第23話 挫折
「へへっ、止めときな兄ちゃん。抵抗するなら痛い目を見てもらうことになるぜ。」
ナイフを手にした司を前にしても男は余裕の態度を崩さなかった。
「…。」
司は手にしたナイフに力を込める。
背筋に嫌な汗が伝うのを感じる。
喧嘩とは無縁の生活を送っていた司にとって、このような状況、ましてやお互いに武器を手にした状態で暴漢と対峙するというのは初めての経験だ。
しかし、ポールの記憶を見た体験が、司に落ち着きを与えていた。
(相手の動きは見える。プーナ村から戻って以来、以前より人の動きが鮮明に見える。)
プーナ村からの帰り道。
司は護衛の冒険者達の戦闘が、行き道で見たときよりも"よく視える"ことには気が付いていた。
ポールの残響とその願いを叶えてから、その力の一部を受け継いだと予想している司には目の前の男たちがポールより遥かに格下であることは、既にわかっている。
ポールと比べて隙が多いのだ。
しかしこちらから攻めることはない。
あくまでも相手の力を利用して、受け流し、反撃する。
司はポールの動きを思い出しながら、相手との間合いを測っていた。
「くそッ!」
自らの呼び掛けに応じる素振りを見せない司に、男がとうとう痺れを切らせた。
男は手にしていたショートソードを振りかぶると司めがけて突っ込んできた!
司は冷静に男の動きを観察する。
踏み込みや重心が右にブレている。
振り上げから見るに司から見て、左上から振り下げ、胸を狙った一撃を放とうとしていることが分かる。
(狙いさえ分かればッ!)
司はナイフを胸よりもやや高い場所に構え、やってくる斬撃の軌道を逸らせて、体勢を崩すつもりだ。
ようやく接近した男が、司の予想通り、左上段から斜めにショートソードを振り下ろす。
少し前の司なら反射的に目を閉じてしまう様な場面だったが、司が目を逸らすことは無かった。
握ったナイフの角度を変え、タイミングを合わせてショートソードの腹部分に押し当てた。
それは確かにアーマードベアとポールが闘っている際に幾度となくアーマードベアの攻撃をいなしたポールの動きを模倣したものだった。
しかし、司にとって予想外の事が起こる。
想像よりもスピードに乗った男のショートソードが重く、片手で逸らせると思ってた軌道が思った程変化しなかったのだ。
男の振るったショートソードは司の右側スレスレを通過する。
男は体勢が崩れそうになるのを何とか堪えた。
「ッ?!」
自分の攻撃が逸れた事を察した男の行動は早かった。
直ぐ様ショートソードを逆袈裟に振り薙いだ。
狙いは司の持つナイフだった。
司の目にも迫り来るショートソードの軌道は視えていた。
しかし、先程の斬撃を逸らした際に想像以上の力を使った司の右手は、司の意思通りに動くことはなかった。
男のショートソードが司のナイフを直撃した。
その衝撃を受けて、司の手からナイフが弾き飛ばされてしまった。
「…あ…。」
自らの手を離れ、飛んでいくナイフの様子を司の向上した動体視力はしっかりと捉え、思わず間の抜けた声が司の口から漏れる。
男はその司の様子にヒヒっと勝利を確信した笑みを浮かべ、止めを刺すべく、ショートソードを上段に構えた。
「あ、ば、よ♪」
さぞや愉快そうに男は1文字1文字を区切るように、そう言うと、ショートソードを司目掛けて振り下ろした。
司は迫ってくるショートソードを、どこか他人事かのように眺めていた。
(あぁ、俺死ぬのかな…。)
先程まで視えていたよりもゆっくりと、まるでスローモーションの様に迫ってくるショートソードを見て、司は、あぁこれが死ぬ寸前に世界がゆっくりになるってやつか、と考えていた。
握っていたナイフが飛ばされた時の衝撃で痺れた右手は動きそうにないし、そもそも身体自体がまるで硬直したかの様に動かなくなっている。
(これからって時だったのにな。)
この世界に転移してから、司は上手くやれていた。
チートのような凄まじい力は無いが、『残響読取』の事も少しずつ分かってきて、これからの努力次第で自分の力を増せる可能性も出てきた所だ。
自由市の出店も軌道に乗っている。
周りの人達との関係も良好だ。
死にたくない、と司は強く願った。
