第38話 開店準備①
司とクロエを乗せた馬車がアルカムの門を通り抜ける。
窓の外には、数日前と変わらぬ町並みが広がっていた。
多くの人が行き交う大通りと道沿いに並ぶ店。
――帰ってきた。
そう思ってから、司は少しだけ不思議な気持ちになる。
この世界に来てから、それほど長い時間が経ったわけではない。
それなのに、アルカムへ戻ってきただけで、自分の地元へ帰ってきたような安心感を感じていた。
自分もだいぶこの世界に慣れてきたのかもしれない、と思い司は少し口角を上げた。
そんなことを考えている間にも、馬車はアルカムの町中を進んでいく。
行きとは違い、帰りは魔物に襲われることもなかった。
多少揺られはしたものの、馬車は比較的安全に街道を進み、ほぼ定刻通りにアルカムの発着地へ到着したのだった。
「お疲れ様、クロエさん」
「ツカサさんもお疲れ様でした」
馬車を降りた二人は、互いに今回の買い付けを労う。
今日はこのままここで解散し、明日再び店に集まることになっていた。
店といっても、司の場合は住居も兼ねているので、明日は、クロエの準備が終わり次第、司の元へやってくる手筈になっていた。
「それじゃあ、また明日」
「はい! 明日からもよろしくお願いします!」
クロエと別れ、司も自分の店へと向かう。
数日ぶりに見る自分の店の鍵を開けて中へ入ると、出発した時と変わらない光景が広がっていた。
まだ何もない居抜きの店舗。
当然ながら、司達がトリーナへ行っている間に何かが変わっているはずもないが、明日には注文していたラックなどの什器が搬入される予定になっている。
そして明後日には、トリーナで買い付けた商品も届くはずだった。
まだ何もないこの場所が、ようやく店らしい姿へと変わり始める。
ここから一気に店らしく仕上がっていくと思うと、自然と気分が高鳴っていく。
長時間馬車に揺られていた疲れもあり、二階へ上がった司は服を着替えてから、一度ベッドへ横になった。
少し休むだけ休もう、そう思って目を閉じたのだが、次に目を開けた時には、窓から入る日の角度が随分と変わっていることに気が付いた。
思っていた以上に時間が経ってしまったらしい。
「……寝すぎたかな」
窓から差し込む光は、既に夕方のものへと変わり始め、影も長くなり始めている。
まだ少し重い身体を起こし、司はベッドから出ると、大きく背伸びをした。
そのまま休んでしまいたい気持ちもあったが、今日のうちにやっておきたいこともある。
既にアルカムで仕入れていた服を、一階から二階へ運ぶ作業。
トリーナへ出発する前に仕入れていた服は、まだ一階の奥の倉庫部分に置いたままになっている。
明日には二階へ作業用の台が届く。
それまでに服を運んでおけば、搬入が終わり次第、そのままアイロン掛けなどの商品準備に取り掛かれる。
「よし、やるか」
司は一階へ降りると、畳まれた服を持てるだけ掴み、一気に持ち上げた。
もちろん、一度に全てを運べる量ではない。
一階と二階を何度も往復する。
馬車での移動の疲れが残る身体には思った以上に堪える作業だったが、少しずつ二階に服が積み上がっていくのを見ると達成感も感じる。
最後の荷物を運び終えた頃には、窓の外もすっかり暗くなり始めていた。
「……腹減ったな」
そういえば、昼からまともな物を食べていない。
司は必要な物だけを持って、夕食を取るために家を出た。
向かったのはもちろん旅人の止まり木。
アルカムに来てから世話になっていた宿だ。
扉を開けると、夕食時ということもあって店内には何人もの客がテーブルを囲んでいる。
「いらっしゃいませー!」
聞き慣れた声が店内に響く。
司の姿を見つけた瞬間、その声の主が笑顔を浮かべた。
「あっ! ツカサさん!」
「久しぶり、ミーナ」
「帰ってきてたんですね!」
「今日ね。さっきアルカムに着いたところ」
「お疲れ様です!」
ミーナに案内されるまでもなく、司はいつもの席へ向かう。
そこへ腰を下ろすと、アルカムへ帰ってきたという実感がさらに強くなった。
注文を済ませ、しばらくすると料理が運ばれてくる。
仕事中ということもあってミーナがずっと司の相手をしているわけではない。
それでも店内を行き来する合間に、何度か司の元へやって来た。
「それで、トリーナはどうでした?」
「結構良かったよ。予定してたより服も仕入れられたし」
司は食事をしながら、トリーナであった出来事を簡単に話していく。
布市のこと。
倉庫へ行ったこと。
そして新しく雇った従業員の案内が凄く役に立ったこと。
「へぇー、従業員の方って女性だったんですね」
「……」
その話の時だけ、ミーナの目が細くなる。
「そうだけど、言ってなかった?」
「言われてませんねー」
明らかに何か言いたそうな顔をしているが、司はそれ以上そのことに触れないことにした。
下手に聞けば面倒なことになりそうな気がする。
ちょうど別の客からミーナを呼ぶ声が聞こえた。
「じゃあ、また後で聞かせてくださいね」
そう言い残してミーナは自分の仕事へ戻っていった。
何とか不穏な事態を避けた司は、ふう、と息を吐いて、食事を再開した。
夕食を終えた司は、自宅へ戻った。
身体を洗い、明日の準備を簡単に済ませる。
