5話 彼女の意外な一面
「一之瀬、あんたって最低だね」
北畠邸に上がってすぐ、赤坂は俺を睨みつけながら言った。
「まさか、人ん家のトイレ使うためだけに学校を抜け出していたなんて」
美祈さんから真実を聞かされた時の赤坂の呆気にとられた顔。
しかし、その後憤りが増したのか、美祈さんを目の前に赤坂の勢いは収まる事を知らない。
「私は別にいいのよー。さあ食べて」
美祈さんはのほほんとしたもので、ダイニングからケーキの乗ったトレーを運んできた。
今、俺と赤坂はリビングのテーブルに座らされている。
「ありがとうございます」
赤坂は礼儀正しく頭を下げると美祈さんからショートケーキの皿を受け取った。
「ところで、二人は付き合ってるの? お姉さんに教えて」
言った瞬間赤坂が皿を落としそうになる。
「そんなんじゃないですっ」
真っ向から否定された。事実なんだけどこうも拒否反応を起こされると普通に落ち込む。
一方の美祈さんはいつものペース。
「え~? 付き合ってないの? そっちの方が面白かったのに」
そんな風に天然色全開で笑う。完全にペースを乱され赤坂がちょっと焦っているのが可愛い。
教室ではいつもすごいしっかりしてるイメージだった。主にプリント渡すときとかすごい真面目な顔をしてしっかり渡してくるからな。
こういう一面があるのは意外だ。というか俺、赤坂がプリント渡すときくらいしか知らないんだな。
「ところで、一之瀬君は毎回ここの家のトイレ借りてるんですか?」
「夏生ったらほんと小さな頃から、すぐお腹痛くなっちゃうの。それで、私の家がすぐ近にある冬青を受験したんだよね」
「……」
美祈さんがにこっと微笑みながら俺の頭を撫でてくる。
「ねっ」
ねっ、て言われても。
現に赤坂も反応に困っている。
「ここの家なら学校の目と鼻の先じゃない? お腹が痛くなったらここで用を足せるって、喜んでたのよねー?」
また同意を求められたが俺は紅茶を飲んでスルーする。
俺の秘密を容赦なく打ち明けていく美祈さんの言葉の数々。しかし赤坂は事態も飲み込めきれていないのか、ケーキのカケラをフォークに載せたまま、小さな口をポカンとさせている。
「しっかし、学校でウンコしたくないからって志望校のランク上げてさ。挙句合格までしちゃうなんてねえ! まさに火事場のクソ力ってやつだよね? ね?」
ね? じゃねーよ。俺は何も言えず黙々とケーキを口に運んだ。
「馬鹿じゃないの」
赤坂がぼそっときつい一言を漏らす。
美祈さんはますます楽しそうに手を振りながら続けた。
「大丈夫大丈夫。学生時代の悩みって案外大した事ないものだし? 大人になって振り返れば笑い話で済ませるようになるって、きっと!」
美祈さんは言いながら俺の背中を何度も叩いた。
♦ ♦ ♦
黄昏時の大通りを俺達は歩いていた。
赤坂と横並びに一定の距離を保ったまま、会話も無く気まずい雰囲気だった。
知らんぷりを決め込んで別れて帰る事もできる。だけど、俺は何となく自分から離れる事が出来ないでいたのだ。
ふと、足音が止まる。
「私、バス待つから」
そういって停留所の時刻表を見る赤坂。相変わらず、俺の方には顔も向けない。
「赤坂ってどこから通ってるの?」
「鷹越」
「山の方か。結構遠いんだな」
「うん。だからバス通学。てか最初のHRで鷹越中出身って自己紹介したよ? 聞いてなかったの?」
「初日の自己紹介はずっと自分が何言うか考えてて聞いてなかった」
「ほんと、一之瀬ってメンタル弱すぎない?」
苦笑いしながら赤坂が俺を見る。俺はその視線をそっと逸らした。
「仕方ないだろ」
初対面同士の人間が詰め込まれた入学直後の教室は異様に殺気立っていた。
その空気のせいか、授業初日の俺は常に緊張の連続だった。
自分がどんな自己紹介したかなんて殆ど覚えてない。
「ま、一之瀬の自己紹介ちょっと笑えた」
「お前覚えてるのかよ」
記憶力がいいやつだ。
「めっちゃ緊張してますって感じだったもん。割とみんな暖かい眼差しで見てたよ。てか一之瀬の自己紹介のおかげで空気解れた」
「そうだったの!?」
余計恥ずかしい気分だった。それはつまり俺の自己紹介がワーストすぎて、多少下手にやっても大丈夫だろうという安心感を皆に与えたという事か。
なんという自己犠牲……
「そんなだからお腹もすぐ痛くなるんじゃない?」
「そうかもな」
聞いていた赤坂は腕を組む。そして、何か一つ決心したように頷いた。
