32話 友だち
放課後が来るまで俺はずっとそわそわしていた。
渡瀬さんと二人きりという状況はどうしてもあの時の校舎裏を連想してしまうからだ。
HRを終え、皆が帰る中俺は落ち着かない時間を過ごす。
諫矢たちグループが帰り、残った生徒もまばらになり、ようやく渡瀬さんは教室に戻ってきた。
「行こっか」
まだ残っていた生徒は俺達を見て不思議に、或いは好奇な目を向けたかもしれない。
でも、そんなものを気にする余裕は俺には無かった。
「人、あんまりいないところがいいかな」
渡瀬さんが先導気味に歩く。
まだ夕暮れには早い放課後の廊下は、少しずつ開けられた窓を通る度熱のこもった風が吹いてくる。
教室棟を通り過ぎ、渡り廊下にある自販機に差し掛かったところで渡瀬さんは振り返った。
「あの時はごめんね、一之瀬君」
「あの時?」
「ほら、手紙を入れて呼び出したじゃないですか」
すっとぼける俺の退路を塞ぐように渡瀬さんが少し前に出る。そしてこちらを見た。
「ほら、校舎裏の」
ああ、やっぱりその話か。
予想はしていたが、こうやって改めて彼女の口からその言葉を聞くと急速に現実感が帯びてくる。
今まで逃避していた思考がようやく追いつく。
「俺の方こそ、あの時はごめん……」
俺は頭を下げた。
きっと手紙で男子を呼び出すだけでも女子にとっては相当の勇気が要る。そして、そこに現れた相手に告白をすることも。
でも、俺は逃げ出した。彼女の言葉の続きすら聞かずに。
それはきっと、男子として恥ずべきで情けない事だ。
「俺、あの時はまだ心の準備とかそういうのできてなくて……気づけば逃げてたんだ」
「一之瀬君?」
顔を上げると渡瀬さんのまんまるの瞳がこちらを見ている。
息が詰まりそうになる。心臓もとくとくと早まっていくのが身体のうちから聞こえてくる。
どうかなりそうだ。
それでも必死に口を回そうと俺は軽く深呼吸した。
「渡瀬さんの事あまり知らなくて、友達からならいいかもしれない。けど、やっぱ俺誰が好きとかそういう段階じゃなくて――」
「一之瀬君? 何か勘違いしちゃってる?」
「へ?」
渡瀬さんは小顔をきゅっと傾けて、
「ごめん。一之瀬君を呼び出したのって告白とかじゃないんだよね。私の方こそ紛らわしい事しちゃったかも――ごめんなさい!」
そして何故か謝られた。ナニコレ告白失敗? 俺してないんだけど?
「こ、これは……」
「一之瀬君って風晴君と仲良いじゃないですか!? だから、いろいろ聞きたかったんです――風晴君に彼女とかいるのかな、とか?」
「それって、もしかして――」
身体中から力が抜ける気分だった。
「うん。実は私――」
「諫矢のこと好きなのか?」
「やぁ……分かってるならはっきり言わないでよ……」
なぜか俺と話してる時に見せたことのないほど顔が紅潮している。
何だこれ。
「そういう事」
わずかばかり期待した俺がバカみたいじゃないか。
この前の西崎と言い、二人きりの状況に持ち込んできた女子がみんな諫矢の事好きなの何なの?
