第26話 準備
「……え?」
司に言われたことをうまく飲み込めない様子のミーナ。
「実は今日、店を開くための物件を見つけてきたんだ。」
「お店を。」
「うん。」
司はいつもより話すスピードを下げてミーナに説明する。
その様子をその場所から離れたカウンターに立っているアルベルトも黙って聞いていた。
「その店はここからも近くてね。住居としても使えるんだ。」
「…そうなんですね。」
「だから、この町で古物商としてやっていくために、この宿を出るね。」
「…はい。…わかりました。」
ミーナも宿屋で育った娘だ。
出会いも別れも数えきれない程経験してきた。
そもそもここ、旅人の止まり木は値段がこの町の相場より高い事もあり、普段は短期の滞在客が多い。
そのため殆どの客は話をするにしても、情を移す前には旅立ってしまう。
だから別れの際にはいつも笑顔で、またアルカムに来た時にこの宿を使ってくれればいいなと言う気持ちで送り出す。
それがミーナの仕事だった。
それに年もかなり離れた客が多いので、司ほど長期滞在で、年齢もある程度近い客というのはかなり珍しいケースと言えた。
ミーナは司が来てからの事を思い出していた。
最初の1週間で自然と打ち解け、次の1週間で人となりを知れた。
しっかりしているようで、子供も知っているような事も知らない不思議な人、というのがミーナの司への印象だった。
ミーナは嬉しかったのだ。
兄の様な安心感もあり、弟の様に無邪気に笑う司と言う存在が毎日自分の店に帰ってきてくれることが。
そんな司が居なくなるという事にミーナは自分でも想像していなかった程のショックを受けていた。
「店はどこに出すんだ?」
気が付けばカウンターから出て司達の傍に寄ってきていたアルベルトが司に尋ねた。
「この通りを北に少し行ったところです。3階建ての。」
「トナさんの所か。」
アルベルトは与えられた僅かな情報だけで物件に目星を付けたようだ。
「元は雑貨屋だったみたいです。」
「なら、間違いないだろう。ミーナもよく行っていた店だ。」
「…ッ!トナさんの店ならすぐ近くですね!」
アルベルトに話を振られたミーナがパッと顔を上げる。
先程まで少し落ち込んだような様子だったが、司の引っ越し先が思いの外近くて表情が明るくなる。
「歩いてすぐだから、暫くは晩ごはんはここに食べに来るよ。」
「そ、そうなんですね!ならこの席はちゃんと空けておきます!」
いつもの調子を取り戻したミーナを見て、アルベルトがやれやれと言った風に肩を上げて見せる。
親子の仲睦まじい様子に司もくすりと笑みを浮かべた。
翌日、司は自由市に出店した。
本当はこの日から新店舗に向けた什器や家財等を集めようと思っていたが、店舗部分はさておき、幸いにも居住部分の家具はそのまま使える状態で残っていた。
もちろん買い換えの必要な物もあるが、そこは生活しながら確認すればいい。
その他の細かな生活雑貨は司1人の分なら1日もあれば準備できるだろうと考えていた。
それに自由市に出店したのには他にも理由があった。
「あ、おはようございます。」
「おはよう、ツカサ。」
「実は今度店を開くことになって。今日でここでの出店はとりあえず卒業になります。」
「あら!それはめでたい!おめでとう!」
「またオープン日が分かったら知らせにくるので宣伝お願いします。」
「ハハハっ!分かったよ!任せな!」
周りの出店者への挨拶と、宣伝依頼だ。
司は日用品エリアの出店者達とはここ数週間でかなり親しくなっている。
元々このエリアの出店者達は店を構えている者が多く、独自のネットワークを築いている。
SNS等が無いこの世界において、人伝の宣伝程効果の上がる物はないのである。
一通り知り合いに声を掛けて、司は自身のブースにゴザを敷いて、その上に商品を陳列した。
「さて、今日も頑張りますか。」
声掛けに時間を掛けたせいもあり、準備が終わった頃には辺りに少しずつ客の姿が見え始めていた。
この時間帯は比較的ゆったりした流れになるとはいえ、出店し始めた当初とは違うことが1つある。
「お、今日はやってるんですね。」
「いらっしゃいませ。」
司のブースを知って来てくれる客が増えたのだ。
「友達から紹介されてね。いい服とアクセサリーを置いてるって聞いて。昨日も来たんだけど、出直してよかった。」
「昨日は用事で出店出来なかったんです。すみません。」
司は自由市での出店に確かな手応えを感じていた。
売り上げも最初の頃は良い日と悪い日の差がかなりあったが、最近はある程度の水準を保てるようになっていた。
「ありがとう。お陰でいい物が買えたよ。」
「こちらこそ、態々ありがとうございました。今度、あそこの商人ギルドに出る通りに店を構える事になったので、次からはそちらでお待ちしてますね。」
「おぉ!それは良いことを聞いた!ここを教えてくれた友達にも教えておくよ。」
「是非宜しくお願いします。ありがとうございました!」
これまでにも数人だが2回購入してくれた客もいる。
3回4回と通ってくれるようになれば、それは常連と言えるだろう。
司が契約した物件のある通りは人通りの多い道ではない代わりに昔から長く続く店が多いとミーナから司は聞いていた。
流行りの店は西の馬車通りに多く集まるが、老舗などは東に集まる。
