第35話 祖母の杖
「せっかくだし、少し使ってみたら?」
ミーシアの言葉に、クロエが手にした杖へ視線を落とす。
「……そうだね。久しぶりに使ってみようかな」
そう言って立ち上がったクロエに続いて、司達も庭へと移動した。
家の前にある庭は、魔法を使うには少し狭い。
そのため3人は家の裏手へと回る。
そこには表の花壇とは違い、何も置かれていないちょっとした空間があった。
「ここなら大丈夫です」
クロエはそう言うと、祖母の杖を右手に持った。
普段使っている杖と比べると、やはり随分と小さい。
背の低いクロエが持つと余計にそう見える。
「何の魔法を使うんだ?」
「《ライト》にします。これなら失敗しても危なくないので」
「確かに」
昨日、クロエが司に教えたばかりの魔法だ。
クロエは一度深く息を吐くと、杖の先端を前へと向けた。
「穏やかなる光よ、我が意思に応え、辺りを照らせ――《ライト》」
詠唱が終わる。
しかし、何も起こらない。
宿屋で使った時には杖の先に現れた光の玉も、今はその姿を見せなかった。
「……あれ?」
司から声が漏れる。
クロエは何も答えず、杖を握り直した。
「もう一回やってみます」
再び杖を前へ向ける。
先程と同じ詠唱。
しかし結果も同じだった。
杖の先端に取り付けられた小さな水晶が僅かに光ったようにも見えたが、それだけ。
光の玉が生まれることはない。
「……やっぱり駄目ですね」
クロエが苦笑いを浮かべる。
「前にも使ったことがあるの?」
「はい。小さい頃に何度か使わせてもらいました。でも、一度もまともに魔法を使えなかったんです」
「そうなんだ」
「おばあちゃんは、この杖でどんな魔法でも使ってたんですけどね」
クロエは手の中にある杖を見つめる。
先程まで祖母の形見を受け取ったことを喜んでいた表情が、少しだけ曇っていた。
「学校に通うようになってからも、何度か使わせてもらったんです。でも全然駄目で」
クロエの親指が杖の表面をゆっくりと撫でる。
「やっぱり、私にはおばあちゃんみたいな才能はなかったんでしょうね」
「……」
司には掛ける言葉が思いつかなかった。
クロエが魔法を好きなのは、今日一日で十分に分かっている。
だからこそ、憧れていた祖母との差を感じることは、司が思っている以上に辛かったのかもしれない。
しかし、クロエは直ぐに顔を上げた。
「ツカサさんも使ってみますか?」
「俺が?」
「はい。昨日の練習もしましたし」
そう言ってクロエが杖を差し出す。
「まあ、俺じゃ余計に無理そうだけどな」
司は苦笑しながら杖を受け取った。
その時、好奇心で司は杖にスキルを使用した。
見慣れた文字が視界に浮かび上がる。
【硬木の魔法杖】
製造年 : 精歴1068年
生産者 : ガルド・ヘインズ
使用者 : イレーネ・ハルフォード
残響 : あり
(イレーネ……クロエのおばあさんか)
三十五年前に作られた杖。
クロエの話を聞く限り、イレーネが長年使っていた物で間違いないだろう。
そして一番下に表示された文字へ司の視線が向く。
残響 : あり
この杖にも、過去の持ち主の記憶が残されている。
どんな残響なのかは気になった。
トリーナで一番とまで言われた魔法使いが使っていた杖だ。
もしかすると何か珍しい光景が残されているかもしれない。
しかし、それを今この場で覗く気は司にはなかった。
これは、クロエが今受け取ったばかりの祖母の形見。
家族の許可なく過去を覗くのは無粋だろう。
司は表示から意識を外すと、改めて杖を握り直した。
「じゃあ、やってみるか」
「はい。昨日と同じようにやれば大丈夫です」
司は小さな杖を前へ向ける。
宿屋で教えてもらった通り、自分の中にある魔力を意識した。
それを手へ移動させて、杖へと流していく。
クロエの杖を使ったときよりも、更に魔力が流れていかない。
「穏やかなる光よ、我が意思に応え、辺りを照らせ――《ライト》」
詠唱を終える。
「……」
何も起こらない。
先端の水晶は光ることすらなかった。
「まあ、そうだよな」
司が小さく笑う。
元々、普通の杖を使っても満足に魔法を発動させられなかったのだ。
クロエでも使えない杖で成功するはずもない。
「やっぱり難しいですよね」
「俺の場合は杖の問題なのかすら分からないけどな」
司が杖を返すと、クロエも少しだけ笑った。
「まあ、使えなくてもいいじゃない」
2人の様子を見ていたミーシアが口を開く。
「お守りだと思って持っていってあげて。きっとおばあちゃんも、その方が喜ぶわ」
「……うん」
クロエは頷くと、受け取った杖を大切そうに両手で持った。
それから暫くミーシアを交えて話をしていると、時刻は夕方に近付いていた。
「もう少ししたら主人も帰ってくると思うわ。ツカサさんも良かったら夕食を食べていきませんか?」
「いや、俺は遠慮しておきます」
司は直ぐに首を横に振った。
「せっかく久しぶりにクロエさんが帰ってきたんです。今日は家族だけでゆっくりしてください」
「でも……」
「俺は宿に戻る途中で済ませますから」
そこまで言われると、ミーシアも無理に引き止めることはなかった。
クロエも今夜は実家に泊まることになった。
明日の午後にはアルカムへ戻る馬車が出る。
それまでには宿へ戻ると約束して、司は一人でクロエの実家を後にした。
翌朝。
朝食を終え、司が部屋で荷物を整理していると扉を叩く音がした。
「ツカサさん、クロエです」
聞き慣れた声に扉を開ける。
そこには荷物を持ったクロエが立っていた。
「おはようございます」
「おはよう。もう大丈夫なの?」
「はい。昨日は久しぶりに両親ともゆっくり話せました」
クロエの表情は昨日よりも明るい。
父親とも無事に再会できたのだろう。
「それなら良かった」
司はクロエを部屋へ入れる。
今日でトリーナを離れる。
午後にはアルカムへ向かう馬車が出発する予定になっているため、それまでに荷物をまとめておかなければならない。
クロエもそれを分かっているのか、手早く自分の荷物を置いた。
その荷物の中から、布に包まれた細長い物が僅かに覗いている。
昨日受け取ったイレーネの杖だ。
それを見た司は、昨日から気になっていたことを思い出した。
「クロエさん」
「はい?」
「昨日のおばあさんの杖なんだけど、もう一度貸してもらってもいい?」
「杖ですか?」
クロエが不思議そうな顔をする。
「うん。昨日、あの杖を持った時に分かったことがあって」
「分かったこと?」
司は少しだけ言葉を選ぶ。
クロエには、まだ自身のスキルについて話してはいない。
特に《残響》については詳しく説明することが難しい。
それでも、この場で打ち明けようと、司は一晩の間に決めていた。
「俺のスキルなんだけど、物に残っている過去を見られる時があるんだ」
「過去を?」
「全部の物で見られるわけじゃないんだけどね。昨日おばあさんの杖に触った時、それが見られるって分かった」
クロエが目を見開く。
「もしかしたら、おばあさんがその杖を使っていた時のことが見られるかもしれない」
「……」
クロエは少しの間、何も言わなかった。
やがて荷物へ視線を落とすと、布に包まれた杖を取り出す。
「ツカサさん」
「うん?」
クロエは杖を両手で持ち、司へと差し出した。
「お願いします。見てみてください」
司は差し出された杖へ手を伸ばした。




