第42話 再会
馬車道へ戻ってきた頃には、すっかり日も暮れ始めていた。
司はカレンに声を掛けて、馬車道の途中で馬車を止めてもらう。
朝から自由市を歩き回り、午後も挨拶回りを続けていたこともあって、通りを歩き始めた二人にはそれなりに疲れが見えていた。
「クロエさん、お腹空いてない?」
「空いてます!」
「それじゃあ、どこかで夕飯を食べて帰ろうか」
「いいですね!」
司は少し考えてから、以前訪れたことのある店へ向かうことにした。
そこは馬車道の中でも、高級店が集まる区域と庶民的な店が並ぶ区域のちょうど境目辺りにある、小洒落たバーのような店だった。酒場というには落ち着いた雰囲気で、店構えにもどこか上品さが感じられる。値段は決して安くないものの、庶民でも少し奮発すれば手が届く程度。実際に利用してみると料理も酒も美味しく、司はすっかり気に入っていた。
「ここですか?」
「うん。前に来たことがあるんだけど、料理が美味しかったんだよね」
「へぇ、楽しみです!」
二人は店の扉を開けた。
店内は少し薄暗く、壁に取り付けられた魔道具の明かりが、落ち着いた色合いの内装を柔らかく照らしている。
客の話し声もそれほど大きくなく、ゆったりと食事や酒を楽しめる雰囲気だった。
案内された席に座り、二人はメニューを開く。
「ツカサさん、何にします?」
「そうだな……。ここのフルーツ酒が結構美味しかったんだよね」
以前来た時、司が最初に注文したのもフルーツ酒だった。
ワインのような酒も置かれていたが、司は元々ワインよりもビールか酎ハイの方が好みだ。そこで、まずは大きく外すこともなさそうなフルーツ酒を選んだのだった。
その時は料理と一緒に楽しんだあと、エールも注文した。
この世界には冷蔵庫のような魔道具も存在するし、瓶を丸ごと入れて短時間で冷やすような物もある。
その店で出されたエールも、しっかりと冷えていた。
日本のビールとは違う独特の風味があったものの、程よい癖があって嫌いではなかった。
結局、その日は二時間弱の間に五種類ほどの酒を楽しんだのだが、帰り道の足取りは思いのほかしっかりしていた。
ただ、今日は明日に店の開店を控えていることもあり、司もさすがに前回ほど飲むつもりはない。前日の飲酒が翌日の仕事に響くことは、司としても避けたかった。
「今日は軽く飲むくらいにしておこうかな」
「明日がありますもんね」
「そうそう。初日から二日酔いなんて格好悪いし」
「それは困りますね」
司の言葉にクロエが笑いながら返事をして、メニューをのぞき込む。
二人はそれぞれ料理と飲み物を注文し、しばらくして運ばれてきた食事を楽しみ始めた。
「クロエさんは明日は楽しみ?」
「もちろん楽しみですよ!緊張もしていますけど‥‥」
「やっぱり?」
「だって、初めての接客ですから。上手くできる自信もそんなにありませんし‥‥。ただ、今日いろんな人に宣伝してきたじゃないですか」
「うん」
「その人たちがどのくらい来てくれるのかなっていう不安もありますけど、この服をすごく褒められたので期待の方が今は多いです」
そう言って、クロエは自分の着ているワンピースへ目を落とした。クロエが自分で染めたお気に入りのタイダイ染めのワンピースだ。
今日一日だけでもかなりの注目を集めたのだが、司自身、ここまでの反応はいい意味で予想外であった。
「タイダイは結構期待できそうだよね」
「はい! 私もそう思います!」
クロエが嬉しそうに頷く。
その後も二人で料理の感想を言い合ったり、明日の店のことを話したりしながら、ゆっくりと食事を楽しんだ。
途中、近くの席にいた女性客からクロエのワンピースについて尋ねられる場面もあった。
「すみません。その服、どちらで買われたんですか?」
「あ、これですか?」
クロエが顔を上げる。
「実は、明日オープンするお店の商品なんです!」
「お店の?」
「はい! 私もそこで働いているんですよ」
司も会話に加わり、店の場所やタイダイ染めについて簡単に説明する。
女性は興味深そうにクロエの服を眺め、連れの女性とも何やら話し始めた。
「今度見に行ってみようかしら」
「ありがとうございます。ぜひいらしてください」
女性が席へ戻ったあと、クロエは満足そうに自分のワンピースを見下ろした。
「ほんと、この服を着てきてよかったです」
