第40話 開店準備③
翌日。
朝食を済ませた司は、クロエが店に来るよりも早く買い出しへ出ていた。
向かったのは、以前ミーナと訪れた日用品を扱う店。
そこで必要な物を買い揃え、持ってきていた台車に荷物を積んでいくと足早に店へと戻る。
そしてクロエが出勤してきた頃には、一階の店内に大量の木製のバケツが並べられていた。
「おはようございます、ツカサさん!」
「おはよう、クロエさん」
店へ入ってきたクロエは司に挨拶を返すと、すぐに店の床へ視線を向けた。
昨日まではなかった木製のバケツがいくつも並んでいる。
「……凄い量ですね」
「二十個あるからね」
「二十個……。これ、どうするんですか?」
クロエが一番近くにあったバケツを覗き込むが、中にはまだ何も入っていない。
「出来上がってからのお楽しみかな」
「もう、まだ秘密なんですか?」
司の返事を聞いたクロエは少し不満そうな表情を浮かべたが、対して司は笑うだけでその先を答えるつもりはないらしい。
「とりあえず、裏に運ぼうか」
「はい」
二人でバケツを持ち、店の裏庭へと運んでいく。
二十個全てを並べ終えると、今度は井戸から汲んだ水をそれぞれのバケツへ入れていった。
日本とは違ってこれだけでも時間もかかるし、意外に重労働だ。
女性に任せるわけにもいかないので、司が率先して井戸の桶を引いていく。
ようやく全てのバケツに水を汲み終わると、そこへ司が事前に用意していた液体を少量ずつ加えていく。
「これは?」
「染めた色を服に定着させるための物だよ」
「そういうのがあるんですね」
「うん」
それを聞いて、クロエがようやく昨日の話と繋がったのか納得したように頷いた。
ただし、知っているのは服を染めるということだけ。
どうしてそのために二十個ものバケツが必要なのかまでは分からない。
大きな桶でも良いのではないかという疑問がクロエの頭に浮かぶ。
司は棒を使って水と固着液を混ぜ終えると、再び店の中へ戻った。
昨日残しておいたクロエが選んだ古着の山から一着のシャツを取り出し、作業台の上へ広げる。
「じゃあ、まずこれからやろうか」
クロエが隣から司の手元を覗き込む。
司はおもむろにシャツの中央付近を指で摘んだ。
そして、そのまま手首を捻るようにゆっくりと回していく。
「……?」
クロエが首を傾げる。
司はその様子を気にする素振りもなく、そのまま服を巻き込んでいく。
最初は皺が寄っただけだったシャツが、回転させるたびに中央へ集まり、次第に円形へと変わっていく。
最後に形を軽く整えると、先程まで一枚のシャツだった物が、今では平たい円盤のような形に纏まっていた。
「これを紐で固定する」
司は用意していた細い綿紐を手に取り、形が崩れないよう何方向からも縛っていった。
「……服、ですよね?」
「服だよ」
「これ、本当に元に戻るんですか?」
「戻る戻る」
心配そうなクロエに司が笑う。
クロエには、司が何のために服をこんな形にしているのか全く分からない。
それでも司からやり方を教わり、自分でも一着の服を広げた。
「真ん中を摘んで……」
「そう。そのままゆっくり回して」
「こうですか?」
「うん。上手だよ」
司の手元を確認しながら、クロエも見よう見まねで服を巻いていく。
最初の一着は少し形が崩れていたが、二着、三着と続けるうちにクロエも徐々に慣れてきた。
そうして二人で作業を続け、二十着ほどの服を縛り終える。
「次はこれを外に持っていくよ」
「はい!」
二人で裏庭へ移動し、先程用意しておいたバケツへ一着ずつ服を沈めていく。
全てを入れ終えるのに時間は掛からなかった。
「これでしばらく待とう」
「まだ染めないんですか?」
「先に染まりやすくしておくんだよ」
それから他の服のメンテナンスをしながら、待つこと三十分ほど。
二人はバケツから服を取り出し、軽く水気を切っていく。
裏庭には、事前に用意しておいた大きな鉄網が置かれていた。
その上へ、縛ったままの服を一つずつ間隔を空けて並べていく。
全てを並べ終えたところで、クロエが満足そうに腰へ手を当てた。
「これで完成ですか?」
「むしろ今からだよ」
「まだあるんですか?」
司は店内へ戻るとバックヤードからいくつもの容器を抱えて戻ってきた。
赤、青、黄、緑。
中にはそれらを混ぜて作られた色もあり、様々な染料が揃っている。
「こんな種類の染料どこで」
