第36話 残響
司はクロエから差し出された杖に手を伸ばした。
自分のスキルのことを誰かに話したのも、こうして目の前で使って見せようとするのも初めてのこと。
司には《残響読取》を使うと、視界の端に現れるスキルの表示が激しく光って見えるが、それが他人からはどう見えているのかは未知数だった。
まあ、もし光が見えたとしても、以前、砂時計を使って確かめた時は、《残響読取》を使う前と後で砂の落ち具合はほとんど変わっていなかったので、気絶したように意識を失ったりして迷惑を掛けることはないはずだ、と司は考えた。
司は小さな杖を受け取る。
「それじゃあ、使ってみるね」
「……ッ、はい!」
少し緊張した様子のクロエを見てから、司は手の中の杖にスキルを発動させた。
【硬木の魔法杖】
製造年 : 精歴1068年
生産者 : ガルド・ヘインズ
使用者 : イレーネ・ハルフォード
残響 : あり
司は一番下に表示された残響の項目を確認した後、スキルを発動したまま、杖に魔力を込めた。
その瞬間に、司の視界を光が埋め尽くす──
◇◇◇◇
イレーネ・ハルフォードは普段の温厚そうな表情をこの時ばかりは、どうしましょうと困ったようなものへと変え、自身の服を掴む少女を見た。
「おばあちゃんも一緒に行こうよー!」
家の中に幼い女の子の声が響く。
まだ六歳のクロエは頬を膨らませながら、椅子に座るイレーネの服を左右に揺らしていた。
今日はトリーナで年に一度開かれる祭りの日。
服の町として知られるトリーナらしく、この日ばかりは町の人々も普段より着飾って町へ繰り出す。
布市を中心に様々な露店が立ち並び、夜には町の平和を願うパレードが行われる。
クロエも何日も前から今日の祭を楽しみにしていた。
「ダメよ、クロエ。おばあちゃんには大切な仕事があるんだから」
ミーシアが困ったように娘を窘める。
「去年までもそうだっただろう?」
父親からも言われ、クロエの頬がさらに膨らんだ。
「ごめんね、クロエ。これはおばあちゃんにしか出来ないことなの」
「私、そんなの見てないもん!」
「去年はあなたが風邪を引いてたからでしょ。それまではちゃんと毎年見てるわよ」
「覚えてない!」
一昨年といえばクロエはまだ4歳。
覚えてないと言われれば、ミーシアも返す言葉がない。
イレーネはそんな孫娘の姿を見て、小さく笑った。
「それなら、今年はちゃんと見ておいてね」
「でも、おばあちゃんとお祭り行きたい!」
「それは困ったねぇ」
イレーネが苦笑する。
祭りを一緒に回ることは出来ないがその代わり、午前中くらいは孫娘に付き合うことにした。
そこから始まったのは、クロエのファッションショーだった。
「おばあちゃん! これは?」
「可愛いじゃないか」
「じゃあ、こっちは?」
「それも似合ってるよ」
「どっちがいい?」
「クロエが好きな方にしたらいいんじゃないかい?」
「おばあちゃんが選んで!」
何着目になるのか。
着替えてはイレーネの前へ現れ、くるりと回って感想を求めてくる。
服が好きなのは誰に似たのか、そんな疑問と共に、イレーネはクロエの七変化を暖かな目で見守った。
結局、昼が近くなるまでクロエのファッションショーは続いた──。
午後になると、クロエは両親と共に祭りへ出掛けていった。
何度もこちらを振り返る孫娘を見送ってから、イレーネも家を出る。
手には、いつも使っている小さな杖が握られているだけ。
祭で大事な役目を負うといっても必要なのは、この杖くらいだった。
正確には、イレーネには杖すら本来なら必要ないのだが。
まず向かったのは祭りの主催者の元。
そこには祭りのためにトリーナを訪れていたクロフォード家の当主とその家族の姿があった。
「これはこれは、イレーネさん。今年もありがとうございます」
若き当主であるエドワードが、部屋に入ってきたイレーネの姿を見つけてると、すぐにかけ寄ってきた。
「いいんだよ。もうしばらく魔物と戦ったりも出来てないからね。これくらいは役に立たないと」
「過去の実績だけでも充分過ぎると思いますが」
エドワードが苦笑いを浮かべる。
その隣には妻と、小さな女の子の姿があった。
「アンナちゃん、何歳になったんだい?」
「まだ二歳になったばかりです」
エドワードではなく、妻が答える。