俺の中に落胆とそれから黒歴史第二章が刻まれた瞬間だった。
しかし、そこから先は切り替えが早い。
俺はまだ赤面してもじもじしている渡瀬さんに問いかける。
「何で俺に?」
「えっ」
「そういう話なら諫矢と一緒にいる他の人に聞くとかでいいんじゃない? 竹浪さんとか、きっと誰にでも気さくに答えてくれるよ」
「ダメですって。女子同士なんて地雷じゃないですか。私多分あの人たちに嫌われてるし」
「え」
まずい方向にもっていってしまったようだ。
渡瀬さんは気前悪そうに指先をカーディガンの袖に隠しながら、
「私、女子の友達あんまりいないんだよね。その、嫌われるタイプっていうか」
「そ、そうなんだ」
よく考えたら確かに迂闊だった。
男子の俺からも渡瀬さんの言いたいことはわかる。
結構あざとい性格だし、実際俺が勘違いしちゃったし。
「それで俺? 須山とか甲野みたいな諫矢といつもいる奴らの方が詳しいと思うけど。俺、恋愛とか誰が誰と付き合ってるとかそっち方面全然だし」
陽キャ同士の事情は陽キャが詳しい。それを言ったのだが、渡瀬さんは俺を真剣に見つめ続ける。
「一之瀬君ならいいかなって思ったんです」
「え?」
「いや、そういう意味じゃないですよ? 勘違いしないでね」
「もうそれはさっき思い知ったから大丈夫だよ」
答えると渡瀬さんが笑う。俺ももう自虐で笑うしかない。
「一之瀬君って、なんというか……正直に答えてくれそうで」
「そう見えるの?」
そりゃ、馬鹿とかお人好しとか言われることはあったけど……
「ほら一之瀬君。入学式の時の事覚えてる?」
昼休みに言っていた話だろうか。
渡瀬さんは食い気味に迫る。
「ごめん、ほんとに覚えてないんだ。何かあったっけ?」
「まじですか……」
渡瀬さんが少し寂しそうに拗ねる。なにこれ可愛い――そういうとこだぞ。危うくまた勘違いしそうになっちゃうじゃないか。
そんな俺の視線に気づいたのか、渡瀬さんは気を取り直したように咳払いした。
「入学式の時、ここの自販機で飲み物買ったの。その時に財布落としたの。一之瀬君は後ろにいて拾ってくれたよね?」
「そうだっけ?」
「うん。私覚えてるもん」
強い口調で渡瀬さんが頷く。彼女がそこまで言うならほんとの事なんだろう。
俺は必死に記憶を辿る。
「言われてみたらそういう事もあった気がするけど」
だが、確証はない。似たような事は他にもあったからそれが渡瀬さんだったかはあまり覚えていなかった。
そもそも入学式はいろいろありすぎたからな。
「完全に私気づいてなかった。でも、一之瀬君は拾って渡してくれたの」
そう言って懐かしそうに胸に手を当てる。
「俺、結構おどおどしてなかった?」
「うん。いきなり話しかけられたから私もちょっとびっくりしたかも。そう考えたらお互い様だね」
そう言ってにこっと笑う。何となくだけどかなりキョドってたんだろうな。俺が女子に自分から話しかけることないもんな。
渡瀬さんのこちらを最大限気遣う優しい笑顔がそれを物語っている。
「とにかく、そういう事があって。この人は優しいんだって思ったの。ほら男子ってたまに結構グイグイ来る人もいるじゃない? 一之瀬君はそういう感じじゃないよね」
「うん。それは俺も知ってる」
だけど、そんな出来事で渡瀬さんが俺の事を覚えていてくれていたなんて。
人間ってどこでどう見られてるかわかんないもんだな。
「さっき言ってた諫矢の話だけど」
「?」
「彼女いるかって話。いたとしてもあいつは俺に言わないと思う」
渡瀬さんの表情が少し陰る。ここまで来て答えが曖昧なんだから仕方ないよな。
「でも、いつも一緒の男子がいるじゃないか。あいつらなら諫矢といる時間も長いし知ってそうだと思う」
「須山君とか甲野君? いやだ~」
渡瀬さんが露骨に顔をしかめた。
「だってあの人たち怖いじゃないですか。身体も大きいし」
そんな風に言うけれど諫矢も同じくらいの長身なんだけどな。
内心で俺はそんなツッコミを入れた。
「じゃあ、また何か分かったら教えてくださいね。今日はありがとう」
そう言って渡瀬さんは戻ろうとした。ここまで引っ張ってきたあの告白まがいの出来事のもやもやがようやく晴れた。
これでもう渡瀬さんとの問題も決着――
「あ、待って」
しかし、俺は渡瀬さんを呼び止めていた。
「どうしたの?」
くるりと振り返りながら渡瀬さんはきょとんとしていた。
「赤坂の話。さっきも途中で終わったけど同じ中学にいたんだよね?」
「そうですけど……」
何故急に赤坂?そんな疑問が見て取れる。
「もしかして、一之瀬君は環季ちゃんの事好きなの?」
う、はっきり聞いてきやがる。男子の俺が赤坂の事を聞く以上、こういう問題は発生する。
誰もいない渡り廊下の真ん中で、俺は天井を見上げた。
「どうだろう」
そんな声が自然と出た。
もう一度見ると、渡瀬さんは少し苦い表情をしていた。
