第15話 かげろう(その9)
ええー?という感じで加藤と武藤が驚いてみせている。咲はええー?というような咲らしくないジェスチャーは決してしないが、それでも普段はクールな眼を少し丸くしているように見える。しかし、一番、ええー?と大声を出したいのは僕だ。
神谷さんに代わって、ようやくマスターが自分で話し始める。
「室田のお父さんは、うちの子会社のやり手営業マンだった。県内のありとあらゆる音楽施設、それこそ、小中高の音楽室に至るまで把握して付き合いがあってな。当然市内で一番の老舗ライブハウスだった‘ポピー’の前オーナーとも友達みたいなもんだった。
俺が市のクラシカルホールの仕事をやった時も、室田のお父さんに頼んで、色んな方面との橋渡しをやってもらったよ。
そんなこんなで、俺が相談したら、じゃあ、自営業者にならないか、って言って来てな。
よく聞いたら‘ポピー’の跡を継がないか、って話だったんだよ。
ただ、商店街自身がさびれて、ライブハウスの客も減り続けてた。自分がやったって、うまく行くかどうか分からなかったけどな。
ほんとはオーナーはライブハウスの土地と建物を俺に売りたかったんだよな。まあ、それまでの貯金と退職金でなんとかなりそうな金額ではあったけれども、父親の介護にどのくらい費用がかかるか見えない部分もあったからな。だから、買うんじゃなくって、賃貸にしてくれ、ってオーナーに頼んだんだ。設備だけはお金で譲渡してもらう形にしたけどな。だから、店の不動産としての所有者は今でもオーナーだよ。俺はあくまでもそこを賃借してやってるだけ。それで、ライブハウスだけじゃ収入が不安だから、隣の廃業してたお茶屋さんの小さい店舗も賃借して、中を改装して一階を楽器屋に、二階をスタジオにしたんだ。結局、俺の店は、全部借り物だよ」
僕は、何だか不思議な気分になった。中1のときの轟音叩きつけの時まで、僕の父親が自分のことをほとんど何も知らなかったのと同じように、僕も父親のことをほとんど知らない。なんだか、ああ、馬鹿だったな、という気分になる。
神谷さんは、少し寂しそうにまた話し始めた。
「僕は、マスターほどの決断はできない・・・
僕は母が早くに亡くなって、父親が残ってるだけなんだけど・・・
父親は70代前半なんだけど、母親が亡くなってから、心身共に急激に弱ってしまって。
認知症、ではないんだけど、火の始末とかも正直心配で、独り暮らしはさせられないかな、と。なので、グループホームに入居させてるんだ」
マスターは、神谷さんの話を、目を閉じてじっと聞いている。
「ほんとは東京のグループホームに入居させようとしたんだけど、故郷を離れるのだけは絶対嫌だと言い張ってね・・・・
確かに、生まれ育ち、学校から仕事から友達、そして自分の女房まで全部県内での人生だったからね・・・
だから、僕は、罪悪感にかられる部分もあって、週末には帰郷するようにしてるんだ。Acid Voiceの練習、っていうのも自分への動機づけにしてね」
「難しいですよね・・・」
枯井戸のボーカル、加賀谷さんが、さっきまでとは違う、シリアスな感じで呟いた。
「俺は、図らずも地元で就職して、働きながら地元の仲間たちとバンドや色んな行事や遊びで関わりながら、地元で生きてる。別に、親の面倒を見ようとか、地元のためにとか意識したわけじゃないですよ。自然に、こうなっただけで、はっきりいって、何も考えてない。
でも、マスターや神谷さんは、悩んで苦しんで、今の選択をしてますよね・・・」
「おい、4LIVEよ」
マスターが唐突に僕たち4人に声を掛けた。‘4LIVE’と、まとめて呼ばれると、なんだか改まった感じがする。
「お前らはこれからどんな進路を進むのか分からんけど、ここでこうやって集まってるみんなは、別に親孝行、とか、家の跡を継ぐ、とかそういうことのためにやってる訳じゃないんだよ」
マスターは、4人の方に顔を向けて、ゆっくりと言葉を継いだ。
「さっき、氏神様に祈願したよな・・・
俺は、親兄弟とか子供とかいう血縁や家族、といったものの前に、地元の縁、ていうものも強く感じる。
ことあれば、この商店街の皆は氏神様と関わる。咲、お前はさっきの祈願を迷信と思うか?」
咲は少し考えた後、ゆっくりと首を横に振った。マスターは咲の顔を見て、うん、と軽く頷いた。
「俺には残念ながら神様の姿が見えないから、お前たちに神様の存在を断言することはできない。見えれば断言してやれるんだがな・・・
でも、あの氏神様の神社が、この俺たちが住んでる地元の中心だ、ってことは俺は十分、分かりすぎるくらいに分かってる。いや、この場所で商売をするようになってから、思い知らされてる、っていう方がいいかもしれない」
神谷さんも、加賀谷さんも、大人たちはじっと、聞いている。おそらくは、自分一人ひとりの様々な事情と照らし合わせながら聞いているのだろう。
「お前らは若いからな・・・神様、っていうのが違和感を持つかもしれないから、俺はさっき、‘地元の縁’って言い換えた。
その、地元の縁のホームポジションがあの神社なんだな、って感じる。あの神社を中心に広がっているこの地元の土地の面積。たとえ、現住所が地元じゃなくても、地元で生まれて一旦あの神社の氏子になった以上は、ホームポジションとの縁は絶対に無くならない。
ことある毎にホームポジションに戻る・・・体が物理的に戻れなくても、精神は戻らざるを得ないことが絶対にある。
そのホームポジションと関わる以上、そこに縁のある親も、家も、自分達が考えなくちゃいけない要素の一つだ、ってだけさ」
さ、そろそろ行くか、と、照れたのか、マスターは伝票を持って立ち上がった。
マスターが会計をしている間、僕は加賀谷さんに、加賀谷さんの仕事は何か、と訊いてみた。
「ん・・「仙田」って文房具の店、知ってるよね。隣のデパートにも店、入ってるけど」
「仙田」は、県内では中堅の事務用品の卸・小売業者だ。
「そこで、営業やってるよ。店頭には出ないから、来てもおまけしてあげられないけど。
また、使ってやってよ」
やっぱり、加賀谷さんも、大人だった。