その手を握っているアンナは、知らない大人を前にして少し緊張しているのか、母親の陰からイレーヌを見上げていた。
「この子にも、あなたの魔法を見せてあげたくて」
「そんなに大層なもんじゃないよ」
「あら、イレーヌ様ほどの魔法使いを、私は他には知りませんよ?」
「買い被りすぎだよ。まあ、役割は今年もしっかりと果たさせていただきますがね」
「楽しみにしています」
イレーネはアンナに笑いかけて、その場を後にした。
毎年のこととはいえ、他にも回らないといけないことろはある。
最近、また痛み始めた腰をさすり、次の目的地へ向かった。
日が沈み、空が暗闇に包まれる。
トリーナで一番の高さを誇る時計台、その屋根の上に、イレーネは一人、少し腰を曲げて立っていた。
眼下には、普段とは比べものにならないほど多くの明かりが灯っている。
道を埋めるように大勢の人々が行き交い、その中央ではちょうど布市を一周する規模のパレードが始まっていた。
今頃、娘夫婦と孫娘のクロエもあの中にいるのだろう。
イレーヌは手にした杖へ視線を落とした。
ふと、昔のことを思い出す。
まだ満足に魔法を使うことすら出来なかった頃。
冒険者として活動していたものの、ランクはD級止まり。
何年練習しても魔法は思うように上達しなかった。
自分には才能がない。
もう辞めよう。
これを最後の依頼にしよう。
そう決めて受けた依頼で、予期せぬ魔物の群れに襲われた。
その依頼限りの臨時で組んでいたパーティーは散り散りになり、身体能力の低かったイレーヌは一人、まだ魔物が蔓延る森の中に取り残された。
途中、魔物の攻撃を防ごうとした時、手にしていた杖まで弾き飛ばされた。
逃げることも出来ない。
杖もない。
追い詰められたイレーヌは、せめて最後に一矢報いようと、何も持っていない手を魔物へ向けた。
魔法が発動するはずはない。
杖なしで魔法を使えるのは、一部のエルフくらい。
それは、この世界の常識だった。
それでもイレーネはかざした手に魔力を集めた。
イメージしたのは自分の中では比較的得意だった火魔法。
成功するはずはない、そんなイレーネの思いに反して――魔法は発動した。
それも、それまで使っていた魔法とはまるで違う。
まず発動が速い。
魔力が掌に集まったと思った時には、既に魔法は目の前の魔物に向かって飛び出していた。
威力も強い。
イレーネを襲おうとしていたのはC級の魔物だった。
それが自分の魔法が当たっただけで、その身体に穴を空けて倒れた。
そして何より、消費する魔力が明らかに少ない。
そんな規模の魔法を使えば、自分ごときの魔力なんて、空っぽになってもおかしくなかった。
だけど、その後も杖無しで魔法は発現した。
一度だけではない。
二度、三度と繰り返してもやはり杖もなく魔法がイレーネのイメージ通りに飛んでいく。
気が付けば、イレーヌを取り囲んでいた魔物は全て地面に倒れていた。
その日を境に、イレーヌの人生は大きく変わった。
どうやら自分は、杖に魔力を通す際に、人よりも多くの魔力を消費してしまう体質だったらしい。
それとは逆に、杖を介さずに魔力を具現化することには、人並み外れて適性があった。
人族としてはかなり珍しい体質。
イレーネが、そのことに気付くまでには随分と時間が掛かった。
当然だ。
杖を使わずに魔法を使おうなど、普通なら考えもしない。
魔法使いは杖を使う。
それが世界の常識なのだから。
だが、その常識を捨ててから、イレーネは魔法使いとして開花した。
冒険者として多くの魔物を討伐した。
故郷の町で家族も出来た。
今ではこうして、大勢の人々が自分の魔法を待ってくれている。
杖を持たない魔法使いなど、人族では全く聞かない。
余計な誤解を生まないため、イレーネは今でも杖だけは持ち歩いていた。
もっとも、手にしている杖は普通の杖とはちょっと違う。
魔法を使うための性能などほとんど求めず、強度と持ちやすさだけを求めて特注した物。
言ってしまえば《偽物の杖》だった。
魔法を使う時も、この杖に魔力を流すことはない。
ただ手に持って、まるで杖を使って魔法を使っているように見せかけている。
イレーヌの頭にクロエの顔が浮かぶ。
朝、自分も一緒に祭りへ行くのだと不貞腐れていた顔。
孫娘と一緒に祭りを回る。
