31話 意外な接点
五月も終わりに近づいてきた。
ひんやり過ごしやすかった教室棟の廊下も今では汗ばむくらいだ。
夏服への衣替えの時期も近い。それに合わせるようにクラス内の人間模様もアップデートされていくんだろうな。
だけど、俺はそんな季節の移り変わりを楽観的に捉えられないでいる。
「ねえ、赤坂さん。ここ聞いていい? さっきの数学の小テストなんだけど……」
一人読書する赤坂におとなしそうな女子生徒が話しかける。
前の席の頃、赤坂とよく話していた北見さんだ。
「千冬ちゃん、どうしたの?」
赤坂は微笑で返すが、どこか他人行儀の振る舞いに見える。
いつもよく話していた相手なのに生じている違和感を感じたのか、北見さんも少し気まずそうだ。
二人の間にトラブルなんてない。だけど、赤坂の以前とは違う妙な距離感が仲良しだった二人のやり取りをちぐはぐなものにさせている。
「確かに前と雰囲気変わった気はするけどさ」
諫矢はそんな教室のやり取りを見ながら呟く。
今、俺達は教室外の廊下から赤坂達のやり取りを窺っていた。
「もうだいぶ話してない」
「赤坂さんと?」
いつもの軽薄さが諫矢から消える。
「まじかよ」
北見さんが去った後も赤坂は一人読書を続けている。
無意識に気を張ってるような頑なさが全身から出ている。
「どうしてああなったんだ?」
「心当たりはあるけど……それにしたって分からない」
諫矢の問いに正直に答える。
「なんでなんだろうな……赤坂があそこまで壁を作る理由が分からない」
俺の一言にそんなに嫌気がさしたんだろうか?
だったら俺に言えばいいじゃないか。
しかし、赤坂は何も言ってこなかった。そして彼女がこうなってしまった理由に対して見当もつかないので、俺の方からも何も聞けずにいた。
「あんなにいつも気が合ってたのに?」
「気が合ってたように見えてたのかよ……」
諫矢のペースだった。暗かった俺の気持ちを幾分か飛ばしながら諫矢は小さく頷く。
「なんつーか、夏生と赤坂さんっていつもお互い本音ぶちまけてなかった? なんか、俺的には『いいね』って思ってたんだよね」
遠い目をしながら諫矢が柔和な笑みを浮かべていた。
「そんな風に見てたのか……」
「そうそう。例えば俺なんかは空気読んで会話するじゃん? 向こうも読んでくれるからお互いいい感じになれる。愛理とか山吹とか」
「なんだよそれ、女子ばっかじゃないか」
西崎は含まないんだろうか、ちょっと不憫になる。
「まあ、須山は別だけどな~。あいつはもう本能と本音剥き出しで生きてる人間だよ。だからあいつとは本音で話せるかな」
「わかる」
俺が笑いをこらえながら合わせると諫矢はじっと俺を見た。
「お前もだよ、夏生」
「え」
「お前もいつも腹割って話せる。だから、赤坂さんもそういう夏生には素で接してたんじゃねえの」
「そうなのかな、あいつの素はきつすぎるけどな」
「だよなあ!」
そう言って諫矢は高らかに笑った。ドアで隔てられているとはいえ、少し離れた所に赤坂がいるのだから少し配慮してほしいものだ。
「つーか、諫矢から見たら俺達ってそんな風に見えてたんだな」
「付き合ってるんじゃね? とかいうやつもいたけどさ。あれは邪推だね。そんなんじゃないだろお前ら」
そう言ってびしっと俺を指す。いつものいじりかと思いきや割と核心をついている。
やっぱりこいつはよくわかってる。
それと同時に確認したくもなった。
「じゃあ一応聞くけど、どう見えるんだよ?」
「何かいい意味でガキだよなお前ら」
「は?」
「小学生の喧嘩したりたまに意気投合してる仲良さげな男子と女子みたいな?」
「例え方がわからなすぎる」
とにかく恋愛関係にある高校生に見えていないのは確かだろう。
「諫矢が言いたい事は何となく分かったよ」
でも、それを聞いて俺は少し安心した。
そして、変な噂はこのまま収束してほしいものだ。
「女子連中の噂になるのかなあ。なっちゃんが振られて終わったってさ!」
