第20話 ハンナの想い
「…ハンナお婆ちゃんが…知っていた?」
ハンナ譲りのシャルの翠眼が驚愕で揺れる。
フレッドは真っ直ぐシャルの瞳を見ながら話を続けた。
「ハンナさんが亡くなる、少し前の事だ。私はハンナさんが体調を崩す回数が増えている事からもしや余命が幾ばくもないのでは、と思った。ポールさんはやはり帰ってこない。だけど、あの人はずっとポールさんの帰りを待ち続けていた。」
フレッドの目尻に涙が浮かぶ。
それはハンナの墓石に花を供えたときに流した涙と同種の物だと、司は感じた。
「私は激しい自責の念に苛まれた。そして、せめて、あの時の事実をハンナさんに打ち明けるべきだと決意した。
そしてその翌日、見舞いと称してハンナさんを訪ねた私はあの時、起こったことを全てハンナさんに話した。
そしたらあの人はこう言った…。
『そんなの最初から分かっていたわ。』と。」
ケリーとシャルの息を呑む音が司の両耳へ届く。
(知っていたのであれば、何故ハンナさんはそれを家族や周りの人に伝えなかったんだ?)
司の思った疑問は恐らく両脇の2人の考えていることと一緒だろう。
そんな3人の様子を確認しながら、フレッドはまるで遠い過去を思い出すように目を細めた。
「その時のハンナさんの表情は今でも忘れられない。
あの日は朝から雨が降る日だったーーー
窓ガラスを水が直接叩いているような雨音が部屋に鳴り響く。
俺は過去に自分が犯した過ちを、その一番の被害者に打ち明けるために、この家に来ていた。
村外れにあるこの家は20年前からあまり家具なども変わっていない。
奥の扉を開けてひょっこりポールさんが顔を出しても驚きはしないだろう。
「ごめんね、こんな天気に来てもらったのにおもてなしも出来なくて。」
ベッドから上半身を起き上がらせ、いつも通り優しい笑みを浮かべる女性はハンナさん。
俺がついた嘘で、一番傷付けた人だ。
「いえ、調子はどうなんですか?」
「最近ちょっと肺が弱ってるのか、風邪っぽくてね。」
「それはいけない。町から腕利きの治癒魔法士を呼びましょうか?」
俺は真剣にそう答えた。
「いいのいいの。私もいい歳だしね。いつお迎えが来てもおかしくないもの。」
「そんな…。」
ハンナさんもまた、冗談で言っているとは思えなかった。
この人は、こんなに笑顔で死を受け入れられるほど自分の人生に満足しているのだろうか。
俺があの時、あの攻撃を躱せていれば、この人の横には今でもポールさんがいた筈だ。
「ハンナさん。」
「なあに?」
俺は長年誰にも言えなかった嘘を、包み隠さずハンナさんに話した。
しかし話を聞いているハンナさんは、悲しむでも、怒るでもなく、依然として優しく微笑んでいた。
「…そうして、全てを自分の手柄にした私は村に戻って、ポールさんは逃げたと、嘘をついたんです。」
そこまで話すと俺はハンナさんの座るベッドの横に置かれた椅子から降り、膝をつく。
「ポールさんの名誉を穢す様な事をして、本当に申し訳ありませんでした!」
謝って済む問題ではないのは重々承知していた。
だけど、俺には"謝る"選択肢以外残されていなかった。
「頭を上げて。」
ハンナさんの声は不気味なほど、いつも通りだった。
思えばこの人が怒った姿を俺は30年間見たことがない。
この声の裏に怒りの感情が隠れていようと、全てを甘んじて受け入れる、その覚悟で俺は顔を上げた。
ハンナさんは笑っていた。
「そんなの最初から分かっていたわ。」
その言葉の意味を俺はすぐに理解できなかった。
知っていた?何故?どうやって?