アルコールのせいか、少しだけ頬を赤くしたクロエが、嬉しそうに微笑む。
「そうだね。受けが良さそうで安心しているよ」
「明日も着てこようかな……」
「それはいいんじゃない? 今日みたいに宣伝にもなるし」
「じゃあ、そうします!」
そうしてゆっくりと夕食を楽しんだ二人は、会計を済ませて店を出た。
外はすっかり暗くなっていた。
この時間帯になると、高級店も多い馬車道の一角は一気に人通りが減る。
広い道幅のある通りを、等間隔に設置された街灯が淡く照らしていた。
司は店を出てしばらく歩いたところで、不意に以前の出来事を思い出した。三人組の男達に襲われた時のことだ。
この世界に来てから、司が直接暴力を受けたのはあの時だけだった。
男達に殴られ、蹴られた時の痛みは、今でも鮮明に覚えていた。
司は無意識に周囲へ視線を走らせるが、さすがにあの暴漢達もわざわざ二人連れを狙うことはないだろうと考え、軽く頭を振って不安を振り払った。
「どうかしましたか?」
足を止めた司に、クロエが不思議そうな顔で尋ねた。
酒のせいか、その頬にはいまだに僅かに赤みが残っている。
明日の開店を楽しみにしていることもあって、先程までは終始上機嫌だったが、今は司の様子を心配そうに見つめていた。
「いや、なんでもないよ」
そう答えると、司は再び歩き始めた。
人通りのほとんどない馬車道を、二人で並んで歩いていく。
クロエは司の店で働くため、最近になって店から程近い宿へ移っていた。
司としては部屋に余りもあるし、そのまま店に住んでもらってもよかったのだが、年頃の女の子に一つ屋根の下に住まないかと上司の立場から提案することに若干の抵抗があり、一旦は保留としている。
二人は明日の開店について何気ない会話を交わしながら歩いていたが、やがて司は少し先の歩道に人影が立っていることに気が付いた。
ただの歩行者であれば、司も気に留めなかっただろう。
しかし、その人影は司達の方を向いたまま、動く気配を見せなかった。
そして何より司の警戒を強めたのは、その人物の格好だった。
薄暗い街灯の下でも、フード付きの外套を深く被っていることが分かる。
その姿は—―以前、司を襲った暴漢達の風貌とよく似ていた。
「クロエさん、止まって」
「え?」
突然横から聞こえた司の真剣な声色に、クロエが驚いたように顔を上げる。
クロエが司の顔色を確認すると、その額には先程までなかった汗が薄く浮かんでいた。
「……ツカサさん? どうしたんですか?」
「向こう側に渡ろう」
司はそう言うと、クロエの手を引いて馬車道を渡ろうとした。
突然の行動にクロエは驚いたが、その視線は次の瞬間、司の進路へ割り込んできた大きな影に向けられた。
「おっと、こっちは通行止めだぜ」
大柄な男が、司達の行く手を阻むように立っていた。
暗い色の外套を深く被っており、顔まではよく見えない。
しかし、その体格と声を聞いた司は、以前自分を襲った三人組の一人だと瞬時に判断した。
「クロエさん! 逃げて!」
司は咄嗟にクロエの手を離し、来た道を引き返すように伝えた。
司の反応から、自分達が襲われていることを察したクロエは、すぐに背後を確認する。
しかし、そちらにも同じような格好の男が、道を塞ぐように立っていた。
「おっと、そっちも駄目だぜ」
大柄な男が笑いながら、外套の内側から剣を取り出した。
「ほら、そこの脇道に入りな」
男は剣先で近くの路地を示した。
司は咄嗟に周囲を確認する。
しかし、いつの間にかクロエのすぐ近くにも別の男が立っており、その手には同じように剣が握られていた。
さらに、先程まで少し離れた場所にいた三人目の男も、嫌らしい笑みを浮かべながら近づいてくる。
完全に囲まれていた。
「……くそっ」
司が小さく呟く。
「ツカサさん、ここは従いましょう」
不意にクロエが口を開いた。
司が隣を見ると、クロエは剣を向けられているにもかかわらず、落ち着いた様子で男達を見ていた。
ただ、その目は普段のクロエからは想像もできないほど冷たかった。
そしていつの間にか先ほどまでアルコールによって赤く染められていた頬も普段通りの色に戻っていた。
「……分かった」
司は小さく頷き、クロエと共に路地へ向かおうとする。
しかし、その背中へ大柄な男が声を掛けた。
「おっと、その前に」
司が足を止める。
