第23話 真夏の月(その5)
僕たちは、枯井戸とAcid Voiceの演奏を会場の袖の方で観た。
僕たちの演奏の途中くらいから、BARのお客さん以外にもイベント広場の周りに人が集まって来ていて、演奏を聴いていた。お酒を注文しなくても、この鷹井市と商店街を盛り上げるのが目的のイベントだから、タダ見も無論、OK。通りすがりのサラリーマンの人はもちろん、大学生っぽい人たちや、高校生もいるようだ。みんな、夏の夜の思い出になるだろうと、立ち寄ったのだろうか。よく見ると、塾帰りの中学生風の子らも「なんだろう?」という感じで、自転車にまたがったまま、ちらちらと見ている。
枯井戸の演奏は驚いたことに、3曲ともバラードだった。しかも、その内の1曲は、‘キャッシュ’のそれも初期の作品ではなく、つい最近ヒットした曲だった。どんな演奏になるのだろう、と僕は興味深く凝視した。
凄かった。カバーによって、原曲の力を却って思い知らされた、という感じだ。何の思い入れもなく適当にyou-tubeから引っ張って、まるで自分達の曲のようにカバーしていた自分が恥ずかしくなる。数々のバンドたちに申し訳ないと謝りたくなるような気分だった。
おそらく、キャッシュは加賀谷さんの青春そのものなのだ。リスペクト、なんていう流行りの言葉ではなく、キャッシュの浮き沈みは、これまでの加賀谷さんの人生の浮き沈みとも符合していたのではないだろうか。残りのオリジナル2曲は、サラリーマンの人たちはグラスを片手に、目を閉じて、しみじみと聴き入っていた。加賀谷さん自身が働いている大人であり、ストレートに観客たちの心と枯井戸の心が繋がっていく、静かな一体感にイベント広場全体が包まれた。
そして。Acid Voiceを観て、僕は泣きそうになった。Acid Voiceは4曲。神谷さんたちは、渋い曲を聴かせるのかな、と思っていたけれども、見事に予想を裏切り、涼やかなロックナンバーばかりだった。僕たちほどアップテンポな曲はなかったが、僕たち10代の演奏が古びたものに思えるような、みずみずしく、走り抜けるような爽やかさに満ち溢れた演奏だった。MCも、言葉少なではあるが、若者を希望に奮い立たせるような、カッコよさと誠実さを併せ持ったものだった。特に、神谷さんのギターを聴いて、どうやったらこんなことができるんだろう、と目を見張った。様々な奏法を柔軟に組み合わせ、とても一人で弾いている音とは思えない幅の広がりがあった。それでいて、ギターを完璧に弾きながら、ボーカルも澄み切った声で歌い上げる。ベース、ドラムも完璧で、バンドの演奏自体が、軽やかさと、底知れない深みを同時に感じさせるものだった。以前マスターの言った、
「人生経験、てやつが滲み出るんだろうな」
という言葉が、現実のものだと、はっきり知った。もし僕が音楽業界の人間なら、今すぐにAcid Voiceを口説いてデビューさせる。




