第37話 魔法使い
杖を持った司がゆっくりと目を開ける。
「ツカサさん?」
前に座るクロエが、不思議そうに司の顔を覗き込んでいた。
司はスキルを使うと言って目を閉じた。
しかしクロエからすれば、その後は特に何かが起きたようには見えない。
ほんの僅かな時間目を閉じ、再び開いただけだった。
「うん。ちゃんと見れたよ。イレーネさんの想い」
「……ッ! 本当ですか!?」
クロエが驚いた表情を見せた。
司には祖母の名前を伝えていなかったはずなのに司は元々知っていたかのようにその名前を口にした。
クロエも司のスキルについて疑っていたわけではない。
それでも、それだけで司の話を信じるには十分な理由になった。
「多分、クロエさんが六歳くらいの時なのかな。祭りの日の記憶だった」
「……それ……私が初めておばあちゃんに憧れた日です……」
クロエが懐かしむように呟く。
まだクロエ自身も幼かった頃の記憶。
だけど、あの日のことだけは今でも鮮明に覚えていた。
夜空いっぱいに咲いた、色とりどりの火の華と最後に現れた、巨大な火の鳥。
あの日初めて、クロエは祖母がどれほど凄い魔法使いなのかを知って、そして、自分も祖母のようになりたいと思ったのだ。
それから司は、自身が体験したイレーネの記憶について説明を始めた。
クロエはそれを最初は懐かしむように聞いていたが、話が進むにつれて、時折驚きのあまり大きく目を見開くようになる。
それでもクロエは、途中で口を挟むことはなく、最後まで黙って司の話を聞いていた。
「……そんな……」
全てを聞き終えたクロエが、ようやく声を漏らす。
その視線は司が持っている小さな杖へ向けられていた。
「おばあちゃん……この杖を使ってなかったんですか?」
「うん。持ってはいたけど、魔力は杖に流してなかったみたい」
司も手の中の杖へ視線を落とす。
昨日、クロエが何度試してもまともに魔法を使えなかった杖。
だけど、それは当然のことだった。
この杖は魔法を使うために作られた物ではない。
人前で杖を使っているように見せるためだけにイレーネが作らせた紛い物。
持ち運びやすく、壊れにくいこと。
イレーネが求めたのはそれだけだった。
「じゃあ……昨日、私が使えなかったのは……」
「多分、クロエさんのせいじゃないよ。この杖自体が、まともに魔法を使うために作られてないんだと思う」
「……」
クロエが何とも言えない表情で杖を見つめる。
昨日は、この杖すら満足に扱えない自分と、同じ杖で凄まじい魔法を使っていた祖母との差を改めて思い知らされたような気がしていた。
でも、実際は違った。
祖母もこの杖を使って魔法を使っていたわけではなかったのだ。
「それと、もう一つ気になったことがあるんだ」
「何ですか?」
司は少しだけ考えてから口を開く。
「もしかすると、クロエさんもイレーネさんと同じ体質なんじゃないかな」
「……私が、ですか?」
クロエが驚いたように自分を指差す。
「うん。俺が見る記憶って、ただ昔の光景を見るだけじゃないんだ。まるでその人本人になったみたいに体験するんだよ」
司は先程見た記憶を思い返す。
目に映る景色だけではない。
聞こえる音や身体の感覚。
そして、身体の中を動く魔力。
それら全てをイレーネ自身として体験していた。
「だから、イレーネさんがどうやって魔力を動かしていたのかも分かった。一昨日、クロエさんも魔力操作を見せてくれただろ?」
「はい……」
「あの時のクロエさんの魔力操作が、イレーネさんに劣ってたとは俺には思えないんだ」
「……」
クロエが言葉を失う。
この町で一番の魔法使い。
幼い頃からずっと追い続け、それでも最後まで追いつけなかった祖母。
その祖母に自分が劣っていないなど、今まで一度だって考えたことはなかった。
「でも……そんなはず……。私、おばあちゃんみたいに魔法を使えたことなんて一度もなくて…」
「イレーネさんも、杖を使ってた頃はそうだったみたいだよ」
「……あっ」
クロエが小さく声を漏らす。
若い頃のイレーネも魔法が上達せず、D級冒険者のまま伸び悩んでいた。
自分には才能がない。
そう思って冒険者を辞めようとすらしていた。
それが杖を失い、偶然杖なしで魔法を使ったことで全てが変わった。
「もちろん、クロエさんが同じだって決まったわけじゃないけど」
司はそう前置きして、クロエを見た。
「一回、試してみない?」
「……何をですか?」
「杖を使わずに魔法を使えるか」
クロエが目を瞬かせる。
「杖なしで……」
魔法使いが杖を使う。
それは学校に入るよりも前から知っていた常識だった。
