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【青春BL】氷の世界で有名な後輩に手を伸ばしたら、なぜか俺だけを必要としてくる  作者: 桜塚あお華


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7/7

閑話 先輩の連絡先を手に入れた日

 作倉伸二(さくらしんじ)という先輩は、たぶん自分が思っているよりずっと目立つ。

 少なくとも、秋元雄哉(あきもとゆうや)にとってはそうだった。


 最初にちゃんと認識したのは、雨の日の昇降口だ。

 ほどけた靴紐を見て、呆れたような顔をしながら、それでも放っておかずに声をかけてきた。

 だいたいの人間は、雄哉に対して二種類に分かれる。

 ひとつは、フィギュアスケートの秋元雄哉として見る人間。

 試合の結果やジャンプの種類や今後の期待を勝手に語る。

 雄哉本人より、雄哉の演技や成績に興味がある目だ。

 もう一つは、学校での見た目だけを見て遠巻きにする人間。

 綺麗だとか、感じが悪そうだとか、話しかけにくいとか、そういうどうでもいいことを勝手に決める。


 ――先輩は、そのどちらでもなかった。


 靴紐がほどけていることを見て、知ってるなら結べよと言った。

 傘を忘れていることを見て、呆れた。

 ネクタイが曲がっていれば直した。昼休みに弁当がなければ眉をひそめた。


 多分、そういうところからだった。


 秋元雄哉が何者かではなく、今ここで何を困っているかだけを見る人間はあまりいない。

 だから、少しだけ気になった。

 少しだけ、のつもりだった。


   ▽


 連絡先を聞くのは、もっと難しいことかと思っていた。

 でも実際に声に出してみれば、思っていたより簡単だった。


「連絡先、教えてください」


 そう言ったとき、先輩は露骨に嫌そうな顔をした。

 嫌そう、というより困っていた。

 眉が少し寄って、声の調子がわずかに硬くなる。

 伸二先輩はそういうとき、分かりやすい。

 それでも断らないだろうとは思っていた。

 多分この人は、困っている相手を放っておけない。

 自分が得か損かではなく、目の前にある“面倒”を拾ってしまう。


 ――いい人、という言葉で片づけるには、少し違う気がする。


 いい人なら、もっと器用に笑うだろうし、もっと無難に優しくできるだろう。

 伸二先輩はそうじゃない。

 面倒そうにするし、呆れた顔もするし、口もそんなに良くない。

 それなのに、結局見捨てない。

 そういうところがいいと思う、とはまだ言えなかった。

 自分でも、まだそこまで整理できていなかったから。

 画面を差し出されたとき、少しだけ安心した。

 先輩のアカウント名は、驚くほど普通だった。

 アイコンも、どこかで撮った空の写真。

 飾り気がなくて、でも少しだけきれいだった。

 こういうのにも、その人らしさは出るんだなと思った。


「おい、悪用すんなよ」


 と言われて、しないのにと思う。

 でも、多分先輩は、悪用される心配をしているんじゃない。

 ただ、距離を測っている。

 ここまでなら許せる、ここから先は近い、みたいな線を自分の中で引いている。

 その線を、いきなり越えたくはなかった。

 ちゃんと、少しずつ慣らしたほうがいい。

 そういうことだけは、雄哉にも分かる。


   ▽


 家に帰ってから、スマホを見た。

 連絡先の一覧に、今日増えた名前がある。


 ――作倉伸二(さくらしんじ)