「どうだろうって……わかんないんですか」
どうしよう軽く引かれてるみたいだ。
確かにここははっきり『はい』か『いいえ』で答えるべきだよな。
「はっきり言って分かんないんだ。じゃあ聞くけど、渡瀬さんから見たら俺と赤坂ってどんな風に見える?」
「へっ!?」
渡瀬さんはうーんと少しだけ逡巡しながら、人差し指をぴっと立ててきゅっと笑みを作る。
「仲いいですよね? 環季ちゃんはクールだけど、一之瀬君には気を許してると思うし。炊事遠足の時とかみてたし」
「うわマジか」
結構見られてるもんだな。
「男女の友情って言うのかな? そんな感じ?」
そう言い切って渡瀬さんは俺の返答を待つように笑みを作る。
奇しくもそれは諫矢と全く同じ感想だった。
なんだよ、男女の友情ってそんなの漫画かラノベのだけだろ……そう思っていたのでますます分からなくなった。
「一之瀬君はどうしたいんですか?」
「えっ」
気づけば渡瀬さんの真剣な顔がすぐ近くにあった。
「どうなりたいんですか? 環季ちゃんと!」
ぎゅっと両手をグーにしながら俺を食い気味に見ている。
輝き始めた夕方の日差しに照らされた瞳に俺は言い返す。
「赤坂、最近ずっと辛そうに見えるから」
「え……?」
「俺はそれを何とかしたいのかもしれない」
そう言って、窓の先の夕空を見上げた。
今までの事がいろいろと脳裏によぎる。
俺に呆れながらも面倒見てくれたり、たまにバカやったり――それが本来の赤坂なのではないか。そう思えてしまうのだ。
「なんで皆と距離取るんだろう」
その姿を見れなくなったのが心を辛くさせているのだ。
「環季ちゃんがああなったの多分、私なんです」
沈黙を割るように突然渡瀬さんがそんな事を口にした。
「環季ちゃん、本当は優しいし皆を助けてくれるいい人なんです。」
おそるおそる見ると、渡瀬さんは俯いたまま短いテールを触っている。
「私、環季ちゃんに助けられたから」
「――中学で?」
こくんと頷く渡瀬さん。その瞳が潤むように揺れている。
「その頃の私、女子から嫌われてて少し浮いてたんです。人数少ないのに周りはみんな仲良し同士。でも独りぼっちでした」
「きっついな」
ただでさえ人の少ない中学だと聞いた。周囲がそんな感じになってしまうのは皆敵になってしまったように錯覚してしまうかもしれない。
「でも、そんな私を環季ちゃんは仲間の輪に入れてくれた」
渡瀬さんはしかし、その過去を辛そうには語らない。その目は前を見ていてどこか懐かしそうに緩んでいる。
「ある女子に調子乗ってるって言われたけど、環季ちゃんはその人に『くだらない事言うな』って庇ってくれたんです」
「強いな赤坂」
俺に詰め寄った時みたいな感じだったんだろうか。その光景が容易に想像できてくすっと笑ってしまう。
渡瀬さんも思い出しているんだろう。すこしだけ楽しげに頬をかく。
「でも、環季ちゃんって言い方ストレートすぎるじゃないですか……今度は環季ちゃんも陰口言われるようになっちゃって。それで嫌になったのかも」
「その後は?」
「……私、その直後に引っ越すことになって」
申し訳なさそうに渡瀬さんが俺を上目で見る。
「それはタイミングが悪いな……」
「でしょ?」
きっと、その後の赤坂は一人で過ごしたんだろうか。俺はそんな想像をした。
もちろん全員から嫌われたとかではないとは思うけど、誰かに敵意を持たれながら過ごすって、そんなのは俺は耐えられない。
「ねえ一之瀬君、環季ちゃんって私の事どう思ってるんだろう」
「え?」
突然問いかけられる渡瀬さんの言葉に俺は答えることが出来なかった。
「私も環季ちゃんとお話もっとしたい。それでまたお友達になりたい」
渡瀬さんは悲痛な面持ちで言った。それはきっと彼女の本心だ。
「でも、怖いです。環季ちゃんの頑なさが私にはどうしても」
ああ、そういう事か。
教室で赤坂を見て心を痛めているのは俺だけじゃなかったんだ。
「ありがとう渡瀬さん」
「え」
まだ何か言おうとしていた渡瀬さんを止めるように俺は前に出た。
「俺があいつを何とかする」
「一之瀬君……」
「あいつ、俺と話した時は普通に面白いままだったよ。頭もよく回るし絶対クラスで上手くやっていけると思うよ」
もし、あいつがいろいろな理由で拗ねてしまっているのだとしたら、俺が意固地になったあいつを変えてやりたい。そう思った。
だって、俺自身が赤坂のおかげで変わることが出来たのだから。
今、俺がこの学校で上手くやっていけてるのは赤坂環季のおせっかいのおかげなのだ。
「もし、もしだよ? 赤坂がまた中学の頃みたいに戻ってくれたら――その時は渡瀬さんももう一度あいつの友達になってくれるか?」
「……はい!」
渡瀬さんは目をキラキラさせながら強く答えた。
その声が俺の覚悟を完全に決めさせた。
そして、次の日の昼休み――俺は行動に移したんだ。