「は!?」
壁から身体が自動的に跳ね上がる。
諫矢の『からかい成功!』みたいな笑顔が小憎らしい。
「どっちがガキなんだか……」
ふと、そこで少し離れた所からこちらに向かってくる人物が見えた。
そして、諫矢も察したようでこれまでのふざけた調子が消える。
近づいてきたのは女子生徒だった。それも同じクラスの。
「何してるの?」
短めに結った二つのテール。色素の薄い髪色は昼の日差しで桃色がかった艶めきを帯びていた。
そして、その色彩とよく似たペールピンクのカーディガンを羽織った彼女。
「渡瀬さんじゃん。どうしたの?」
諫矢が声のトーンを上げる。渡瀬奏音は俺の方もちらりと一瞥するとニコッと笑う。
「二人とも仲いいなって」
きゅっとできるえくぼ。どこか人懐っこい声音で渡瀬さんは俺達を見上げる。
小柄なので近くにいるのに須山みたいな威圧感もない。
しかし、やっぱりじっと見つめられ続けるのはちょっと恥ずかしい。
「仲いいのか? 俺らって」
「なっちゃんひでえ!」
俺が聞くと、困ったような顔で諫矢がのけぞり気味になる。
それを見て渡瀬さんは今度こそ可笑しそうに笑いだした。
「なっちゃんって呼ばれてるんだ? 一之瀬君」
「あんまり呼ばれたくないけどね」
「そうなんだ、なっちゃん♪」
なんだろう。この前のバスのやり取りがあったからだろうか、渡瀬さんはすごい気さくに話しかけてくる。
少し目が合って軽い会釈しただけだったのに。
そして、俺も緊張せず自然と返せているのが不思議だった。
「なになに、渡瀬さんが夏生と話してるのって何か新鮮だな」
そんな様子を見ていた諫矢はいじってくる。
「確かに渡瀬さんとあんまり話す事ってなかったかも」
「そう? 入学式の時に話さなかったっけ?」
渡瀬さんはあの校舎裏の事は触れず、更にもっと昔の話を言う。
「入学式?」
あまりに前過ぎて心当たりがなかった。あの時は初めてだらけで思考が常に焦りと緊張で覆いつくされていた。
しかし、渡瀬さんは覚えているようで、
「あー忘れちゃったんだ」
そう言ってわざとらしく眉根を下げて見せたのも束の間、
「ま、いいや。ところで、なに話してたの?」
その表情もすぐに元に戻る。
「切り替え早っ」
「えー、だって気になるもん」
その様子に諫矢も苦笑いする。
渡瀬さんは特に誰かといつも一緒にいたりグループに属している感じでもない。でも、こんな風にいろんな相手と話している時は楽しげだ。
そのペースに乗せられたのか、話しかけられても不思議といつもみたいに身構える感じじゃなくなっていた。
「赤坂、最近変わったなあって」
「えっ」
俺が言うと、一瞬場の空気が止まった。
これまでの和やかで冗談を言い合っていた雰囲気は一変してしまう。
「おい夏生。渡瀬さんにそれ言っちゃうのかよ?」
「ごめん。いきなり変な事言った……」
いくらなんでもさっきのやり取りで浮かれ過ぎたのかもしれない。
反省気味に謝ると、しかし渡瀬さんは教室をじっと見ていた。
「環季ちゃん……」
その視線、赤坂は相変わらず話しかけんなオーラ全開で読書をしていた。
「うん。確かに最近少し変わったよね」
渡瀬さんが俺を見上げ、ぽつりと呟く。
「――でも、中学もああいう感じだったよ?」
「え? 」
「うんうん」
そう言って、渡瀬さんは人好きのする笑顔で見上げてきた。
「……ていうか、中学って言ったのか?」
渡瀬さんの言っている事を上手く理解できない。
何故、彼女が赤坂の事を知っている風に言うんだろう――そこまで巡らせようやく理解する。
「私、環季ちゃんと同じ中学だったので!」
どこか誇らしげ。言ってのける渡瀬さんの目はキラキラ輝いていた。
♦ ♦ ♦
廊下の窓から見える昼休みの景色。
中庭でランチを楽しむ生徒達の黄色い声はここまで反響してくる。
「渡瀬さんって赤坂と同じ中学だったの?」
「うん」
きゅっと笑みを作りながら強く頷く渡瀬さん。
「一応、中学の途中までだけどね? 私、同じ市内の別のとこに引っ越して」