学校でも、もちろん杖を使って魔法を習ったし、冒険者になってからも、ずっとそうしてきた。
杖を持たずに魔法を使おうとしたことなど、一度もない。
「でも……どうやって……」
「とりあえず《ライト》で試してみたら? 一昨日見せてくれたやつ」
「《ライト》……」
クロエが自分の杖へ視線を向ける。
光の魔法。
クロエが学校に通っていた頃から、何度使ったか分からないほど慣れ親しんだ魔法だ。
「……分かりました。やってみます」
クロエはそう答えると、自分の杖をテーブルの上に置いた。
そして何も持っていない右手を見つめる。
「……変な感じです」
「やっぱり?」
「はい。いつもなら、まず杖に魔力を流して、先端に集めてから魔法を使うので……」
何も持っていない手を何度か握っては開く。
魔法を使う準備をしているはずなのに、何か大切な手順を飛ばしているような不思議な感覚があった。
「イレーネさんは、杖には流してなかったよ」
司が先程体験した感覚を思い返す。
「自分の中の魔力を動かして、そのまま魔法に変えてた」
「そのまま……」
「うん。ただ、俺も魔法を使えるわけじゃないから、それ以上は上手く説明できないけど」
「いえ。やってみます」
クロエは右手を前へ向ける。
一度、大きく息を吐いた。
杖はない。
それでも、いつものように身体の中にある魔力を動かす。
自分の中にある魔力を、そのまま右手へ。
「穏やかなる光よ、我が意思に応え、辺りを照らせ――《ライト》」
詠唱を終える。
しかし――何も起こらない。
「……」
クロエが自分の右手を見つめる。
「ダメ……みたいです」
「もう一回やってみよう」
「でも……」
「まだ一回だろ? イレーネさんだって、杖なしで魔法を使えるって最初から知ってたわけじゃないんだから」
「……そうですね」
クロエはもう一度、右手を前へ向けた。
今度はすぐに詠唱を始めなかった。
目を閉じ、イメージする。
《ライト》なら何度も使ってきた。
拳ほどの大きさの光の玉。
熱はなく、ただ周囲を照らす淡い光。
魔力がどのように光へ変わっていくのか。
いつもなら杖に任せていた部分まで、一つずつ頭の中で思い浮かべていく。
そして、魔力を右手へ集め、その魔力が光へと変わる姿を想像する。
「穏やかなる光よ、我が意思に応え、辺りを照らせ――《ライト》」
その瞬間。
クロエの掌の少し上に、光が生まれた。
「……え?」
クロエが目を開く。
その視線の先には、何も持っていない自分の手の上に、淡い光が浮かんでいた。
最初は指先ほどの大きさだった光が、少しずつ膨らんでいく。
やがて拳ほどの大きさになると、部屋の中を淡く照らした。
「……出来た」
クロエの口から、呆然とした声が漏れる。
「出来た……」
もう一度。
今度は確かめるように呟いた。
その瞬間、集中が切れたのか、浮かんでいた光がふっと消える。
「あっ!」
クロエが慌てて手を伸ばす。
当然、一度消えた光を掴むことなど出来ない。
それでもクロエはしばらく自分の掌を見つめ続けていた。
杖はテーブルの上にある。
今の魔法は、間違いなく、杖を使わずにクロエ自身が発動させたものだった。
「……ツカサさん」
「うん?」
クロエがゆっくりと顔を上げる。
驚きと戸惑い。
そして、それ以上に隠し切れない喜びが、その表情に浮かんでいた。
「もう一回、やってみてもいいですか?」
「もちろん」
クロエは再び何も持っていない右手を前へ向けた。
その後、何度かの失敗と成功を繰り返し、クロエは安定して《ライト》を発動させることが出来るようになった。
まだ杖を使っていた時ほど自然に、とはいかない。
それでも何も持っていない掌の上には、先程から何度も淡い光が浮かんでいる。
「他の魔法も使えるんでしょうか?」
クロエが期待を隠し切れない様子で尋ねる。
「かもしれないけど、ここだと危ないね」
「……あ」
その言葉で、クロエはここが宿屋の一室であることを思い出した。
安全な《ライト》ならともかく、攻撃魔法まで試せるような場所ではない。
「すいません。私、少し興奮していたみたいです」
「まあ、仕方ないよ」
司はそんなクロエの様子を見て微笑む。
クロエはつい先程まで、自分には魔法の才能がないと思っていたのだ。
それが突然、今までとは全く違う可能性を示された。
興奮するなという方が難しいだろう。
「多分だけど、他の魔法も使えるようになるんじゃないかな。イレーネさんも言ってたんだ。『大切なのはイメージ』だって」
「……イメージ」
クロエが自分の掌を見つめながら呟く。
