6話 嫌すぎる女子からのプレゼント
翌朝早く、俺は旧校舎を歩いていた。何故か隣には赤坂もいる。
多くの教室や職員室がある新校舎とは違ってここは古い土器を保管した資料室、生物標本を保管した第二生物室など物置代わりの教室ばかり。授業では滅多に訪れない。
「で、こんな場所まで連れてきて何の用だよ?」
「分かってないわね、一之瀬夏生。良かれと思って案内してんだけど」
美祈さんの家の前で待ち伏せを喰らって、そのままここまで連れ出された。
階段を上っていくその背中を見ながら俺は大きく息をついた。
「ったく、何なんだよ」
早い時間というのもあって、旧校舎に人の気配は感じられない。
おまけに新校舎の陰になっているので日当たりも最悪で廊下はまるで学校の怪談の舞台だった。
暗い廊下の突き当たり、扉の無い男子トイレの前で赤坂は立ち止まった。
「ここよ。旧校舎なら多分誰も来ないでしょ」
そう言って、赤坂はトイレを顎で指し示す。
その内部は朝なのに暗闇に包まれている。
「ここを使えばいいじゃない」
「いいじゃないって……ちょっと待ってくれ」
人がいない所なら気にせずトイレに入れる。多分そう言いたいのだろう。
しかし、暗がりにぼんやりと白く浮かんだ小便器は幽霊みたいに不気味だ。中に入ったら闇に取り込まれそうな迫力だ。
「せっかく見つけておいたんだから感謝して欲しいくらいよ。これからの昼休みは大通りで出くわすなんてもう無いよね?」
「犬の散歩感覚で人に用を足させようとすんな」
赤坂がそっと離れていく。俺はちらちらと視線を感じながらもトイレに足を踏み入れた。
スイッチを押すと蛍光灯が重苦しげに明滅を繰り返した後にようやく点灯した。
鈍く照らし出されたトイレ内。こうやってみるとやっぱり怖い。
「おばけでもいた?」
「そんなわけないだろ」
赤坂のからかうような笑い声が聞こえてきた。
人の感情を逆撫でするような意地悪い言い方に、俺はムッとして睨み返した。
「あのな。霊なんかより、生きてる人間の方がずっと怖いんだぜ? 爺ちゃんが言ってた」
「じゃあ一之瀬。ここに出るっていう花子さんも平気なんだ? かっこよ」
「マジ!? ここ出るの!?」
「嘘に決まってんじゃん」
このままバカにされ続けるのも癪なので、俺は扉を閉めて個室トイレに向かった。
――やってやる。バカにしやがって。
俺は意を決し、中を覗く。
「Oh……」
そして、自分でも聞いた事のないような声が漏れた。
古めかしい和式便座がそこには鎮座していた。
美祈さんの家の真新しい洋式便座に比べるとすさまじい落差。しかも、床のタイルの溝は黒ずみ、水道管にも青サビが浮き出ている。
「どうしたの? 花子さんでもいた?」
扉の前に立ったまま、踏み出せない俺が見えているかのように扉越しに赤坂のくぐもった声が聞こえた。
「いるわけねーだろ」
ぼやきながら扉の鍵を閉めた。
古い便器はそれでも掃除が行き届いているのか、暗闇できらりと光沢を放っている。
もしも、トイレに本当に神様がいるのなら――今ここで俺が用を足すのをどんな思いで見ているんだろうな。
忘れ去られた校舎の片隅のトイレ。そこに突如現れたのが俺という存在だ。
使用されず、ただ漫然と存在し続けて来たトイレ。命の無い無機物とはいえ、果たしてそれは報われていると言えるだろうか?
人に作られた物は人によって使われ続ける事こそが至上の喜びなんじゃないだろうか。
そう考えるのは、果たして俺が万物の霊長の一員であるが故の驕りか、それとも……
――結局時間稼ぎをしている!
俺は自分自身にそんなツッコミを入れた。
♦ ♦ ♦
トイレを出ると、赤坂が廊下の壁に背中をもたれながら待っていた。
「ダメだった」
赤坂はいじっていたスマートフォンをしまい込む。何言ってんだ、コイツという冷たい表情。
「何それ」
「大体この状況で出るわけないだろ。出たい時に出る身体なら苦労してないんだよ」
いつも自分の意思とは関係なく突発的に腹痛を催す。
俺のとても繊細な身体の仕組みを知らない赤坂は露骨に顔をしかめた。
「やだ、便秘……?」
「違うって言ってるだろっ! 引いた顔すんなっ」
泣き出しそうな声で俺は訴えた。
「じゃあお腹の環境から先に整えたら」
赤坂は制服の上着のポケットから何かを取り出す。
「はいこれ」
渡されたのはべっこう色の小瓶。中には白い錠剤が幾つも詰められている。
「これ、くれるのか?」
「整腸剤よ。昨日ドラッグストアで買ったの」
二人きりの旧校舎。
女子からプレゼントを貰う、何ともロマンティックなこの構図。
青春っぽくてセンチメンタルな状況じゃないか――目の前にあるのが整腸剤でさえなければ。
「これでもう昼休み出くわす事もないよね? ふざけた体質を改善してもらわないとこっちとしても困る――だからあげる」
素っ気なく言った後で、はっとしたように顔を赤くした。
「あ、一之瀬。今ので変に勘違いした? 違うからね?」
何故ここでデレる。今までの攻撃性が嘘みたいだ。
「何でそうなるんだよ! これただの整腸剤だろっ!」
素っ頓狂に叫んだ木霊が旧校舎内に虚しく響いた。
「まあ、礼は言うよ。ありがとう」
俺は気を取り直しつつもらった小瓶のラベルを一瞥する。
「でも、まあ――下痢用の薬なら、いつも持ち歩いてるんだよね」
そして、反対側のポケットから同じようなべっこう色の小瓶を取り出した。
そのてっぺんにはオレンジのキャップが締められ、ラッパのマークが刻印されている。
なんてことはない、ただの下痢止めだ。
「これ、本当に効くんだ。いつも携帯している」
「それ滅茶苦茶くさいやつじゃんっ!」
しかし、国民的下痢止め薬を見た瞬間、赤坂は血相を変えて後ずさった。
「ありがとな、赤坂。女子からもらった、初めてのプレゼントだよ」
「~~~ッ!?」
そんな風に頭を下げた途端、かあと赤面する赤坂。
「どうでもいいから早くそれ片付けて。私にまで匂いが移ったら余計怪しまれるし!」
照れ隠しなのか本当に嫌なのか。まあ、本当に嫌な方か。
愚痴りながら階段を下りていく赤坂。
その背中を見送ったタイミングでチャイムが鳴った。