司の目的はこの世界で金持ちになることではない。
生きていくのに困らない程度の金銭を稼ぎつつ、元の世界に戻る方法を探すことだ。
地道に、安定して売り上げを作るのにはそういう常連を作ることが大切だと司は理解していた。
この日は結果として680ルピーの売り上げだったが、リピーターや紹介での客が計4人来店した。
家賃を差し引いても月に1万ルピーを売り上げれば十分に暮らしていけると司は計算している。
人を雇うならもう少し欲しいが、今の売り上げをキープできるなら1人なら十分雇えると考えていた。
自由市からの帰り道、司は台車を引いて宿までの道を歩いていた。
夕暮れの日差しがタイル張りの地面をオレンジに染め上げている。
仕事帰りの人や、これから馬車道に繰り出そうとしている人々の声が周りの建物に反射して司の耳へ入ってくる。
司がこうして台車を引いてこの道を進むのも後数回だろう。
商人としては一歩前進するはずだが、司の心には一抹の寂しさが残った。
いよいよ店舗兼住居の引き渡しが明日に迫った今日、司は日用品の買い出しに出掛けていた。
時刻は昼過ぎ。
馬車道を歩く司の横には昼の仕事を終えたミーナの姿があった。
「とりあえず、買ったものは明日店舗の方に届けて貰えるように頼めば、移動の手間は省けると思います!」
「そう言う方法もあるってミーナに言われるまで知らなかったよ。」
「大口の注文とかの場合はそう言う宅配を使う人が多いんです。」
ミーナの表情は明るい。
普段の給仕服から私服のワンピース姿に着替えている事も相まって年相応の天真爛漫さが漏れ出しているようだ。
髪は司の贈ったシュシュでハーフアップに纏められている。
「とりあえず、家具はあるんですよね?」
「あぁ。見た感じ棚やベッドなんかはそのままだったよ。さすがにマットとかは買い換えたいけどね。」
「ならまずはマットとかから見ていきましょう!その後に細々した絶対に必要な物を探して、残りは追々生活してみて足していく感じで!」
「そうだね。道案内お願いします。」
「お任せください!」
2人は最初の目的地に向けて歩き出した。
それから2時間。
2人は計5店舗ほどを回って、生活に必要な物を買い揃えていった。
流石に歯ブラシや石鹸などの嵩張らない物はそのまま受け取って、手持ちの袋の中に入れているが、他のマットや食器、タオルなどはミーナの言った通りに明日の昼に配送してくれる手筈になっている。
今は最後の店に行く前にカフェで小休止を取っているところだ。
「けど本当に助かった。ミーナがいてくれたお陰でスムーズに買えたよ。」
「いえいえ。知り合いのお店が多かったので!」
事実、ミーナのお陰で普段は大口以外配送をしていないという雑貨屋等でも配送を断られることがなかった。
皆ミーナが頼むと「仕方ないねぇ」と言った具合に快く配送を受け入れてくれたのだ。
司は終始、相変わらずのミーナの愛されっぷりに感心させられていた。
(こういう子が販売員ならかなり凄いことになりそうだな。)
美味しそうに果実水を飲むミーナを見ながら司はそんなことを考える。
「どうかしましたか?」
司に見られていた事に気付いたミーナが不思議そうな顔で司に尋ねる。
「何でもないよ」と言いながら司も自分の紅茶に口をつけた。
「最後は魔道具店だよね?」
「はい!そこである程度生活とお店に必要そうな物が買えれば大丈夫だと思います!」
「…ってことはあそこか。」
「そうです!」
カフェで英気を養った2人が訪れたのは司がシワ伸ばしの魔道具を購入した『ローン魔道具店』だった。
「ごめんくださーい。」
扉を開けたミーナが店内に向かって声を掛ける。
しかし店内から返事はない。
その事に特に疑問を持ってない様子のミーナは慣れた様子で店の奥に進んでいく。
その姿を見た司は店内へ少し入った場所で止まる。
そのまま事の成り行きを見守ることにしたようだ。
ミーナはガチャリとカウンター裏の扉を開けると中に入る。
「ローンおじいちゃーん!ミーナでーす!」
「……はーいよ~。ちょっと待ってな~。」
ミーナが再び呼び掛けると扉の奥からかすかに老人の声が聞こえた。
それを確認したミーナが扉の奥から店内に戻ってきた。
それに少し遅れて、1人の老人が姿を見せる。
この店の店主ローンだ。
「ハハハッ。いやー、可愛い子に呼ばれて出るトイレは格別じゃな~。」
「もうっ!あんまりトイレにばっかり入ってたら、商品全部万引きされちゃいますよ!」
「そりゃ困るわい!ハハハッ!」
相変わらずのテンションに呆れた表情を浮かべる司。
ミーナは慣れているのか、特に気にした様子はない。
「今日はツカサさんの新生活に必要な魔道具を一式買いに来たんです!」
「うん?」
ローンはミーナにそう言われて司を見る。
そこでようやく司の存在に気が付いたようだ。
「おぉ。お主は確か、耳派の!」
「耳?」
「わぁぁぁ!それはアナタが勝手に言ったことで!」
ローンにそう言われた司は慌ててローンの言葉を否定する。
初めて司のそんな風に取り乱した姿を見たミーナは目をパチクリとして「耳?」と首を傾げた。
その時、ミーナの耳が目蓋と連動するようにピョコピョコと動いたのを司は自然と目で追ってしまう。
一瞬あながち耳派と言うのも否定できないのでは、と考えそんな自分に自己嫌悪した。




