第26話 真夏の月(その8)
機材も片付けられ、お客さんも皆帰り、イベント広場は静けさを取り戻している。
「送ろうか」
マスターが僕たちに声を掛けてくれた。僕たちは咲の様子を窺う。咲のしたいようにさせてやろうと、ただそれだけだ。
「少し、歩きたい・・・・」
「そうか・・・・分かった」
マスターは僕たちに顔を向けた。
「お前ら、咲を家まで送ってやってくれ」
うん、と男3人は頷く。
僕ら4人はぶらぶらと歩き始めた。22:30を過ぎたところだ。咲の家まではゆっくり歩いても、20分かからずに着けるはずだ。みんな心配なので、男3人は遠回りになるけれど、3人とも揃って咲の家までくっついて行くことにした。
情けないが、咲にかける言葉は男3人の誰も思い付かなかった。マスターでさえ思い付かないのだから、仕方ない、と諦めるしかない。せめて、咲と一緒にいてやろうと思った。
マスターには、小谷さんの話の内容を予測していたのか、訊いてみた。予測はしてなかったが、何だか胸騒ぎはした、とマスターは言った。マスターは、10数年前、鷹井第一小学校の女子生徒が自殺した、というニュースをはっきり覚えていた。それは夏休みの出来事、7月31日、つまり、10数年前の今日だった、と。おそらく、夏休みの、新学期までにはまだ時間のある内に、地獄のように辛い学校での日々を何とか解決する方法を必死に考えていたのだろう。それが死を選ぶという結論だったことに、とても切なくなったと言っていた。マスターの長男の健一さんは別の小学校だが同学年だったので、とてもショックで、その女の子が可哀想で仕方なかった、と語ってくれた。
「多分・・・」
マスターはぽつりぽつりと語った。
「多分、小谷さんは、BARたかいが目当てだった訳じゃないと思う。
自分の実家のあった場所を見に来たんじゃないかな。それが、どんな気持ちからなのかは分からない。見に来たことで余計に後悔の気持ちが起こったのは間違いないと思う。
もちろん、音楽が好きなのは本当だろう。でも、あくまでも、ついでだったんじゃないかな」
僕は話題をふらないといけないと思い、武藤に、「土曜の午後から」の演奏中、宙を見上げて何が目に入っていたのか訊いてみた。武藤は、ゆっくりと夜空を指さした。
「あれだよ」
他の3人は武藤の差す指の先へ向けて顔をぐっと上げる。
夜空には、欠けた細い月があった。
ほとんど線のように細くはなっているが、薄く黄色がかった、けれども光の強いカーブの月があった。
「イベント広場のガラス屋根の上に、ちょうど見えた」
大都と立体駐車場に挟まれたイベントスペースから、ビルの隙間を縫って、かなりの絶妙なタイミングで月がそこの位置にあった、ということだ。
「でも、すごい余裕だね」
月を見る余裕があった、ということに感歎し、加藤が武藤に少し笑みを浮かべた顔で言った。
「今日の演奏、良かったよね」
僕は武藤の余裕からも感じられたように、率直な感想を呟いた。
「うん、良かった」
加藤も同意する。
「叩いてて、こんなに気持ちよかったのは、初めてだよ」
武藤は軽くスティックを振る真似をする。
咲は・・・
「咲は、どうだった?」
僕は、思い切って、咲に訊いてみた。
「わたし、嬉しかった」
思わぬ咲の答えに、僕だけでなく、男3人、ちょっと驚いて、咲の方を見た。そもそも、咲が言葉を返してくれなくても仕方ないかな、というつもりで声をかけたので。
「バンドやってて、良かった、って思った。4LIVEって、ちょっといいな、って。
ありがとう・・・」
咲の表情は・・・やや複雑だが、ほほ笑んでいる。なんだか、普段のクールな感じとはちょっと違う笑顔。涙で頬を濡らした後だからだろうか?
「大丈夫?」
加藤が咲にもう一声掛ける。もちろん、小谷さんとのやり取りについての心配からだ。
咲は笑顔のまま、頷く。
「うん、大丈夫。平気だよ・・・」
それから、珍しく、咲は両手をぐっと上へ挙げて背伸びをした。歩きながら背伸びをする咲を横から見ると、より一層背が高く見える。咲の家は比較的街中にある。大都からポピーの方向へアーケードを真っ直ぐ抜け、その先もずっと真っ直ぐの道だ。背伸びした咲は、アーケード商店街のシャッターの締まった店の前を歩く。シャッターの蛇腹を目盛りに見立てて計ってみると、相当な高さに達している。咲は背が高いだけでなく、手足も長く、細い。
「室田」
「ん?」
咲が唐突に僕に声をかけた。
「4LIVEって、何て意味なの?室田がバンド名つけたんだよね?」
咲の問いに、僕は少し気恥ずかしかったが、一応正直に回答することにした。
「4はfour、4人の生命っていう意味ももちろんあるけど・・・
ブラックミュージックのアーティストが’you’を’u’と表記したりするのと同じように、’4’も’for’の当て字のつもりもあったんだ。
文法としては正しくないけど、for live・・・‘生きるために’、っていうつもりもあった・・・・」
「for live・・・生きるために・・・か」
加藤が噛みしめるように呟く。
「わたしたち、生きてるんだよね」
咲が真っ直ぐな姿勢で前を向いたまま、歩きながら男3人に問うた。
「うん、生きてる」
僕はそう答えた。僕らが‘生きてる’という時、そこには無限の意味があるように、今日、感じた。小谷さんの話を聞いて。
小谷さんが言ったように、おそらく僕たちは小谷さんのお孫さんと、ほぼ同じ境遇にあったと考えられる。僕たちは、今、こうして生きている。お孫さんとの、その違いが何なのかは、誰にも分からないし、思い付いた考えがあったとしても、決して口にしてはいけないと感じる。
「僕たちってさ」
武藤がしんみりした声で聞く。
「友達だよね」
以前、武藤は、同じ問いを口にした。その時、僕は皆に代わって、「分からない」と言ってしまった。僕は、今なら別の答えができるとは思うけれど、自分が言っていいのかどうか、判断できなかった。それを感じてかどうか、加藤が武藤の問いに答えてくれた。
「友達でもあるけど・・・4LIVE、っていう括りでいいんじゃない?」
「そっか」
武藤は、本当にあっさりと納得してしまったようだ。
真夏の月は、熱い空気の層の上に輝いているけれども、なんて涼しそうなんだろう、と、羨ましく感じる。
咲を家の前まで送ると、咲のお母さんが心配して玄関先まで出て来た。咲のお母さんはしきりに僕たちにいつもありがとう、と挨拶してくれた。僕たちは咲のお母さんには、失礼します、と頭を下げ、咲にはじゃあ、またね、と手を振った。咲も、うん、またね、と、僕ら3人に手を振った。
男3人の家路は、あとは散り散りに帰るだけなのだが、武藤が名残惜しそうに言った。
「もうちょっと、歩かない?」
僕らは、月末の細い月の下を、もう少しだけ歩くことにした。
それから。家に帰ってから、BARたかいの会場で会ったクラスメート3人の名前を、連絡表で確認しておいた。




