第22話 真夏の月(その4)
セッティングの間、お客さんたちは、おっ、若いな、なんて言葉を言いながら僕らの様子を見ていた。基本はBARに来ることが目的のお客さんたちだから、バンドとして僕らを値踏みする、という感じの視線はなかった。淡々とセッティングを終え、普段だったら震えるはずの手元が不思議なまでに落ち着いている。足が若干浮いたような感覚はあるものの、適度な緊張感、というのはきっとこういうものなのだろうと、とても冷静でいる自分を不思議に感じる。でも、ちょっと深く考えると、理由はすぐに分かった。自分自身がうろたえていて咲を守れるか、という気持ちだ。もちろん、バンドである以上、聴いてくれる人たちのために、というのが本当なのだろうけれども。でも。今夜、4LIVEの男3人は、咲のために演奏する。
「こんばんは」
僕は、お客さんに、本当にごく普通の挨拶をした。そして、昨日まで考えていたMCの原稿を頭の中からすべて破棄して、ココロのままの言葉をお客さんと咲に向けることにした。
「僕らは4LIVEと言います。高校生です。今日は、3曲、演奏します。3曲ともベースの彼女が作曲しました」
後方のテーブルの若手社員と思しき男性客たちが、ほおっ、と軽いどよめきを上げる。言うまでもなく、咲の容姿を見てのどよめきだ。
「自分たちで言うのも何ですが、3曲とも、とても美しい曲です。どうか最後まで聴いていってください。1曲目は「土曜の午後から」という曲です」
挨拶が終わると、客席から軽い拍手が起こる。僕は加藤と咲の方に少し視線をやってから、武藤の方に目で合図を出した。
スタッ!
武藤が二本のスティックで同時にスネアを叩いたのを合図に、4人が音を奏で始める。「土曜の午後から」は4LIVEのテーマ曲のようなイメージで僕は詩を書いた。
加藤のリフが今までにない美しい音で流れて来る。アップテンポのリズムにぴったりと乗り、まるでヴァイオリンのように滑らかで、明るく、どこか切ない、咲の作ったリフ。加藤は丁寧に心を込めてそのリフを奏でる。
夏草匂う土曜の午後からは
見知らぬ僕らの歌が始まる
乾いた風と潤ったメロディーが
あなたと僕らの心に伝わる
(ダラララララ!)
ギターの弦の音が
(ダラララララ!)
スネアの皮の振動が
(ダラララララ!)
歌い手の声帯が
(ダララララ!)
ベースが重なる
こんな日々を僕らの体が
こんな日々を僕らの願い事が
こんな日々を僕らの心が
こんな日々を僕らの歌声が
毎日彩ってく
僕は気が付くと目を閉じて歌っていた。加藤のギターソロの間に、客席を見てみようという余裕が生まれる。
ぐるっ、と見ると、本当にお客さんは色々な容姿、様々な表情をしている。軽くリズムを取りながらステージを見ている女性。テーブルの仲間と談笑しながらステージの咲の方に視線を遣っている男性。グラスを額の辺りまで持ち上げて曲に聴き入っている男女。
正直、BARで、このアップテンポの、ポップな、けれども甘酸っぱく美しい曲を聴くと思っていたお客さんはそんなにはいないだろう。
ボーカルのパートが始まるまで更に客席を眺めると、最前列の右端のテーブルに1人で座っている老紳士の姿が目に入った。半袖のワイシャツにロープタイを締めた白髪の男性。肘をついて、手で目を覆っている。酔って気分が悪いのだろうか、と見ていたが、その内に手でごしごしと目の辺りをこすり始めた。最初は汗を拭っているのかとも思ったが、よく見ると泣いて、涙を拭っているのだと分かった。軽くしゃくりあげているように見える。なぜ、泣くのか。
なんとはなしに咲の方を見ると、咲もその老紳士のことが気になるようで、じっと右端のテーブルを見ている。
加藤のリフのパートが再び始まった。加藤は客席を見る代わりにギターの弦を凝視し、より滑らかにより美しい音色を出そうと集中していた。気合いが入ってるな、と、今度は武藤の方を見る。武藤は、中空の方を見ながらドラムを叩いている。空に何かあるのか。それとも、演奏に入り込んで無心になっているのか。後で訊いてみようと思う。
(ダラララララ!ダラララララ!ダラララララ!)
