7話 昼休みの遭遇戦
午前の授業はつつがなく終了し、昼休みを告げる鐘が鳴る。
教室内が慌ただしくなる中、俺は持参してきたパンを取り出す。
俺の昼食はいつも少ない。半分の長さのペットボトルのお茶、それから総菜パン一つ。
さっと食べ終えたら今日は購買に行かなくてはならない。暑くなる前にジャージの替えをもう一着用意するつもりだ。二日連続で着て匂ったら嫌だし……
そんな風に食べながら昼休みの予定を確認していたら、教室の端っこから大きな笑い声が聞こえてきた。
「あはははっ! やばー! 超うける」
周囲の大人しいクラスメート達がびくりと肩を震わせるのが気配で分かった。
パンをもぐもぐさせながら念のため声の主を確認する。
――やっぱりあいつらか。
教室最後部で騒いでいるグループ。
机の上に腰かけた女子はそのリーダー格だ。
髪を微妙に脱色していて、金色と茶色がアイスクリームみたいにグラデーションがかっている。俺の爺ちゃんが見たら不良って認定するレベル。
「あはは。西崎らしいな」
「もう風晴。そーゆーのマジでやめて」
その中には諌矢もいてギャルっぽい女子生徒、西崎瑛璃奈の相手をしていた。
「本当、有り得なくない?」
ボヤきながらも、嬉しそうな西崎。
方言混じりのイントネーションで皆が会話する田舎では、標準語はイレギュラーな存在だ。
小学校時代、東京から転校してきた子が言葉遣いをからかわれていたのを覚えている。
しかし、今この場では彼女の標準語を笑う者は一人もいない。
むしろ、田舎では疎まれがちな標準語を率先して使い、どことなくイケてる言葉遣いだというスタンダードすら与えている。
まさに教室の女王だ。大人しい生徒達は彼らの周りで小規模なグループを形成して、静かに談笑しつつ彼女たちの大きな声で交わされる会話をライブ配信のごとく強制的に聞かされている。
そんな事を考えていたら、じっと見てしまっていたようだ。気づいた諌矢がこちらにやってくる。
「よう、一之瀬。メシ食ったら一緒に来ないか?」
「どこにだよ。お前あいつらの相手しなくていいのかよ」
諌矢は掃除の班が一緒だ。そのせいかこういう風に諫矢単独でのつながりがある。
だが、本来はあの西崎たちの陽キャの一団に属している存在なのだ。
「俺は夏生がクラスに溶け込めるように気を利かせてるんだけどなあ」
さりげなく距離を詰めるように俺の名前を呼ぶ諌矢。
「――ねっ? 江崎さん?」
不意に、俺の後ろの席の女子に会話を振った。
「え!?」
イケメンに話しかけられて驚き半分、嬉しさ半分の顔の江崎さん。ショートカットがふわっと揺れた。
「なあなあ。夏生って酷いんだぜ? 江崎さん達はいじめられたりしてない?」
諌矢は柔和な笑みを浮かべて江崎さん達に問いかける。それまで慎ましくランチタイムを愉しんでいた女子のグループは顔を合わせて嬉しそうだ。
「なつきって……一之瀬君? ああ、うん。良い人だし大丈夫だよ、ね?」
「う、うん!」
江崎さんは小動物みたいに小刻みに頷きながら、隣の女子にも同意を求める。
何で俺二人に怖がられてる風なんだろう。
なによりも、『いい人』って言ってくれる割にこの人達、普段一切コミュニケーション取ってこないんだけどな。
そんな、殆ど接点の無い相手を『いい人』って言いきれる理由が分からない。
「風晴ー!」
そうしていたら後ろの陽キャ集団から諫矢に招集が掛かった。
「学食行かねえ~?」
「おう」
諌矢は手を上げながら、俺の方を見る。
何だろう、この流れに乗って俺も同行しろと言いたいんだろうか。
「俺はいいよ。パン食ってるし」
「おいおい昼飯それだけなん? もっと何か食おうぜ」
諫矢は気さくに笑いながらまだ一緒に行くつもりのようだ。
「俺が同席しても浮くだけだよ。ありがたいけど今日はいいよ」
首を振りながら答えると、諌矢は少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあ、夏生。次こそは一緒に行こうな。江崎さん達も、またねっ」
そう言って人好きのする笑顔で手を振りながら去っていく。
