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【青春BL】氷の世界で有名な後輩に手を伸ばしたら、なぜか俺だけを必要としてくる  作者: 桜塚あお華


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第06話 面倒な後輩

 連絡先を交換してしまったのは、数日前の放課後だった。

 まだ、秋元のスケートを見に行く前のことだ。

 あの時の事を俺は少しだけ後悔している。


 ――いや、少しだけ、というのはたぶん嘘だ。


 後悔しているのか、していないのか、自分でもよく分からない。

 ただ、あの場で素直に断っていれば、今みたいに落ち着かない気持ちになることはなかったのかもしれない、とは思う。

 秋元雄哉という後輩は、最初から距離の詰め方がおかしかった。

 ぐいぐい来るわけじゃない。

 むしろ無口で、愛想もなくて、何を考えているのか分かりにくい。

 放っておけば、そのまま景色の一部みたいに静かにそこにいるだけだ。

 なのに、気づけばすぐそばにいて、いつの間にかこっちの生活の端に入り込んでいる。

 押しつけがましくないぶん、余計に厄介だった。

 気配が薄いくせに、いなくなると妙に分かる。

 そばにいればいたで、少し落ち着かない。

 そう言う後輩だった。

 だから連絡先を交換した日の夜、風呂を上がって自室のベッドに寝転がったところでスマホが震えた時、画面を見る前からなんとなく相手が分かってしまった。

 表示された名前は、やっぱり秋元雄哉だった。

 たったそれだけで、胸のどこかがわずかに構える。

 別に、身構えるような相手じゃないはずだ。

 ただの後輩からのメッセージでしかない。

 なのにあいつは、いつも簡単にただの後輩の位置に収まってくれない。

 通知を開く。


『宿題の範囲が分からないです』

「おい、早いな……」


 思わず声が漏れた。

 交換したその日の夜である。しかも最初の一通がこれか、と思う。

 でも、秋元らしいといえば秋元らしかった。

 何気ない雑談を振ってくるような器用さはなくて、必要なことだけをそのまま送ってくる感じが、いかにもあいつだった。

 俺はスマホを見下ろしたまま、小さく息を吐いた。

 半分くらいは予想していた。

 連絡先を聞かれたときの、あの当然みたいな顔を思い出す。

 あの時点で、多分こうなるんだろうとは思っていたのだ。

 けれど、そこでふと指が止まる。

 俺は二年で、秋元は一年だ。

 一年の宿題の範囲なんて、本来なら知っているわけがない。

 昼休みに秋元が「英語がある」と言っていたのを思い出して、少し迷ったあとに打ち込む。


『一年の宿題までは分かんない。今日、先生が黒板に書いてなかったのか?』

『クラスのやつにプリント見せてもらえ』


 そう返すと、ほとんど間を置かずに既読がついた。

 それだけで、向こうも今スマホを見ているのだと分かる。

 部屋で一人、あの眠たそうな顔のまま画面をのぞいているのだろうかと、そんなことを想像してしまう自分に少しだけ戸惑った。


『黒板、あまり見てませんでした』

『聞ける人もいません』

「だめすぎるだろ……」


 思わず天井を仰ぐ。

 そこで終わるかと思ったのに、またすぐ通知が震える。


『明日の持ち物は何ですか』

「いや、先生か俺は」


 つい声に出したところで、廊下の向こうから母親に「どうしたの」と聞かれた。俺は慌てて「なんでもない」と返す。

 なんでもないわけがない。

 なんでもない後輩なら、連絡先を交換した初日の夜に、宿題と持ち物の確認をまとめて寄越したりしない。

 ただ、そう思いながらも、放っておける性格じゃないのが自分でも分かっていた。

 そこがいちばん面倒だった。相手が面倒なのか、自分が面倒なのか、もう判別がつかない。


『持ち物も一年の分は知らない』

『明日の時間割くらい見ろ』


 少しきつめに返したつもりだった。

 けれど数秒後、また通知が入る。


『見てもよく分からないです』

『先輩は、ちゃんと覚えてるんですね』


 最後の一文に、俺の指が止まった。

 褒めているというより、ただ驚いたことをそのまま口にしただけなんだろう。

 秋元はそういうやつだ。

 言葉に余計な飾りがない分、ときどき妙にまっすぐ入ってくる。


『俺は二年のことならな』

『お前が忘れすぎなんだよ』


 送信すると、数秒後にはまた返事が来た。


『そうかもしれないです』


 それで終わりかと思ったのに、続けてもう一通。


『でも、先輩がいるので』


 短い文だった。

 それだけなのに、妙に目に残る。

 先輩がいるので。

 だから大丈夫だとでも言いたいのか。

 先輩がいるから困らないのだと、そういう意味なのか。

 どっちにしても、そんな事をこんな簡単に言うなよ、と思う。

 俺はスマホを胸の上に置いて、仰向けに寝転がった。

 天井を見ても、文字が頭から離れない。


『あと』

『ネクタイ、明日も曲がってたら直してください』

「は?」


 思わず上半身を起こす。

 何を言ってるんだ、こいつは。

 昨日、昇降口で見かねて一度だけ直してやった。

 ただ、それだけだ。

 あれで味を占めたのかと思うと、呆れるより先に頭が痛くなった。


『自分で直せよ』


 即座に返すと、躊躇なく返ってくる。


『面倒です』

『先輩のほうが上手いので』


 しばらく画面を見つめる。

 自分で言うのもなんだけど、ネクタイを直すのが上手いだの下手だの、そんな評価軸で見られたことは人生で一度もない。


『知らない。ちゃんと鏡見ろ』

『鏡見てもよく分からないです』

『結ぶ気はあるんだよな?』

『たぶん』


 またその【たぶん】か、と打ちかけて、俺はふっと息を吐いた。

 面倒くさい。

 本当に、面倒くさい後輩だ。

 放っておけばいいのに、どうせ明日の朝、昇降口か教室で見かけたら、結局また見かねて直してしまう自分の姿まで簡単に想像できてしまって、なおさら腹が立つ。


『……一回で覚えろよ』


 そう送ると、すぐに返ってくる。


『頑張ります』


 その文字を見て、思わず口元を押さえた。

 笑ったわけではない。ただ、調子が狂う。

 こんな無愛想で、眠そうで、何を考えているのか分からないやつに、自分のペースを乱されていることがなんだか悔しかった。

 それでもスマホを伏せたあとも、画面に浮かんだ言葉が頭のどこかに残ったままだった。


 ――先輩がいるので。


 その意味を深く考えるほどでもないはずなのに、胸の奥の、やわらかいところに小さく触れられた気がした。

 頼られている、というほど大げさな話でもない。

 ただ、秋元の中で俺が【|聞けば答えてくれる相手《都合の良い相手》】になってしまった。

 それだけのことなのかもしれない。

 けれど、その【それだけ】が思ったより静かに残る。

 翌朝もきっと、雄哉はしれっと俺の隣に来るのだろう。

 ネクタイが曲がっているかもしれないし、教科書を忘れているかもしれない。

 昼休みには弁当もなくて、何も言わずにこっちを見るのかもしれない。

 そんな場面が、ため息が出るくらい自然に想像できる。


「……ほんと、面倒な後輩」


 誰もいない部屋で小さくこぼした声は、自分で思っていたより少しだけやわらかかった。

 窓の外はもう暗くて、部屋の中には生活音もほとんどない、静かな夜だった。

 なのに、スマホの小さな画面に残った数行の文字のせいで、胸のどこかだけが妙に落ち着かない。


 ――たぶん明日も、また振り回される。


 そう思うのに、不思議と嫌ではなかった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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