喜びが始まる
(ダラララララ!ダラララララ!ダラララララ)
土曜の午後から
(ダラララララ!ダラララララ!ダラララララ)
今から始まる
(ダラララララ!ダラララララ!ダラララララ!)
僕らの歌が
‘ダラララララ!’という、加藤と咲のコーラスが、本当に恰好いい。僕もそれに負けないように、気持ちをこめて、切なく、歌う。
本当に、気持ちいい。もわっとしたエアコンの室外機の温度が混じった真夏の夜の空気が、このイベント広場の敷地に流れ込んだ瞬間、2℃くらい下がり、涼風が巻き起こるような空想にとらわれる。加藤は、こんなにギターが上手かったのか?軽い嫉妬すら覚えるような美しいリフの音色が流れて来る。この涼風はきっと、このリフの音色で温度が下げられたのだ、と夢想する。
1曲目が終わり、客席からは思わぬ量の拍手が起こった。指笛を吹いてくれている人もいる。ちょっと、BARという雰囲気ではないけれども。
「ありがとうございます。2曲目は「真夏の月」という曲です」
ごく簡単なMCですぐに演奏を始めた。
この曲は少しだけテンポを下げてはあるが、それでもサビの部分には早口言葉のような感じで詩を詰め込んだので、間違えないようにしないといけない。それと、加藤のギターソロは結構難しいメロディーラインだが、決まると泣くお客さんも出るのではないかというくらい美しいものだ。
隠されても、満たされずとも、それでも月は輝いている
というサビの言葉の詰め込みの部分をなんとか僕は歌いきる。
加藤のソロも、決まった。思わず僕は自分達自身の演奏に目頭が熱くなる。ちょっと、おかしいだろうか。後で皆にも訊いてみようと思う。
たった、2曲で汗びっしょりになった。マスターのアドバイス通り、前髪はべったりと額に張り付いたままで放ってある。次が最後の曲と思うと、名残惜しい。人前で自分達をさらけ出して表現するということがこんなに気持ちいいとは思わなかった。自分達は目立つことが嫌だったはずなのに。
「最後の曲です。皆さんのような大人のお客さんに聴いていただけて、本当に嬉しいです。「レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ」です。結構ノリのいい曲なので、どうぞ、楽しんでください」
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ、は特に意味の無い造語だ。どこの国の言葉でもない。咲の作ったサビの美しいメロディーに合わせようとして、雰囲気で出て来た出まかせの言葉だ。でも、それが咲のメロディーに乗せて歌うと、無限の意味を持つように僕は感じる。
僕が、ピックを持った右手を高く上げると、背後の武藤が、スネアを二本のスティックで鋭く叩く。
同時に加藤のギター、咲のベース、僕のギターが第一音を吐きだし、加藤のリフが僕たちの気持ちを否が応にも高揚させる。知らず知らずのうちに、昨日まで演奏していたテンポよりも速く、みんな弾いている。
この曲は、武藤のバスドラの「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ」というリズムが最後まで貫かれる。スネアの音にも常にバスドラが重なる。そして、武藤のバスドラに合わせ、咲のベースが、「ドゥドゥドゥドゥドゥドゥ」とリズムを最後まで貫く。そこに、咲が作った、複雑ではあるが、限りなく明るい、おひさまの下を歩くようなリフが、加藤の手によって刻まれ、要所要所で気合いを入れるように武藤のスネアがスバシッ!、と乾燥した振動を鼓膜、というよりは脳天にぶつける。僕は、皆の演奏に気分よく、掛け声をかけるようにギターの音を置き、かぶせる。加藤の急激な上達に引っ張られ、まるで自分までがギターが上手くなったような錯覚で、自分を完全に騙し、お前は上手い!と思い込ませながら、普段は弾けないようなフレーズもつい、織り交ぜる。おそらくは、BARで演奏するような曲ではないのだろうけれども、咲の作ったそれぞれの楽器のメロディーの美しさと、マスターの、観客の心に入り込むような思いやり溢れるアレンジのお蔭で、観客が快く聴いてくれると信じつつ、弾き続ける。あまりの気持ちよさに歌を忘れそうになるかと思ったが、自然と口をついて最初のフレーズが出た。