諌矢の背中を見送る江崎さん達は仲間内ではしゃぎ始めた。何この反応。
諌矢は基本的に陽キャラでコミュ力もあるから、女子の輪にも平気で入っていける。
おまけに様々なグループにも顔が利く。あの陽キャ軍団だけでなく、おとなしめ男子のグループがゲームしてたら会話に自然に混ざるし、同じ部活で固まった内輪感バリバリの野球部連中とは昨日の野球の試合の話で盛り上がれる。
そんなやつだ。
「今日は牛丼だっけ。俺二杯いっちゃおっと」
「お前本当バカだな。午後体育だぞ? 腹壊すって」
諫矢が合流した陽キャ軍団はそんな軽い会話をしながら出ていく。
「――くそ、あいつら。好き勝手言いやがって」
特に牛丼を腹壊すだけ食ってやるぜとか息巻いていた大男め。
お前の発言は腹痛で悩み続ける俺には相当効いたぞ。
♦ ♦ ♦
連中と行先が被っている事を敬遠した俺は相当待ってから購買に向かった。
カウンターのおばちゃんにお金を渡しビニールで包装されたジャージを受け取った所で聞き覚えのある声がした。
「午後って数学だっけか!?」
嫌な予感と共に窺うと、運の悪いことにクラスの陽キャグループの登場だ。あれだけ時間をずらしたのにまだ食堂にいたのかよとうんざりする。
さっさと食ったら戻ればいいのになんなんだろうね。
その中にいた諌矢が俺に気づいてグループから抜けてこっちにやってきた。
「おお、夏生も学食来てたんじゃん」
「ジャージ買いに来たんだよ。購買にな」
白字に黒の昭和テイストがまだ残る購買の看板を顎で示すと諫矢はなるほどと目を丸くして頷いた。なんか人柄ほんといいなこいつ。
「じゃあ、なんか飲むか」
そういって自販機で足を止める。
「俺はバナナオレ……俺だけに! 夏生は?」
「緑茶」
センスZEROのダジャレをスルーしつつ、俺は緑茶のボタンを小突いた。
「はは、渋すぎ。ミックスジュースとか似合いそうなのに」
「ミックスジュースが似合うってどんなキャラだよ」
いいながら俺たちは取り出したパック飲料にストローを差す。
「いやー、夏生って甘いのとか好きじゃなかった? いちごオレは?」
「乳飲料飲むと腹緩くなるんだ。炭酸飲むとガス溜まって午後の授業でお腹張るし。だから緑茶しか選択肢無いの。諌矢なら俺の事情分かるだろ?」
「夏生。お前すごい気を使ってるんだな」
正直に答えると笑顔だった諌矢がかわいそうな物を見るような目に変わる。
「なのに、何でいつも腹痛くなってるの?」
「知るか!」
言い返すと諌矢は面白そうに顔を緩ませる。
「なあなあ、なっちゃん。ちなみに俺は結構飯食うけど腹壊した事ないんだよなあ。どうやったらそんなに腹下すもんなの?」
ムカつく呼び名に拳を握って俺は答えた。
「二度とその名で呼ぶな。なんならここで諌矢の腹も壊してやろうか? 物理的に殴る蹴るで」
「ワンパンで? アッハッハ」
煽ってんのか冗談に乗ってるのか。相変わらずこいつの真意は読めない。
しかし、そんな怪訝な顔の俺を見て諫矢はふっと優しい表情に変えるとすぐ横を指さした。
「ま。午後の授業まで時間あるし。とりま座ろうぜ」
校舎を繋ぐコンクリート張りの渡り廊下。屋根は古びた雨除けの庇だけ。俺達は駄菓子屋の前にでもありそうな年季の入ったベンチに腰掛ける。
その先には陽に当たる中庭が広がっていてランチタイムに賑わう生徒たちが見えた。
芝生や庭園の石に腰かけて思い思いに語らい合うグループやカップル。だけど、中庭は校舎に囲まれた場所にあって彼らの様子は四方から丸見えだ。
多分、彼らは俺と違って他人の視線など気にしないんだろう。寧ろ見せつけてやるまである。だから平気なんだ。
一方の俺は見られる事も含め、そういう場にいる事自体が苦痛だ。ひど過ぎる自意識過剰。だからお腹もすぐ痛む。
「今日は特に暑いな」
そんな澱の溜まった頭の中を浄化させたくて空を見上げた。
どこか気だるげに、諫矢もまた同じように空を見上げる。
「――ところでさ夏生」
「?」
春の暖気のせいか、こんな日陰でも学ランがぽかぽかする。中のシャツに汗が染みてくるのを感じながらその言葉の続きを待った。
「赤坂さんと朝早くから二人で、何してたん?」
――は?
