第14話 かげろう(その8)
神谷さんはゆっくりと話し始めた。
「近藤さん・・・マスターは、僕が新入社員の頃に技術課長だった。とにかく、楽器という楽器のことに精通してて、ギターやベース、ドラムなんかのロックだけでなく、ピアノはもちろん、管楽器にしたって、サキソフォンだけでなく、クラシックの分野にも知識と技術が及んでた。もっと凄いのは、そういった何十種類もの楽器を大概演奏できた、ということだよ」
マスターは、足を組んだまま、手をぶんぶんと振る。
「違う、違う。ほとんどの楽器はドレミファソラシドを弾ける程度だよ」
「いや・・・・僕は近藤さんが参加してた市民オーケストラでトランペットを吹いているのをこの目で見ましたからね・・・
かと思えばジャズバーでサックスを染み入るように吹いていたのも見ましたよ」
マスターは‘違うんだけどなあ・・・’と呟きながらも、観念して神谷さんに思うままに話させることに腹を決めたらしい。
「東京本社の技術課は、製品開発に直接携わる研究チームと製品を購入してくれる顧客へのフォローをする顧客対応チームとに分かれてて、近藤さんは顧客対応チームから双方を統括する課長になったんだよ。
たとえば、この市のクラシカルホールはスピーカーからミキシングシステムまですべてkey TECHNOSの製品が納入されてるけど、これの受注・納品から据え付け時、据え付け後の技術指導までを近藤さんが昔やったんだよ。クラシカルホールはクラシックだけでなくロックコンサートもやれば演歌もやる。そういった異なるジャンルで使っても最高の音質になるようにセッティングするには、音楽というものを知り尽くしている近藤さんのような人じゃないとできない仕事なんだ。
それで、僕は近藤課長のもとで、部下として働いてた。同郷だということもあったし、可愛がってもらったよ。僕の側からは尊敬し、目標だったしね。この話は加賀谷くんにはしたことあったかな?」
加賀谷、と呼ばれて枯井戸のボーカルが反応するのを見て、ああ、そういえば、さっき自己紹介の時に名前がはっきり聞こえなかったけれど、枯井戸のボーカルの人は加賀谷さんだった、と、僕は大変申し訳なく思った。
加賀谷さんは、いや、そこまでは聞いたことないです、と答える。神谷さんは続ける。
「でもね、近藤さんは、すぱっ、と辞めちゃうんだ。39歳の時でしたね。はっきり言って僕はショックでしたけどね」
「え、何で辞めたんですか?」
加賀谷さんがさももったいない、というような顔をして質問した。神谷さんはマスターの顔を見て話し始める。
「僕から説明していいですかね?近藤さん・・・」
マスターの、何でもいいよ、というような頷きで神谷さんは話し続けた。
「近藤さんのお父さんがくも膜下出血で倒れてね。後遺症が残って介護が必要になったんだ。近藤さんの妹さんももう、県外に嫁いでたし。近藤さんは色々と考え、奥さんとも話し合った末に、実家に戻ってご両親と同居することにしたんだ。近藤さんの奥さんは、お母さんと一緒に、お父さんの介護をする、と決心した。近藤さん・・・マスターも、もちろん、仕事が終わった後や時間の許す限りお父さんの介護をしたい。さあ、そこで、だよ・・・」
神谷さんは、なぜか僕の顔を見る。そして、また口を開いた。
「介護をするとなると、家から通えて転勤もない、っていう仕事を探さないといけない。
サラリーマンとしてはそんな都合のいい職場はそうそうない。地元企業と言ったって、他の県に支社や営業所があれば、転勤の可能性は当然ある。もちろん、ホームグラウンドはこの県だから、帰着点は故郷、ってはなるけども。マスターの場合は、今も先もずっと実家のそばにい続ける、っていう条件が必要だった。
運のいいことに、というか、そんなに運はよくなりそうにはないけれど、というか。
この商店街がちょうどシャッター商店街になりかけた頃で、この市では伝統あるライブハウス、‘ポピー’も、マスターの前のオーナーが、営業を辞めよう、って考えてたところだったんだよ。そんな時、Uターン転職しようとしてるマスターと前のオーナーの間に入ってくれたのが、ムロタトシキさんだよ」
僕は、ん?、と思った。‘ムロタトシキ’、聞き覚えのある名前だ。
マスターが苦笑いしながら僕に声をかける。
「室田。室田 俊樹。お前のお父さんだよ」