「自分の身体から出た魔力がどう変わって、どんな効果をもたらすのか。イレーネさんは、あの花火の魔法を使った時もしっかりそれをイメージしてたから」
「だから《ライト》も……」
「多分ね。クロエさんは《ライト》を何度も使ってるから、どういう魔法なのかをちゃんと分かってた。それで成功したんじゃないかな」
「なるほど……」
クロエが小さく頷く。
何でも自由に魔法に出来るようになったわけではない。
祖母と同じ体質だったとしても、それだけで祖母と同じ魔法使いになれるわけでもない。
それでも、今までとは違う。
今まで自分が歩いてきた道の先にはないと思っていた可能性が、確かに目の前にあった。
「ツカサさん」
「うん?」
「馬車が出るまで、まだ少し時間ありますよね?」
司は部屋に置かれた時計へ目を向ける。
午後にはトリーナを出る馬車に乗る予定だが、出発まではまだ余裕がある。
「そうだね。まだ大丈夫だと思う」
「少し、付き合ってもらってもいいですか?」
そうして、クロエに連れられて向かったのは、トリーナの町外れだった。
町の中心から離れるにつれて建物も少なくなり、しばらく歩くと開けた場所へ出る。
そこには大小様々な墓石が並んでいた。
「ここに、おばあちゃんが眠ってるんです」
クロエはそう言うと、迷うことなく墓地の中を進んでいく。
司もその後ろを黙ってついていった。
荷物も担いでいるが、重さも大して問題ない。
今回トリーナで仕入れた商品は、後日まとめてアルカムへ送ってもらえることになっている。
そのため司達が持って帰る荷物は、来た時とほとんど変わらなかった。
やがてクロエが一つの墓石の前で足を止める。
そしてそこには、イレーネ・ハルフォードの名前が刻まれていた。
「おばあちゃん。久しぶり」
クロエが小さく呟く。
それから墓石の前で静かに祈りを捧げた。
この世界でどのような宗教が信仰されているのか、司は未だによく知らない。
死者に対してどのように祈るのが正しいのかも分からない。
それでも司はクロエに倣い、静かに祈りを捧げた。
しばらくしてクロエが顔を上げる。
そして墓石から数歩離れた。
「……大切なのはイメージ」
そう呟きながら、右手を空へ向ける。
「クロエさん?」
司が声を掛けるが、クロエは答えない。
ただ、自分の掌へ意識を集中させていた。
先程の《ライト》ではなかった。
思い浮かべるのは、ずっと昔に見た光景。
六歳のあの日。
夜空いっぱいに咲いた、色とりどりの火の華。
忘れたことなんてない。
クロエが魔法使いを目指すきっかけになった光景。
クロエの掌の上に小さな炎が生まれる。
「おぉっ」
司が思わず声を漏らす。
炎は少しずつ大きくなり、やがて十センチほどの火の玉になった。
クロエがそれを見上げる。
そして――空へ放った。
火の玉が勢いよく上昇する。
十メートル、二十メートル。
さらに高く。
そして十分な高さまで上がったところで、
パンッ!
乾いた音を響かせて弾けた。
赤い炎が四方へ広がる。
規模は小さい。
色も赤の一色だけ。
それでも、その形は司がイレーネの記憶の中で見たものと瓜二つだった。
夜空ではなく、昼の青空に咲いた小さな火の華。
クロエはそれをどこか懐かしそうに見上げていた。
やがて火の華が完全に消える。
それを見届けて、クロエは墓石へ視線を戻した。
「おばあちゃん」
少しだけ間を空ける。
「私、冒険者には戻らないけど、これからはツカサさんのお店で頑張るよ。大好きな服に囲まれながら少しずつ仕事も覚えていくね。
だけど魔法もちゃんと続けるよ!いつかおばあちゃんを越える魔法使いになりたいから!」
そう言ったクロエの顔には、笑みが浮かんでいた。
「……よし!」
満足したのか、クロエが勢いよく振り返る。
その時だった。
『頑張るんだよ』
「……え?」
司が思わず周りを見る。
そこには司達以外は誰の姿も見えない。
風に揺れる草と、静かに佇む墓石があるだけ。
「どうしました?」
「……いや」
司の耳には、確かに聞こえた気がした。
《残響》の中で何度も聞いていた声。
それが本当に聞こえたのか。
それとも、イレーネの記憶を見たばかりだから、そう聞こえたような気がしただけなのか、司には分からない。
「何でもないよ。そろそろ行こうか」
「はい!」
クロエが元気よく返事をする。
この町に来てから、時折クロエが見せていた、どこか苦しそうな表情。
それはもう、どこにもなかった。
司はもう一度だけイレーネの墓石へ目を向ける。
そしてクロエと並び、馬車の待つトリーナの広場へと歩き出した。