「お前……何で知ってんだよ!?」
「いやさ、西崎達が見てたんだよ。だから聞いてくれって頼まれたんだよね」
諌矢は長い鼻梁を日光にきらめかしながら、いつもの軽薄な口調で笑う。
「西崎って? あああいつか」
諫矢が言った西崎瑛璃奈と言えば、リア充グループの筆頭みたいな女子だ。
ギャルっぽい見た目と言動で、唯我独尊を絵に描いたようなクラスの女王。
「なんでそんな事西崎が気にするんだよ」
「さあ? でも女子ってそういうの気になるんだろ」
「俺と赤坂はそんなんじゃないよ」
即答すると諌矢は小首を傾げて不思議そうな顔だ。
思わず視線を俺は逸らした。
「本当に何も無いんだって。赤坂とは席近いから話す機会が多いだけ」
「夏生が女子と会話してるとこ見たことないんだけど……」
「よく見てんな。しね」
言うと諫矢が笑う。これが冗談だとは彼奴にも通じているらしいか。
「とにかく付き合ってるとかそういうのは絶対に無い。有り得ない話をするなって西崎に言っといてよ」
寧ろ、付き合ってるよりもっとめんどくさい関係にあるんだけどな。
言い出したくなるのを俺は必死でこらえた。
「なんだいそれ。面白くないな」
俺の迫真さから嘘じゃないと、諌矢は分かってくれたようだった。
そういう意味じゃこいつと俺は信頼できる友人と言える存在なのかもしれない。自然と互いに笑みがこぼれた。
「「へっ」」
そうだ。誤解も解けた。
あとは残り少ない昼休みをこうやって、ぽかぽか過ごそう。
溶けたアイスクリームみたいに俺達は深く腰掛けた。
「へーっ♪ じゃあ、噂が本当なら面白かったって事?」
「そうそう。夏生と赤坂がカップルとか意外過ぎて笑うしな」
女子の声に諫矢が嬉しそうに振り返った。
「「赤坂!?」さん!?」
俺と諫矢は戦慄した。
これまで見たことのないほどに凄絶な笑みを浮かべ、赤坂環季はそこに立っていた。
「また会ったね、一之瀬――ッ!」
ニコニコ顔の赤坂は、持っていたパンの空袋を丸めると、ダンクシュートの勢いでゴミ箱にぶち込んでみせた。
「風晴君」
不意に赤坂の敵意の矛先が諫矢へと切り替わる。
「さっきの話。何とかしてくれる?」
「えっ? 悪い。赤坂さん、どういう事かな?」
女子なら誰でも惚けてしまうような笑顔を向けて諫矢が聞いた。
「くだらない噂の事よ」
白い歯を見せて爽やかに問う諫矢をしかし、赤坂は一蹴する。
瞳の見えないほどににっこり微笑む赤坂の笑顔の奥底にある憤怒。それを気配りのできるイケメンの諫矢が見逃すわけがない。一瞬でこの女に冗談は通じないことを悟ったのか爽やかさを保ったまま表情が凍り付く。
「私とそこの一之瀬君が付き合ってるだなんてデマもいいとこよ。西崎さん達が広めてるんでしょ? 何とかして」
「へ? 西崎を?」
「そう。貴方西崎さんのグループの女子とも仲良しじゃない。何とかして」
「それはあいつが勝手に思い込んでるだけで――」
「おい、一之瀬。赤坂さんってこんな性格だった? 口調とか超怖いんだけど……」
「男子には辛口なんだろ」
「それにしたって……こええよ。まるで西崎がもう一人いるみたいだよ」
そう言って小声で囁く諌矢だけど、赤坂には聞こえてると思うんだよね。地獄耳だし。
「その西崎さんを何とかしてほしいんだけど。『YES』か『はい』か答えてくれない?」
「ひぇっ⁉」
あからさまに諌矢が狼狽える。
赤坂はクラス随一の陽キャが相手だろうが、目的遂行の為なら容赦するつもりはない。
「話聞いてるよねー?」
愉しそうな弾む口調。しかし、靴裏でコンクリートの床に打ち付ける音は酷く冷たさを伴っていた。
「はい……」
とうとう根負けしたのか諫矢はしおれた野菜みたいになって頷く。
「西崎に説明しとく。だから、もう許して赤坂さん……」
降参だと言わんばかりに、まるで銃を付けつけられたように諌矢が両手を上げた。
「分かればいいの。分かれば」