様々な疑問が頭を高速で駆け巡る。
鈍い頭痛がした。
「私を誰だと思っているの?ポールの妻よ。」
フフフっと可笑しそうにハンナは笑った。
そして断言する。
「あの人がアーマードベアと戦って負けるとは思えないもの。」
「…どうして?」
「子供達にも言ってないんだけど、あの人の職業は狂剣士なの。」
「きょ、狂戦士?!」
「そう。けど、狂戦士ってイメージがあまり良くないでしょ?あの人が冒険者だった頃はパーティーメンバーには言っていたみたいだけど。」
「…狂戦士なのにパーティーを組んでいたんですか。」
ハンナさんの言葉を聞いて、俺はひどく驚いた。
狂戦士は冒険者の中でも最も嫌われている職業の1つだ。
通常時の戦闘力は素の剣士程。そして狂戦士の多くが所有しているスキル『狂人化』は自身の能力を底上げする代わりに、自我を失い暴れ狂うと言う性質がある。
基本的にパーティーを組んで活動している冒険者にとって、敵味方関係なく襲い掛かる狂戦士は、居てもパーティーにとって邪魔でしかないのだ。
「あの人、いっぱい頑張ってね、自我を失わずにスキルを使うことが出来たの。」
「…それは、凄まじいですね。」
『狂人化』で得られる力は通常の剣士のスキルの比ではない。
その力を秘めていたのなら確かにアーマードベアも倒せるかもしれない。
「けど、それなら何故、ポールさんは最初からスキルを使って戦わなかったんでしょうか?」
俺は純粋な疑問をハンナにぶつける。
「私も詳しいことは聞いていないのだけど、あの人のスキル『鬼神化』は凄く生命力を消費するらしいの。」
「『鬼神化』?」
初めて聞くスキルだった。
しかしハンナの口振りから察するに恐らく『狂人化』の上位互換の様なスキルなのだろう。
それにしても生命力を消費とは、一体どう言うことだろう。
「若い時でもスキルを使うと3日は寝たままだったわ。」
「なるほど。それ程消耗するなら確かに使うのを躊躇うのも納得できます。」
ポールさんの年齢は当時で確か56歳。
若い頃で回復まで3日掛かるスキル。
あの歳でそれを使った時の代償は計り知れない。
「それに、狂戦士って事は子供にも秘密にしていたの。ほら、それだけで怖がられる事もあったみたいだし。」
ハンナさんはおどけるように、しかし優しく笑った。
「…ハンナさん。」
「なあに?」
「私を、責めないのですか。」
俺は膝の上に置いた拳を握り締めた。
いくら目の前のハンナさんが笑っていても俺のしたことは許されることじゃない。
「…あの人は、それはあなたの事を心配していたのよ。」
「ポールさんが?」
「昔の知り合いに何処かであなたの話を聞いたらしくてね。冒険者になったばかりの頃に自分も狂戦士って事で周りから色々言われたことがあったらしくて、だからきっと自分と重ねちゃったのね。」
「…。」
俺は言葉が出せなかった。
だからポールさんは俺の指の怪我にも気が付いていたのだ。
俺をよくここに招いてくれたのも、俺の事を気遣って…。
涙が止まらなかった。
「だから、あなたが嘘をついていたとしても、それはきっと自分自身を守るため。それで例え、あの人が悪く言われても私は構わないし、あの人もそうしろって言うはずだわ。」
そう言うとハンナはゆっくりとした動きで窓の方を見た。
雨は少し小降りになっているようだった。
「私のすべき事は、あなたの事を責めることじゃないの。ここで、あの人が帰ってくるまで、あの人を信じて待っていることよ。」
ハンナは泣き腫らす俺の顔を見ると、テーブルの傍に置いてあったハンカチで俺の涙をそっと拭った。
「しっかりしなさい。あなたはこの村を守る警備団の団長なのだから。」
俺は鼻を啜り、ハンナさんを真っ直ぐ見つめる。
「もし、ポールさんが帰ってきたら、真っ先にあなたにお知らせします。」
「お願いね。フレッド。」
ーーーーーそうして、私はこれまで全てを秘密にしたまま、生きてきたのだ。」
フレッドの話が終わる。
司の隣からは啜り泣くシャルから漏れた声が聞こえている。
ケリーはいつの間にかシャルの傍に寄って、彼女の背中をさすっていた。
その様子を司は確認し、口を開こうとするが、止める。
あの時の様子を"見ている"からと言って、司自身はポールではない。
(俺の役目はネックレスをポールの家族に返すこと。)
ポールの名誉もこれで守られるだろう。
真実を公表するかどうかは、これからフレッドとシャル達夫婦が決めるだろう。
部外者の自分が、これ以上でしゃばるべきではないと思い、その場を立ち去ろうとする。
「待ってくれ。」
そんな司を呼び止めたのはフレッドだった。
「ポールさんではなく、君がそのネックレスを持って来たと言うことは、恐らくポールさんはもう生きていないのだろう。」
「…それは。」
「もう30年だ。覚悟はとっくに出来ていた。」
「…はい。」
司が少し遅れて肯定すると。
フレッドも、そうか、と言って目を閉じる。
ぐっと唾を飲むようにフレッドの喉が動いた。
しかし目を閉じていたのは僅かな間だった。
目尻に小さな涙を浮かべたままフレッドは司に頭を下げる。
「ありがとう。君のお陰で、ポールさんをちゃんと供養できる。」
依然膝をついたままの姿勢だったフレッドはゆっくりと立ち上がった。
「君なら、知っているんじゃないか?どうしてポールさんがあの場から消えたのかを。」
もうポールがこの世を去っているのは知られてしまった。