それもきっと幸せな時間だっただろう。
それでもイレーヌには、この町で果たしたい役割があった。
自分が生まれ、育った町。
そして自分を見捨てなかった町。
あの日、魔物の群れに取り残されながらも、何とか町まで戻った時には、既に救出隊が結成されていた。
今まさに、自分を助けるために町を出ようとしているところだった。
落ちこぼれの自分であっても見捨てない、そんな暖かな町が、イレーネは大好きだった。
別に町と孫を比べるわけではない。
どちらも大切。
ただ、それだけのこと。
眼下を回っていたパレードが終わりへと近付いていく。
今年はクロエもイレーネの魔法を見る。
そういえば、孫娘の前で派手な魔法を使ったことはなかったかもしれない、とイレーネは思い出す。
自宅の庭で使える魔法など限られているし、当然、幼い孫を連れて魔物を狩りに行くはずもない。
去年はクロエが風邪を引いて祭に行くことが出来なかった。
それより前は本人が覚えていないと言う。
ならば、可愛い孫に見せてあげなければいけない。
いつからか、この町で一番の魔法使いと呼ばれるようになった自分の魔法を。
イレーネの杖に無意識に力が込められる。
下から聞こえていた音楽が、ゆっくりと小さくなっていく。
やがて、完全に止まった。
パチパチと拍手の音が、イレーネの立っている時計台の屋根まで響いて聞こえてくる。
──どうやら自分の出番のようだ。
イレーヌは杖を持った右手を天へ掲げる。
詠唱はしない。
元々、これから使う魔法はイレーヌが自分で作ったもの。
それに、いつからか魔法を使うのに詠唱も必要なくなっていた。
大切なのはイメージ。
それだけ。
静寂に包まれた町の上空が、突如として輝いた。
住民の視線が空に集まる。
一つ、二つ、そして三つ。
次々と光が上空へ昇り、弾ける。
色とりどりの炎が夜空に大輪の花を咲かせた。
人々の口から感嘆の声、もしくは溜め息が漏れる。
この世界で、これほど美しい景色を見られる場所は他にはない。
そう思わせるような、火の華が次々と夜空に咲き誇る。
それがどれほど続いただろう。
いつもなら最後は十発を同時に打ち上げる大技で終わりを迎える。
だが、今日はクロエも見ている。
少しくらいサービスしてもいいだろう、とイレーネが笑みを浮かべる。
空へ向けた杖が軽く振られる。
それに呼応するように、巨大な炎が一つ、夜空へと昇った。
上空へ進むにつれて、その炎が徐々に形を変えていく。
頭が生まれ、翼が広がり、長い尾が炎を引く。
現れたのは、巨大な火の鳥。
まるで本当に意思を持っているかのように翼を羽ばたかせ、トリーナの町の上空をゆっくりと一周する。
やがて火の鳥はさらに高く舞い上がった。
そして――弾けた。
巨大な体が無数の小さな炎へと変わった。
赤、青、黄、緑。
色とりどりの光が、まるで夜空から降り注ぐように町を覆う。
一瞬、町から音が消えた。
そして少し遅れて──
割れんばかりの歓声と拍手がトリーナの町に響き渡った。
「見たよ! おばあちゃんの魔法!!」
家に帰ると、興奮した様子のクロエがイレーヌを迎えた。
朝の不機嫌そうな姿はどこにもない。
「すごい! すごい!! あんなこと出来るなんて、おばあちゃん本当にすごい!」
「ありがとうね」
「ねぇ! 私もおばあちゃんみたいな魔法使いになれるかな!?」
「そうだねぇ。いっぱい練習すれば、なれるかもね」
「ほんと!?」
クロエの顔がさらに明るくなる。
「なら私、いっぱい練習する! それで、おばあちゃんみたいな魔法使いになる!」
「なら、おばあちゃんも負けないようにしないとね」
「うん!」
嬉しそうに笑うクロエ。
その姿は、かつて魔法の練習に明け暮れていた幼い頃の自分と重なった。
練習して、練習して。
それでも、なかなか魔法は上達しなかった。
何度も自分には才能がないと思った。
それでも諦めたくなくて、魔法を続けた。
この子には、そんな苦労はしてほしくない。
願わくは、自分のような特殊な体質ではなく。
普通に魔法を学び。
周りの者達と切磋琢磨しながら成長して。
ずっと魔法を好きなままでいてほしい。
そして――
『ちゃんとした魔法使い』になって。
そんなことを願いながら、イレーヌは手に持った小さな杖を強く握りしめた。