あとはもう、特にやることもない。
スマホもテレビもないこの世界では一人で夜更かしをすることの方が逆に難しい。
司はベッドへ横になると、天井を見上げた。
明日には什器が届く。
明後日にはトリーナで仕入れた服も届く。
そこから商品の手入れをして、値段を決めて、店内に並べていく。
オープンの日はまだ決めていなかったが、それでも、やることはいくらでもあった。
だけど不思議と嫌な気持ちはしない。
むしろ、司にとってはそれらの作業も少し楽しみですらあった。
「いよいよ明日からだな」
司が小さく呟く。
先程の仮眠程度では、馬車での疲れは十分に取れていなかったらしく、目を閉じると、自分でも驚くほど早く眠気が訪れた。
明日から始まる店作りのことを考えながら、司の意識は深く沈んでいった。
翌日。
朝食を済ませた司がくつろいでいると、入口の扉がノックされた。
「はーい」
返事をして扉を開ける。
そこに立っていたのはクロエだった。
「おはようございます、ツカサさん」
「おはよう、クロエさん」
司はそう返してから、クロエが手にしている物へ目を向けた。
イレーネが使っていたあの杖がクロエの右手に握られている。
「杖、やっぱりそっちを使うんだね」
「はい。まだ慣れてませんけど、町中で魔法を使うこともあまりないので、空いた時間で危なくない魔法を練習しようかと思って」
クロエが手にした杖へ目を向ける。
「本当はこれも要らないんですけど、家に置いておくのも申し訳なくて、持ってきちゃいました」
「そっか」
司はそれ以上何も言わなかった。
クロエやイレーネが魔法を使うためには本来必要のない杖。
それでもクロエにとっては、祖母が長年持ち続けていた大切な物だ。
クロエに使ってもらえるならイレーネも喜ぶだろう、そんなことを司は考えた。
「まだ荷物が来るまで少し時間あると思うし、紅茶でも飲む?」
「はい!」
二人は二階のリビングに向かった。
ここに越してきて、毎日淹れているので、司も少しは紅茶を作るのが上手くなってきていた。
二人で椅子に座り、紅茶を飲む。
話す内容は自然とこれからの店についてのものになった。
今日中に什器を設置し、出来るところまで店内を整える。
明日トリーナから商品が届けば、そこから本格的に服の手入れを始める。
それ以外にも値段を決めたり、店内へ並べたりと、開店までにやるべきことはまだまだ残っている。
「結構忙しくなりそうですね」
「まあ、最初だからね。でも店が出来上がっていくのは楽しみだよ」
「私もです」
クロエも嬉しそうに笑う。
その時、コンコンというノック音が下から聞こえて来た。
「あ、来たかな」
司とクロエは飲みかけの紅茶を置き、一階へ降りる。
入口の扉を開けると、建物の前に一台の荷馬車が止まっていた。
その荷台には、注文していたラックや棚が積まれている。
そして、その周囲に何人もの男達が立っている。
司より頭一つ以上は背が低いが、その身体は横に広く、服の上からでも分かるほど太い腕をしている。
工房で働くドワーフ達だった。
「ツカサさんの店で間違いないか?」
「はい」
「注文の品を持ってきた。置く場所を教えてくれれば、こっちで運ぶぞ」
「ありがとうございます」
そこからすぐに搬入が始まった。
店内の配置については、注文の前からある程度決めている。
「そのラックは、こっちの壁沿いでお願いします」
「この辺りか?」
「はい。もう少し右で……その辺です」
司が指示を出し、クロエも反対側から位置を確認する。
「ツカサさん、もう少し壁から離した方が良くないですか?」
「ああ、確かに。すいません、少しだけ手前にお願いします」
「あいよ」
ドワーフ達は司達の指示に合わせ、次々と什器を運び込んでいく。
「おお……」
その仕事ぶりを見て、司は思わず声を漏らした。
大きな棚を二人だけで軽々と持ち上げ、ラックも危なげなく入口を通し、指示された場所へ正確に置いていく。
二階へ運ぶ作業用のテーブルも同じだった。
狭い階段があるにもかかわらず、二人で持ち上げると、そのまま大した苦労も見せずに運んでいく。
「凄いですね……」
隣で見ていたクロエも感心したように呟く。
「ああ。もっと時間掛かると思ってた」
司達がすることといえば、ほとんど置き場所を指示するだけ。
その間にも、昨日まで何もなかった店内へ次々と物が増えていく。
そして一時間も経たないうちに、最後の棚が所定の場所へ置かれた。
「これで全部だな」
「ありがとうございます」
司が礼を言う。
ドワーフ達が荷車と共に去っていくのを見送ってから、司達は店内を振り返った。
「……すごい」
クロエの口から思わず言葉が漏れた。
昨日まで、ただ広いだけの何もなかった空間。
そこに何本ものラックが並び、壁際には棚が置かれている。
もちろん、まだ商品は一着も並んでいないが、それでも印象はまるで違った。
「急にお店っぽくなりましたね!」
クロエが嬉しそうに店内へ入っていく。
「うん」
司もゆっくりと店の中へ足を踏み入れた。
何もなかった場所に、自分が考えた通りの什器が並んでいる。
あとはここに、自分が選んだ服を並べていく。
「……うん、いい感じだな」
自然と司の口元に笑みが浮かんだ。