まだまだこの世界でやりたいこともたくさんある。
魔法だってまだ使えていない。
それに何より、元の世界にいる家族の事が頭を過った。
(せめて、もう一度会って話がしたかったな…
。)
司はやがてやってくるであろう、衝撃と痛みに備えて目を閉じた。
「ッ待て!!」
路地に声が響いた。
司の物でも、目の前の男の声でもなかった。
未だにやってこない痛みに、疑問を浮かべた司が恐る恐る目を開ける。
男のショートソードは司の顔の寸前で静止してた。
「おい!止めんなよ!」
ショートソードを戻すと、目の前の男が振り返り叫んだ。
どうやら先程の声の主は、路地の入り口で見張りをしていた2人の男のうちの片割れのようだ。
フードのせいで人相は分からないが3人の中だと一番背も高く、体格が良い。
「お前な…。言っただろ?この町で殺しは御法度だって。」
その体格の良い男が、呆れたような、諭すような口調で司の目の前の男に言った。
男もその事を思い出したのか、ばつの悪そうな表情を浮かべると、分かったよ、と言いながら司の方にまた顔を向ける。
何となく、自分が助かった事は分かった司だったが、何が起きているのかは理解できていない。
「まあ、けどこれくらいはいいだろッ!」
男は持っていたショートソードを左手に持ち替えると、右手の拳を司の顔面に殴り付けた。
「ぐはッ!」
咄嗟の事で、特に何の反応も出来なかった司は、男のストレートをモロに食らって、2m程地面を転がった。
左の頬に痛みが走る。
口の中には鉄のような嫌な味がゆっくりと広がっていく感覚があった。
「…ウゥ…。」
頬を押さえ、倒れ込む司は何かが自分の身体を這っているような感覚を感じた。
「チッ。何だよ、こいつ全然金になりそうな物持ってねぇじゃないかよ。」
どうやら男が司の持ち物を漁ってたようだ。
男は小銭の入った袋を見つけると、不満を隠そうともせずに、ついでだと言わんばかりに転がる司の腹に蹴りを入れる。
「がはッ」
司の口から苦痛の声が漏れ、今度は腹を押さえる羽目になる。
「今回は、これで勘弁してやるぜ。これに懲りたら無駄な抵抗なんかせずにさっさと金を寄越す事だな。」
雑魚なんだからよ、そう言い残すと、男の足音が段々と遠ざかって行く。
司は生まれて初めて受ける、純粋な暴力の痛みが収まるのをじっと待った。
「ど、どうしたんですか?!その傷!!?」
あの後30分程休んで、宿に戻った司を見たミーナが大声を上げる。
既に夕食には遅い時間になっているので、客は少なくテーブル席に1組とカウンターに1組だけだった。
その中のテーブル席の客がミーナの声に釣られて司の方を見て、腫れた頬と汚れた服を見てぎょっとした表情を浮かべる。
「ちょっと飲んだ帰りに、変なやつらに襲われてな。」
「襲われた?!」
「だけど、怪我も大したことないから、大丈夫だよ。」
司はミーナにそう答えた。
素直に話したのは、この状況だとどのみち言い逃れをするのは無理だと思ったからだった。
「悪いけど、今日はもう休むよ。色々あって疲れたからな。」
「…分かりました。」
まだ何処か納得いっていないと言ったミーナだったが、司が怪我を負ったのは事実。
休むと言われて食い下がる理由はなかった。
司は宿の階段に向かって進む。
今日もカウンターに立っているアルベルトが司の視界に入る。
司は会釈してそのまま通り抜けようとしたが、不意に普段無口なアルベルトから声が掛けられた。
「後で傷薬を部屋に持っていってやる。」
「ありがとうございます。」
アルベルトなりの気遣いに、司は痛む頬を緩め、部屋へと戻った。
汚れた服を脱いで、寝巻きにしている服に着替える。
上のシャツは傷薬を塗るなら必要ないだろうと、下のパンツだけを穿いた。
しばらくすると、司の部屋の扉がノックされる。
どうやらアルベルトが傷薬を持ってきてくれたようだ。
「はーい。」
司は軽く返事をすると、扉を開けた。
「わざわざありがとうございます。アルベルトさ……ん。」
「きゃッ!」
扉の前にいたのは傷薬の乗ったお盆を手にして、小さく悲鳴を上げるミーナだった。
「すいません!いきなりだったので、変な声が出ちゃいました!」