「何とかしないといけないわね」
「は?」
俺が分からないでいると、赤坂はますます不機嫌そうに顔をしかめる。
「だって、そうじゃん。一之瀬が昼休みに抜け出したりする度に出くわすんだもん。私、あのパン屋のパンは絶対マストだし。そもそもなんで昼の行動を一之瀬のせいで変えないといけないの?」
「変えなくていいんじゃね」
もう秘密は赤坂にバレている。俺はもう吹っ切れたのでこの際赤坂にどう思われようが関係なかった。
しかし、赤坂の方はそういうわけにはいかないらしい。
眉をキッと寄せ、不満そうな顔だ。
「これじゃいつまでもカップル扱いされるじゃない。変な噂も消えないし」
「女子の間でそんな噂流れてんの?」
「うん。だから一之瀬が昼休みに学校抜け出さなくてもいいようにしないといけないの」
世話好きだなあと思ったのは俺の間違いだった。
単に赤坂はありもしない噂に困っているだけだ。親切心で俺を助けたいという訳じゃない。
だから、俺の問題を解決したいのだという。
「つーかトイレなんていつでも行けばいいのに」
ぽつりと呟く赤坂。呆れきってるんだろう。
「そう言われても、駄目なんだよ――」
「は?」
「女子は知らないかもしれないけど。男子トイレって個室に入るイコール、ウン〇なんだよ。小学校のときとか個室入るだけでからかわれるし。そういう経験がトラウマになってんだ」
中学ならば、流石にそんな阿呆な事をする輩もいなくなるだろう。そう思っていたのだが新たな問題が浮上した。中学デビューした不良だ。
事あるごとにトイレに集まる困った習性のせいで俺は堂々と肩を切って個室トイレに入る気になれなかった。
「中学一年の頃の話だ。腹痛に襲われた俺はトイレに向かったんだ」
「いきなり語り出した……」
少し引いている赤坂にお構いなしに続けた。
「中学の授業の時間ってひたすら静かだろ? あの空間いるとお腹痛くなるんだよ。んで、俺は授業中に先生に行って教室から抜けてトイレに行った。授業中なら他に誰もいないし悠々と個室トイレに入れるからな」
そう思っていたのだが……
『よう、一之瀬。お前も次の授業はサボリか?』
「トイレに入った俺を迎えたのは学年屈指の不良グループだったんだよ」
まさかウンコしに来たと言えるわけもない。
「何故か俺はあいつらと一緒に授業サボって話し相手させられたんだよ」
「トイレは? どうしたの?」
「小だけ済ませて教室に戻ったよ。長すぎだって滅茶苦茶怒られたよ。サボったんだろって」
「なにそれ……」
赤坂は呆れを通り越して憐憫の表情を浮かべていた。話している内容はともかく、春の夕日が彼女をエモく照らしている。
「――だから、俺は誓ったんだ。学校でだけは絶対に〇ンコをしないってな!」
赤坂は何も言わないまま。軽くドン引きした眼でこちらを見ていた。
「トイレの事になるとよく喋る」
「うっ」
ようやく口を開いた赤坂は俺を一蹴する。
「あのさ。高校生にもなって『ウン〇できなくて授業サボって結果単位落とした』なんて事になったらどうすんの? アホでしょ」
俺の心はもう九回表に駄目押しを喰らい、スタミナゼロのピッチャー並みにボロボロだった。
「ちょっと、聞いてる?」
いつの間にか赤坂の顔がすぐ近くにあった。
赤坂の猫みたいに丸い瞳は、じっと俺を凝視している。
「このままじゃ私が困るから――だから、協力してあげる」
「協力? 赤坂が?」
赤坂は自信たっぷりの顔で強く頷いた。
「一之瀬の体質改善が私の学校生活の安寧に繋がる。なら、やるしかないじゃん」
私に任せなさい、赤坂ははりきったように付け加えた。
「あ、来たっ」
丁度、その瞬間、通りの向こうからバスがやってくるのが見えた。
赤坂は運転手に向けて小さく手を掲げ、もう一度こちらを振り返る。
「だから感謝してよ? ウン〇マン」
赤坂はそれだけ言うと、バスのステップを上がっていく。
小気味よく鳴る靴音、俺は呆然と立ち尽くすまま。
暫くの間、開きっぱなしだったドアは閉まり、バスは発進していった。
――赤坂が協力してくれるだって?
内心で不安しかない。
だって、この腹痛はこれまでずっとどうにもできなかった最大級の悩みなのだから。
「それにしたって、ウン〇マンって呼び名は無いよな……」
言いながら俺は星の出始めた夕空を見上げた。
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