手を後ろに回しながら、ちょうど諫矢と俺の間に割り込むように進む。
そして、つま先立ち気味になって中庭を見下ろした。
「まさか高校で再会するとは思ってなかったなあ」
「そうだったんだ……」
楽しそうに語るその横顔を見ながら、複雑な気分だった。
こうやって話してくれるけれど、渡瀬さんと俺は一度校舎裏でのやり取りがある。
靴箱に入れられた手紙で呼び出され、告白される一歩手前まで行った相手なのだ。
あの時は最後まで聞くことができなかった。あの場から逃げ出してそれ以降フォローの一つも無かったそんな俺を彼女はどう思っているんだろうか。
ずっと赤坂の事に気を取られていて記憶の隅に追いやっていたこの疑問が沸々と起こる。
「環季ちゃん、一之瀬君と仲いいんだよね?」
そう言ってこちらを向いて微笑みかけられる。
その表情を見ていると何と返せばいいか分からない。
腹痛に襲われてあの場から逃げ出した後は、一切あの出来事は触れられず、俺の方も今こうやって話すまで渡瀬さんと関わることは無かった。
ここで対峙して話をしている事自体が黒歴史をほじくり返すようなものだ。
「奏音ちゃんから見て、赤坂さんってどうだったの?」
「わあ。名前呼び嬉しいな」
諫矢がそんな事を尋ねると、渡瀬さんが露骨にテンション高めに喜ぶ。
その反応に俺はなぜか胸の奥がざわついた。
なんだろう。
半月前に俺を校舎裏に呼び出した時の彼女とはまるで別人みたいだ。
もしも、あの時――最後まで話を聞いていたら。俺が逃げ出さなかったら。
何か変わっていたんだろうか。
心にそんな引っ掛かりを覚えた。
「えっと、環季ちゃんはですね」
渡瀬さんは少し考えながら、いつもの柔らかな笑顔で話し始めた。
「私がいた鷹越中ってちっちゃい学校だったから人も少なくて。だから結構みんな仲良し同士みたいなとこがあったんだよね。その中で環季ちゃんはいつもみんなのリーダーって感じでした」
「へえ」
諫矢が軽く口笛を吹く。
「なんかイメージ通りだな」
「ええ」
にこりと頬を緩ませる渡瀬さん。
赤坂はあの性格だから皆に頼られても全力で応えたんだろうな。想像していたら俺も次第に心が穏やかになっていく。
「赤坂って運動部もやってたの? ソフトしてたとか聞いたんだけど」
「一之瀬君知ってるんだ。そうそう、ソフト部キャプテンだったの」
嬉しそうに渡瀬さんが頷く。以前聞いた話は本当だったらしい。
「私は二年の最後まで入れなかったけど生徒会にも入ってたよ。確か会長やるとか聞いて、そのタイミングで私の方が転校しちゃったんだよね」
「マジか!」
それを聞いて俺と諫矢は同時に驚きの反応。渡瀬さんが面白可笑しそうに肩を竦める。
「皆頼っちゃうんだよね。だから、なのかな――」
少しだけ渡瀬さんが沈んだ顔をして窓を見る。
「妬む人とかも多くて、そういうのめんどくさいって私に言ってた……」
「そっか」
まあ、そうなるよな。いくら小さいコミュニティだって皆がその人を好きだとは限らない。
「まあ、でも環季ちゃんは仮面使い分けるの上手いから、その辺は――ね?」
そう言って目配せして見せた。
「風晴~!」
不意に廊下の遠くから諫矢を呼ぶ声。
「うわ、このタイミングかよあいつら」
それまで窓辺に背を預け、話を聞いていた諫矢がめんどくさそうに身を起こす。
呼んでいるのは工藤舞人やバスケ部の男子生徒。いつものメンバーだ。
「悪い、ちょっと行ってくるわ」
そう言って俺達に別れを告げ諫矢は向かっていった。おおかた昼食後の暇つぶしに体育館辺りにでも行くんだろう。
「ありがと渡瀬さん」
そろそろ俺もパンを食べにどこか一人になれる場所に消えるか。
そう思って渡瀬さんから離れようとしたのだが、
「あの」
渡瀬さんは詰め寄るように俺を見た。
どこか畏まった口調。
「放課後なんですけど、もう少しだけ話をしませんか?」
それはあの時校舎裏で見た時のような、とても真剣な表情だった。