「トリーナでクロエさんの家から戻る途中に買っておいたんだ。持って帰るのも大変だったから、ヒルダさんに預けて、服と一緒に送ってもらったんだよ」
「全然気付きませんでした……」
司はその中から二色の染料を選び出した。
「クロエさんも好きな組み合わせを選んでいいよ」
「好きな組み合わせ……」
クロエは並べられた染料を見渡し、少し悩んでから二色を手に取った。
その横で司は、先程縛った服へ染料を掛け始める。
紐で区切られた一部分へ一色、その隣へまた別の色を振りかける。
染料が布へ染み込み、境目では二つの色が僅かに混ざっていく。
「そんな雑な感じでいいんですか?」
クロエが心配そうに尋ねる。
「うん。むしろ丁寧すぎるよりは、大雑把なくらいでいいかな」
「大雑把な方がいいんですか?」
「その方がアジが出るからね」
そう言いながら司は気にすることなく染料を掛けていく。
クロエも恐る恐る自分の選んだ染料を服へ落とした。
最初、クロエも司のやり方を真似するだけだったが、二着目、三着目と進むにつれ、その表情が少しずつ変わっていく。
「次は……この色と、この色にしてみてもいいですか?」
「もちろん。色々試してみよう」
「じゃあ、これは三色でも?」
「いいよ」
「じゃあ……これと、これと……」
いつの間にか、クロエは楽しそうに染料を選び始めていた。
組み合わせを変えながら、次々と服へ色を付けていく。
司自身も、元の世界で何度かはしたことがあるけど、この作業は嫌いではない。
やがて二十着全てに染料を掛け終える。
「よし。このまま明日まで置いておこう」
クロエが染料まみれになった服を眺める。
今の状態では、とてもまともな服になるとは思えない。
「どうなるか全然想像出来ないですけど……楽しみです!」
「明日になれば分かるよ」
その後は店内へ戻り、昨日と同じように商品のメンテナンスを進めた。
そして翌日。
店へやって来たクロエと共に司に裏庭へ向かった。
昨日染めた服がそのままの状態で並んでいる。
「じゃあ洗おうか」
井戸から水を汲み、縛ったままの服を一着ずつ洗っていく。
最初は水に濃い色が混じっていたが、何度か水を替えて洗ううちに、徐々に流れ出る色も薄くなっていった。
そして十分に余分な染料を落としたところで、司が一着を手に取る。
「これくらいかな」
「紐、取るんですか?」
「うん」
縛っていた綿紐を解いていく。
結び目を解くと案外紐は簡単に外れていく。
紐を地面に置くと、司は小さく纏まっていたシャツを両手で広げたみせた。
「わぁ!」
隣にいたクロエから歓声にも似た大きな声が上がる。
昨日まで地味な色味だった普通のシャツ。
その表面には、中心から外側へ向かって螺旋を描くように二つの色が広がっていた。
色の濃い部分や薄い部分、元の生地の色が残っている部分、それらが不規則に混ざり合い、一つの大きな斑模様を作っている。
「すごい……」
クロエが目を輝かせながら、司の持つ服を見つめる。
「タイダイ染めっていう手法でね」
「タイダイ染め……」
「服の縛り方とか染料の掛け方で、微妙に柄が変わるんだ。だから全く同じ物が作れない」
司はシャツを広げたまま続けた。
「同じ柄がない、唯一無二の服になるんだよ」
「こんな鮮やかな柄の服、私見たことありません!」
その反応を見て、司も少し安心した。
日本なら決して珍しくない。夏になれば比較的目にする機会も増える。
だが、この世界では違う。
もちろん、派手な服が存在しないわけではない。
だが、このように不規則で複雑な模様を意図的に作った服を、少なくとも司はまだ見たことがなかった。
「次も開けてみようか」
「はい!」
今度はクロエが一着を手に取った。
紐を解き、ゆっくりと服を広げる。
「わっ! こっちはさっきのと全然違います!」
先程とは違う色味、染料の染まり方も違っている。
次の一着、さらに次の一着と紐を解いて広げるたび、クロエは新鮮な反応を見せた。
「これ、私が染めたやつです!」
「結構いい感じになったね」
「はい!」
二十着全てを広げ終える頃には、裏庭は昨日とは全く違う光景になっていた。
「後は洗剤で洗って、干していこう」
「はい!」
二人で一着ずつ洗い直す。
そして店用に購入していた物干し竿へ掛けていった。
赤と青、黄色と緑。
様々な色が混ざり合った服が風に揺れる。
この世界では中々見られないであろう、カラフルな色彩。
「すごいです……」
クロエが物干し竿に並んだ服を眺める。