笑いたくて笑うでもない
(マケナイデクレ、マケナイデクレ)
泣きたくて泣くでもない
(ナカナイデクレ、ナカナイデクレ)
ビビりたくてビビるでもない
(マケナイデクレ、マケナイデクレ)
この自分のいる場所にまで月光が届くまで!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
投げやりたくて投げるでもない
(ニゲナイデクレ、ニゲナイデクレ)
帰りたくて帰るでもない
(キエナイデクレ、キエナイデクレ)
落ち込みたくて落ちるでもない
(マケナイデクレ、マケナイデクレ)
今日一日の出来事を胸に刻み込むまで!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
曲の途中、加藤と僕のギターは手を休め、武藤と咲のリズム隊だけの演奏に切り替わる。
武藤は咲ばりの正確なリズムでバスドラを打撃し続け、咲はリズムはそのままに、メロディーラインだけ少しソロっぽい感じでベースを弾く。ギターの音が無いのに、疾走感が増す。
見ると、観客が、このリズムに合わせて手拍子をしている。以前の僕なら、こんなの観客のお世辞・お愛想だ、とひねくれただろうが、今、僕は無性に嬉しい。
咲の曲がこの人たちに認められたんだ、と、否が応にも気合いが入る。
加藤にもその気合いが漲ったようだ。武藤のスバシッというスネアを合図に、加藤は鋭く、ワンフレーズだけ、ギターをかき鳴らし、またすぐ手を休める。そして、武藤のスネアを合図に、その動作を繰り返す。ギターの有音と無音の隙間の緊張感。そして、その背後には正確無比だが、血の通ったドラムとベース。僕も参加したくてうずうずしてくる。次の武藤のスネアを合図に加藤がかき鳴らしたそのすぐ後に、リフをやや大人しく変調させたフレーズを僕は割り込ませる。3人を邪魔しないように、でも、僕もここにいるぞ、とはっきりと主張するために。
酔っているのだろうか。後方のテーブルでは若いお客さん達が、立ち上がって手を振っている。軽く踊っている人までいる。まるで野外ステージのロックイベントみたいだ、と、妙に感激する。
そろそろ、この曲も終わりに近い。武藤が渾身の力でハイハットとスネアをかぶせて叩くのを合図に、加藤も体を揺らしながらリフを弾き始める。咲のベースがさらにタイトなリズムをはじき出す。僕は最後のフレーズを歌い始める。
走りたくて走るでもない
(ヤメナイデクレ、ヤメナイデクレ)
弾きたくて弾くのでもない
(ヤメナイデクレ、ヤメナイデクレ)
歌いたくて歌うでもない
(マケナイデクレ、マケナイデクレ)
腹の底から湧き上がるこの不思議なココロで!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
レ・トゥ・トゥ・ダ・ダ!
ギター、ボーカル、ベース、ドラム、それぞれが、自分の一番気持ちのいい音を奏でながら、曲を終えた。
拍手と、指笛の中、僕たちは全員でお辞儀をして、マイクスタンドの前から離れた。
「やるな、4LIVE」
セッティングに向かう‘枯井戸’のボーカル、加賀谷さんに声をかけられた。そして、僕のべったりと額に張り付いた前髪を右手でくしゃくしゃとしながら、
「やりすぎだ」
と笑いかけてきた。
「これじゃ‘前座’じゃなくて、‘先発’・‘中継ぎ’・‘抑え’みたいな感じになっちゃったじゃないか」
本当にそう言ってくれているのなら、とても光栄だし、嬉しい。僕は加賀谷さんに向かって「頑張ってください」と、笑顔で声をかけた。
「もちろん」と言って、加賀谷さんも笑顔でマイクスタンドの前に立った。




