたかいの後、相変わらずの前座ではあるが、ポピーのライブハウスに週一回出演するようになった。夏休みの間、土曜の夜だけでいいから、とマスターに頼まれたのだ。僕たちも、自信がついた、という訳ではないけれども、お客さんの前で演奏することの気持ちよさを、もう少し何度か味わいたい、という欲が湧いてきた。
「ギャラも払うから」
と、マスターが言ったので、スタジオ代も払っていない僕たちが貰う訳にもいかないと断ったのだが、
「仕事だから、対価はきちんと受け取ってくれ。その代わり責任ある演奏を頼む」
と、真面目な顔で言われ、ギャラを受け取ることにした。スタジオ代、という、マスターの仕事の対価はどうなっているのか分からないが。
‘ライブに来れば’という僕の言葉に、杉谷は困った顔をする。
「いや、普通の高校生がライブハウスなんか行けないよ」
当然だろうと思う。僕たちがバンドをやりライブハウスに出演していることは、‘殴られる側’だったことの副産物として生まれた‘逆特権’のようなものだろう。杉谷のようなごく普通のまっとうな高校生にとっては当たり前の反応だ。
それでも諦めきれなさそうな杉谷を見て、僕は気の毒になった。
「・・・じゃあ、スタジオの練習でも見に来る?」
僕の言葉に杉谷は満面の笑みで反応した。
「え、いいの!?」