司がシャツを羽織って、再び扉を開けるとミーナが頭を下げていた。
司は苦笑いを浮かべつつ、ミーナに頭を上げさせる。
「いや、俺もまさかミーナが持って来てくれると思ってなかったから。なんか申し訳ないことしちゃったな。」
「申し訳ないなんて、そんな!」
ミーナはブンブンと首を振って否定する。
人族なら耳が赤くなっていそうな仕草だが、生憎獣人特有の毛に覆われた耳が赤くなっているかは確認できない。
司は少し困ったように頭をかきながら、傷薬を受け取ろうとする。
しかし、ヒョイっと傷薬の乗ったお盆が司の手から逃れるように移動する。
「ミーナ?」
お盆をずらしたミーナに司が疑問の声を上げる。
「こ、この傷薬!目とかに入ると危ないんです!なので頬は私が塗ります!危ないので!」
ミーナは危ないと言う言葉を強調しながら繰り返しそう言った。
今度こそ、顔が少し赤くなっている。
司はうーんと、少し悩むが譲りませんと言わんばかりにお盆を隠すミーナの様子にしょうがないなとミーナの提案を受け入れた。
「お、お邪魔します…。」
「いつも掃除してもらってるんだから、そんなに緊張しないでよ。」
「しょうがないじゃないですか!司さんがいる時に入るのは初めてなんです!」
そわそわとした様子のミーナに司がツッコミを入れる。
ミーナの慌てたような返しに司はそんなに緊張するなら自分で塗るのにな、と思わないでも無かったが、それを言うのは野暮だなと口を閉じる。
「こほん。では椅子に座ってください。」
ミーナはわざとらしい咳払いをした後司に着席を促す。
尻尾は部屋に入った当初から忙しなく揺れている。
「じゃ、お願いします。」
昔怪我をして家に帰った際に妹も消毒してくれようとしたな、何てことを思い出しながら司はゆっくりと椅子に腰を下ろす。
脇腹が僅かに痛んだが、それを顔に出すような事はしなかった。
ミーナが傷薬の入った瓶の蓋を開ける。
中にはクリーム状の薬が詰まっていた。
「本当はポーションがあれば良かったんですけど、生憎宿には置いてなくて。」
少し申し訳無さそうにしたミーナが、クリームを手に取り司の頬に手を伸ばす。
「いやいや、薬を貰えただけ本当に有り難いよ。」
司は目を閉じながら感謝を伝える。
冷たいクリームが自らの頬に触れた瞬間、僅かな痛みを感じるが、声に出す程ではない。
切り傷ではなく打撲に近い状態だったのが幸いした。
「けど、本当にこのくらいの怪我で済んで良かったです。」
ミーナが司に薬を塗りながら、安堵にも似た声を漏らす。
本当は抵抗しなかったら怪我することは無かったかもしれない、とはとても言える雰囲気ではない。
司もそうだな、と相づちを打つ。
「どの辺りで襲われたんですか?」
「馬車道だよ。少し北側だったから人が少なかったのが災いしたな。」
「…。馬車道みたいな目立つ所で…。この辺りは治安も比較的いいんですけど。」
「運が悪かったんだろうな。」
「しばらくは大人しく、うちでご飯食べてくださいね?」
「そうするよ。」
その後、腹部の怪我にも傷薬を塗ろうとしたミーナをそこは自分で塗れるからと、部屋から追い出した司は、薬を塗るとベッドに横になっていた。
(襲われたのは不運だった。いや死んでないだけ幸運か。)
あの時、司を襲った3人組のうちの1人が止めなければ、司は良くてもっと大怪我を負っていたか、最悪死んでいた。
(アイツの動きはしっかりと視えていた。対応できなかったのは俺が自分の力を過信していたからだ。)
司はプーナ村からの帰りに、冒険者の動きが良く視えていた事で、自分にポールの力の一部が宿ったと思っていた。
しかし、それはある意味では間違いだった。
(ポールの技術の様な物は受け継いだのかも知れないが、結局それ扱うのは生身の俺の身体って訳か。)
いくら相手の動きが良く視えたとして、それに合わせて身体を動かせなければ、宝の持ち腐れだ。
その事を今回の一件で司は痛感していた。
(取られたのは、念のため持っていた小銭だけだ。だけど、今後もああいう奴らに目を付けられないとは限らない。)
この世界に来て、初めて感じる挫折に近い思い。
司は早急に自衛の力を付ける必要性を感じていた。