ならば、司にそれを隠す理由は無くなっていた。
「川に流されたんです。」
「…川に?それは私も考えたが、アーマードベアの死体からかなり離れていた。」
「投げられたんです。ポールさんはアーマードベアに止めを刺した後、死に際のアーマードベアに身体を掴まれて、川に大きく投げ飛ばされました。」
「…そう言うことか。」
フレッドはどこか納得した様子で頷いた。
長年の疑問が解けて、そして、シャル達に真実を伝えたことで、何処か憑き物が取れたような顔をしている。
「…しかし、君はどうやって…。いや、止めておこう。君にも何か事情がありそうだ。」
司はその言葉を聞いて少し安堵する。
そろそろ"祖父の設定"にも無理があった。
例え昔の知り合いでも、そこまで詳しい内容を知っているはずがないからだ。
司は自分の詰めの甘さを反省していた。
「それでも1つだけ、聞かせてほしい。」
フレッドは少しだけためを作ってから言葉を続けた。
「君は一体何者なんだ?」
じっと司を見つめるフレッド、漸く落ち着いたシャルと隣のケリーも同様に司を見詰めていた。
3人に注目され、司は少しだけ居心地が悪くなる。
何者と聞かれても返事に困る。
異世界から転移してきた古着屋です、と言っても理解はされないだろう。
(それに今の俺はただの古着屋じゃない。)
司はミーナに言われた事を思い出して少しだけ口許を緩めた。
「俺は司。"交易都市アルカムの古物商"ですよ。」
それだけ言うと司は今度こそ、その場を後にした。
翌朝、宿を引き払った司は村の塀の外でアルカムへと向かう馬車を待っていた。
馬車は1日1台しか通っていないらしく午前にある1本を逃すと、この村にもう一泊滞在しないといけなくなる。
ここ数日、司がまともに自由市に出店したのは1日だけだった。
資金に余裕があるとはいえ、仕事をしないと言う選択肢は司にはなかった。
「ツカサさ~ん!」
不意に声が響いた。
村の出入口から2人の人影が司の元に近づいてくる。
シャルとケリーだ。
「お2人共、どうされたんですか?」
司の傍に来た2人の息が少し上がっていた。
どうやらここまで走ってきたようだ。
「…宿に行ったらもう出た後だと聞いて、急いでここまで来たんです。」
ケリーが答える。
シャルと比べて、呼吸は既に整っている。
さすが日々体を動かしている農家である。
「…ハァ…ハァ。…まだ、お礼をちゃんと言えてなかったので…。」
「…?お礼は昨日聞きましたが。」
「…あれはネックレスのお礼だけです。まだポールお爺ちゃんの事を教えて頂いたお礼がまだです。」
息を整えたシャルが司に頭を下げる。
「本当にありがとうございましたッ!」
少し遅れてケリーも、シャルよりも深く頭を下げた。
2人の感謝を司は素直に受け入れた。
ポールの記憶を知る司としても、せめて家族だけにでも真相を伝えられたのは僥倖だった。
「俺は自分がやりたいように、行動しただけです。」
「それでも、私たち家族にとっては、救いでした。」
「俺からも礼を言わせてくれ。」
ケリーも会話の隙間を縫って、司に感謝を伝える。
「…ケリーさん。」
「俺は直接、ポールさんを知っているわけではないが、それでも家族の無念を晴らしてくれた。」
義理堅い男だ、と司は微笑んだ。
そして司は昨日、司が去った後の顛末について2人に尋ねた。
「私達は真実を公表しないことにしました。」
「…良かったんですか?」
「はい。ハンナお婆ちゃんも黙っていたのに、私達が言い触らすことは出来ません。」
「そうですか。」
「ただ両親には伝えるつもりです。」
司はシャルの両親について、ケリーに聞いた事を思い出していた。
(確か、アルカムに住んでるんだっけ。)
司は一瞬考えた後、提案する。
「俺も今からアルカムに戻るので、俺から伝えておきましょうか?」
「いいえ。自分達で直接伝えます。ちょうどもうすぐ収穫の時期ですから、それが終わったら少し時間があるんです。その時はツカサさんの所にもご挨拶に伺いますね。」
「分かりました。」
その後馬車が到着するまでの間シャルとケリーは終始晴れやかな表情で司との会話を楽しんだ。
程なく馬車が到着する。
「それじゃあ、またアルカムで。」
司が地面に置いていた荷物を肩に掛け、馬車に向かおうとする。
「ええ、お元気で。」
「また、必ず。」
シャルとケリーが司を送り出す。
司はそのまま馬車に乗り込むと窓から村の方を見る。
シャルとケリーはまだ司に手を振ってた。
そしてその奥、村の入り口にはフレッドが立っていた。
馬車からの距離はかなりあるが、フレッドがその場で一礼した。
かなり距離があるにも関わらず、司が自分を見ていると気が付いたようだ。
彼ら3人は次の休みにでもポールの墓石を作るそうだ。
(またこの村に来たら、その時はおれも墓参りに行こう。)
馬車がゆっくりと走り出した。
車窓から見える村が徐々に小さくなっていく。
『………ありがとう…。』
司の頭にまた、声が聞こえた。
しかしスピードを上げた馬車の車輪の音がすぐにその声を上書きする。
その時、身体に起きた僅かな異変に司はまだ気が付いていなかった。
これにてこの物語の第一部が終了となります。
司が飛ばされた世界の設定に関する部分がどうしても多くなりましたが、飽きずにここまで呼んでいただき感謝です。
一応、物語の大筋は決めているので、完結までお付き合いください。