「私が選んだ服が、まるで別物になっちゃいました!」
自分がトリーナの倉庫で一着ずつ選んだ服。
あの時には、まさかその服がこんな姿になるとは、クロエは想像すらしていなかった。
司も満足そうに並んだ服を眺める。
「これなら商品になりそうだね」
乾くまでの間、二人は再び店内へ戻り、残っている商品のメンテナンスを進めた。
そして、さらに翌日。
十分に乾いたタイダイ染めの服が二階の作業台へ並べられていた。
一着ずつ皺を伸ばし、状態を確認する。
そして最後に残ったのは値付けだった。
「これはいくらにするんですか?」
クロエが一着を手に取って尋ねる。
司も少し考えた。
「120ルピーにしようかな」
「120ルピー……」
クロエが服を見ながら頷く。
「それくらいなら、普通の人でも買えますね」
「うん。最初だし、手に取りやすい値段の方がいいと思う」
今回使った古着自体、それほど高く仕入れた物ではない。
染料などの費用を加えても、原価率は3割程。十分に利益は残る。
司にとって、何より今は、この服がこの世界で受け入れられるのかを確かめたいという気持ちの方が大きかった。
司は値段を書き終えると、ふとクロエへ目を向ける。
「そうだ。クロエさんも一着、気に入ったやつ持っていっていいよ」
「えぇ!? そんな、申し訳ないですよ!」
クロエが慌てて首を振る。
「別にいいよ。それに、こういう新しい服は誰かが実際に着てた方が、お客さんも着た時のイメージが付きやすいからね」
「……そうなんですか?」
「うん。売るために必要なことだよ」
司がそう言うと、クロエは少しだけ迷う仕草をみせた。
そして、それから作業台に並ぶ服へゆっくりと視線を向ける。
「そういうことなら……」
一着ずつ見比べる。
そして、昨日自分が染めた中の一着を手に取った。
「これでもいいですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
クロエが嬉しそうに服を抱える。
残った服にも全て値段を付け終えると、二人は一階へ運んでいった。
タイダイ染めの商品を置く場所は、既に司の中で決まっていた。
店へ入った時、比較的目に入りやすいラック。
そこへ一着ずつ服を掛けていく。
全ての商品を並べ終えると、司とクロエは少し離れた場所へ移動した。
「できたね」
「できましたね」
二人の目の前には、何日も掛けて作り上げた店がある。
少し前まで何もなかった一階部分。
そこには今、何本ものラックが並び、その全てに服が掛けられている。
壁際の棚にも綺麗に畳まれた服が並び、一番目立つラックには、他の店ではまず見れない色鮮やかな服が並んでいた。
まだ開店はしていない。
それでも、もうここは誰が見ても服屋だった。
「これなら明日からでも開けられそうですね!」
クロエが期待するように司を見る。
司も店内をもう一度見渡した。
必要な物は一通り揃ったし、商品もある。ギルドに出す書類の準備も終わっている。釣り銭などの準備も万端だ。
「じゃあ、明日は休みにして、明後日から店を開けようか」
「……え?」
クロエの表情が止まる。
「明日からじゃないんですか?」
「明日は色んなところに挨拶に行ってくるよ」
「挨拶?」
「うん。店を開くことになったって、世話になった人達には伝えておきたいからね」
この世界にはSNSなんて便利な物はない。
新しい店を開くと告知するなら、ビラを配るくらいだろう。
だが大量の紙を用意するのも簡単ではないし印刷技術がどれほど発達しているかは司にはまだ分からなかった。
それなら、まずは自分が知っている人達へ直接伝えて回った方がいい。
司はそう考えていた。
「そういうことなら、私もついていきます!」
「え?」
「私も従業員ですから!」
クロエが当然のように言う。
そして、先程貰ったタイダイ染めの服へ視線を落とした。
「さっきの服を着ていきます!」
「いや、別にクロエさんまで来なくても――」
「行きます!」
クロエは司の言葉を遮るように即答する。
司が何か言おうとしても、クロエは譲る様子がなかった。
しばらくその顔を見た後、司は諦めたように小さく息を吐いた。
「……分かった。一緒に行こうか」
「はい!」
クロエが嬉しそうに返事をする。
開店は二日後に決まった。
何もなかった店に商品が並び、クロエという頼りになる従業員もいる。
ようやく司の店が、完成したのだった。