「はい……でも」
蚊の鳴くような声で赤坂を窺う諫矢。まだ聞きたい事があるようだ。
やめとけばいいのに。そう思いながら二人のやり取りを俺はモブのように徹しながら見守った。
「噂の真相は分かった。付き合ってないんだろ? じゃあ、赤坂さんと夏生ってどんな関係なんだ?」
「うん?」
瞬間、赤坂の眉がぴくりと動いた。諫矢は蛇に睨まれた蛙みたいに身を縮こませる。
「いや、何でも無いです。ごめんなさい」
両手を太ももに置きながら瞑目。
万策尽きた、そんな感じだ。そろそろかわいそうになってきた。
「もういいんじゃないか。赤坂」
「え?」
「俺達の間に何かあるのは諌矢も気づいてるし。これ以上誤魔化してもしょうがないよ」
俺は赤坂の代わりに、これまでの事を諌矢に説明することにした。
「――そうか。そういうことだったのか!」
一通り話し終えると、諌矢は驚くほど素直に納得していた。
俺が話したこと以上に何か隠しているとかそういう詮索をしている様子はない。信じてくれていてやっぱりいいヤツだと再認識した。
「赤坂さんも一之瀬も同じタイミングで学校抜け出してるなとは思ってたけどマジで何も関係ないなんて意外だな」
「貴方たちが勘繰るような『意外さ』なんてそもそもないの」
一方で赤坂はまだツンとした態度だ。ちらりと横目で俺を睨みつけてくる。
――早く、このおしゃべりを黙らせて。
赤坂のそんな感情がテレパシーみたいに伝わってきた。
「とにかく。諫矢は西崎たちの興味を逸らしてくれ」
「わかった、わかったって」
諫矢は頼りがいのある語気で返事をする。
諫矢のいう事ならあいつらは言う事聞きそうだし何とかなりそうだ。
しかし、まだ終わらないのか。諫矢は俺達を改めて興味ありげな視線で見比べる。
「で、どうだった? 赤坂さんから見て一之瀬の悩みは?」
「馬鹿げているにも程があるわ」
赤坂は即答しながら腕を組んだ。うんざりした顔がこちらを一瞥する。
「本当にくだらない。一之瀬のせいで私まで迷惑してるんだからたまらないわ」
トイレの悩みを共有した事で、赤坂は妙に饒舌になってきている。
入学当初の女子同士でしか笑顔を見せない雰囲気とは一変している。まあ、どのみち笑顔は見せないのは変わらないが。
「だいたい来週は定期試験じゃん。まさか一之瀬、休んだりしないよね? そんな事したら本当に単位落とすよ?」
俺を案じているような赤坂の声音。半分呆れている。
「もうテストかぁ。めんどくさいな……」
「夏生。お前テスト中も腹痛起こす体質なの?」
諌矢もどこか心配げだ。二人に憐憫の目を向けられ俺は何とも言えない気持ちになる。
「まあ、そうだけど……」
試験中の沈黙は俺にとって地獄だ。
そして、そういう沈黙の時に限ってお腹の音が鳴る。その度に解答用紙を派手にめくったり、椅子を擦ったりして音を出して誤魔化そうとする。
そんな下らない事に躍起になってしまうせいで、もちろん問題には集中できない。
「多分、この体質のせいで俺は本来の実力の70パーセントくらいまでリミッターが掛かってるかもな」
「何がリミッターよ」
悩みを正直に打ち明けると赤坂は頭を振って嘆く。
「本当。このウン〇マン……」
「テスト中にトイレなんて何度も行ったら怪しまれるし仕方ないだろ」
「そういう問題かよ」
赤坂と顔を合わせながら諌矢も苦笑いだ。
「ほんとそれ。そもそも、どうしたらこんな事で悩めるようになるのかしら。みんなもっと他の事で悩んでるのに……」
赤坂と諫矢が同時にため息をつく。
おかしいな。さっきまで水と油だった二人の呼吸が合いだした。
「そうだ!」
ふと、諌矢が立ち上がる。何事かと赤坂が注目する。
「まあ、こいつのヘタレは相当だしな。赤坂さんでも手に余るのは分かった」
諌矢はベンチから立ち上がると、ドヤ顔で俺達を睥睨して言った。
「俺にいい考えがある」