 文字だけなのに、少しだけ変な感じがした。


 学校では目の前にいて、声をかければ返事をする。

 けれど今は、手のひらの画面の中にもその人に繋がる場所がある。

 それは、思ったより大きいことだった。


「……何を、送ろうかな?」


 どんな言葉を送ればいいか、考えた。

 でも、意味のないことを送るほど器用ではない。

 そもそも、そんな話題もない。

 思わず考えた事を打ってみると、返事が返ってきた。

 予想通りだった。予想通りなのに、少しだけうれしかった。


『ありがとうございます』


 それで終わってもよかったけれど、それでももう少し、なんでもいいから話したいと思ってしまった。

 何回も、質問のように言葉を出す。

 きっと、先輩にとってはこれが普通のことなんだろう。

 でも雄哉にはそれが難しい。

 必要ないことはすぐに頭から抜けるし、必要なはずのことも、練習の前後にはよく曖昧になる。

 氷の上のことなら忘れないのに、それ以外はひどい。

 分かっている。分かっているけれど、直せない。


『先輩は覚えてるんですね』


 そう送ったのは、本当に感心したからだった。

 返ってきたのは、少し呆れたような文面だった。


『普通これくらい覚えてるだろ』

『お前が忘れすぎなんだよ』


 それを見て、少しだけ笑いそうになった。

 怒っているわけではない。ちゃんと、世話を焼く側の声だ。

 叱られるのは嫌いじゃない、と思った。伸二先輩に限っては。

 少し考えてから、送る。


『そうかもしれないです』

『でも、先輩がいるので』


 自分でも、その言葉が思ったより素直に出たことに驚いた。

 先輩がいるから、大丈夫だと思っている。

 学校生活の細かいことも、ネクタイも、昼休みも、たぶん少しだけ。

 氷の外のことも。


 その後、ネクタイのことを送ったのは、半分は本気で、半分は確認だった。


『ネクタイ、明日も曲がってたら直してください』


 返事はすぐに来た。


『自分で直せよ』


 当然だと思う。

 でも、それだけじゃ終わらないとも思っていた。

 伸二先輩は、そういう人だ。

 口では面倒だと言う。

 呆れる。

 嫌そうな顔もする。

 それでも、たぶん明日の朝、曲がっていたら見かねて直してくれる。

 それを期待している自分は、少しよくない気もした。

 けれど、期待してしまう。

 リンクでは、誰にも頼らないほうがいい。

 頼るなら自分の体だけでいい。

 跳ぶのも滑るのも、失敗するのも、全部ひとりで引き受けるものだ。

 でも、氷の外では少しくらい誰かに頼ってもいいのかもしれない。

 そんなことを、最近思うようになった。


 ――先輩のせいで。


『……一回で覚えろよ』


 その文面を見て、雄哉はスマホを持ったまましばらく黙った。

 怒られているはずなのに、変に安心する。

 無視されない。

 突き放されない。

 呆れられても、ちゃんと返ってくる。

 それが、思ったより大きかった。


『頑張ります』


 そう返す。

 画面の向こうで、先輩がどんな顔をしたのかは分からない。

 多分、呆れている。

 もしかしたら少し笑っているかもしれない。


 それを想像するのは嫌じゃなかった。


 ベッドに横になって、スマホを胸の上に置く。

 静かな部屋だった。

 遠くで何かの生活音がして、窓の外を車が通る音がして、でもそれだけだ。

 明日の予定も、練習のことも、学校のことも、考えないといけないことはたくさんある。


 なのに今、いちばん頭に残っているのは、画面の中の短い文ばかりだった。


 普通これくらい覚えてるだろ。

 お前が忘れすぎなんだよ。

 一回で覚えろよ。


 どれもたいした言葉じゃない。

 でも、そのどれもがちゃんと自分に向けられていた。

 秋元雄哉ではなく、ただの面倒な後輩に。

 それが少しだけ、うれしい。

 明日も、先輩のところへ行く。

 昼休みか、朝か、授業の合間か。

 どこでもいい。顔を見れば、少しだけ安心するのが分かっている。

 それがどういう種類の感情なのか、まだきちんとは分からなかった。

 分からないけれど、たぶんもう、どうでもいい後輩ではいたくない。

 先輩にとって、自分が少しでも特別ならいいと思う。

 せめて、学校生活でいちばん面倒な後輩くらいには。

 目を閉じる前、雄哉はもう一度だけ連絡先の一覧を開いた。


 作倉伸二――その名前を見ただけで、胸の奥が少し静かになる。


 たぶん、今日はよく眠れるきがした。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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