「どうせナイフ持ってるんだろ? 前みたいに抵抗されちゃ困るんだよ」
男が顎で司の腰元を示した。
前回、司が抵抗するために使った唯一の武器。
その存在は当然、もう相手に知られていた。
「……分かったよ」
司はゆっくりとナイフを取り出した。
「おい、変な真似するんじゃねぇぞ」
司はナイフを足元の石畳へ放り投げた。
金属が石に当たる乾いた音が、静かな馬車道に響く。
「へへっ。最初からそうしてりゃ、前回も痛い目を見ずに済んだのによ」
三人の中で一番小柄な男が笑う。
司は何も答えず、クロエと共に路地へ足を踏み入れた。
馬車道から離れるにつれて、周囲はさらに暗くなっていく。
両側には建物の壁が迫り、通りから差し込む街灯の光も奥までは届いていなかった。
三人の男達は司とクロエの後ろから、逃がさないように距離を保ちながらついてくる。
「‥‥この人達が、前にツカサさんを襲った人達ですね?」
歩きながら、クロエが静かに尋ねた。
「‥‥うん。そうだよ」
「そうですか」
それだけ答えると、クロエは再び前を向いた。
司は隣を歩くクロエをそっと覗き見た。
先程まで楽しそうに夕食を食べていた時とは、まるで別人のように真剣な眼差しで前方を見つめている。
その表情から、クロエが何を考えているのかは司には読み取れなかった。
やがて、路地の一番奥まで来たところでクロエが足を止めた。
「ふん、やっと止まりやがったか」
後ろから男の声が飛ぶ。
しかし、クロエは動かなかった。
「……まさか、同じ場所で、しかも今度は女連れで現れるとはな」
大柄な男が笑いながら前へ出る。
「お前のおかげで、こっちは随分と迷惑してんだよ」
「……何のことだよ」
司が尋ねると、男は苛立ったように舌打ちした。
「とぼけんじゃねぇ。警備隊が俺達を探し回ってるんだよ。おかげでまともに仕事もできやしねぇ」
「……」
「タイミング的にもお前がチクったっていうのは分かってるんだ」
男は吐き捨てるように言った。
それに対して司は何も答えなかった。
実際にクロフォード家へ相談したのは事実だったし、その結果として警備隊が動いていることも聞いていた。
「へへっ。この街じゃ殺しはできねぇからって、安心してたんだろ?」
別の男が下卑た笑みを浮かべる。
「だがな、死ぬより辛い目に遭うことだってあるんだぜ?」
「ちょうどいいじゃねぇか。そいつを痛めつけたあと、目の前でその女を犯してやろうぜ」
三人目の男がクロエを見ながら、耳障りな笑い声を上げた。
この男こそ、前回司を殴り飛ばし、蹴りまで入れた男だった。
男の言葉を聞いた司の表情が強張る。
「クロエさんには手を出すな!」
思わず声を荒らげた司を見て、男達はさらに笑った。
「ギャハハッ! 何だよ、急に元気になりやがって!」
「前みたいに痛めつけてやれば、すぐ大人しくなるだろ」
大柄な男が一歩前へ出る。
「油断した自分を恨むんだな」
その言葉を合図に、三人の男達がそれぞれ武器を構えた。
司は反射的に身構える。
しかし、その隣に立つクロエは動かなかった。ただ、男達を真っ直ぐに見据えていた。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
クロエが静かに口を開いた。
「あん?」
「どうして私が、こんなに路地の奥まで進んだのか分かりますか?」
大柄な男が眉をひそめる。
「……知らねぇよ、そんなこと。どうせ時間稼ぎでもしてたんだろ?」
「違います」
クロエは首を横に振った。
「なるべく奥まで来た方が、逃げられないからです」
一瞬、男達の間に沈黙が流れた。
そして、三人目の男が大きな声で笑い始めた。
「ギャハハハッ! 何だそりゃ!」
「わざわざ自分が不利になるようにしたってことか? 馬鹿な女だぜ!」
男達の笑い声が狭い路地に響く。
しかし、クロエは表情を変えなかった。
「勘違いしないでください」
そう言って、クロエは何も持っていない右手をゆっくりと持ち上げた。
「逃げるとすれば、それはあなた達の方です」
次の瞬間。
路地の入口付近の空気の温度が急激に下がった。
石畳の上に白い霜が広がり、建物の壁を這うように氷が伸びていく。
男達が異変に気付いて振り返った時には、既に巨大な氷の壁が路地の入口を完全に塞いでいた。
「……は?」
三人の中央に立つ大柄な男の口から、間の抜けた声が漏れた。




