2話 教室のポジション
そわそわしながら自分のクラス、一年三組に戻った。
俺、一之瀬夏生は出席番号二番。対してすぐ前の席に座る出席番号一番が赤坂環季だ。
赤坂は学年でも結構可愛い方に入ると思う。
透き通るような色白の肌に薄桃のような血色の良い頬。睫毛も長くて目も大きくて何かキラキラしている。
だが、赤坂は集団で騒ぐタイプでは無い。おとなしい女子数人と談笑している程度であまりクラスで目立つ感じでもない。
入学当初はこんな可愛い女子の後ろになれるなんてと思ったけど、残念ながら俺と赤坂の間にプリントの受け渡しをする以外の接点は無かった。
「環季ちゃん。どっか行ってたの?」
「大通りのパン屋にね。コンビニのやつと全然違うんだよね」
「すごいね、学校抜け出すなんて私には勇気ないよ」
くすくすと隣の席の眼鏡女子が微笑んでいる。
そんな女子同士の楽しそうな会話に耳を立てつつ俺は自分の席に座った。
赤坂は半身だけ後ろを向いていた。ちらりと俺を見た気がしたが多分気のせいだ。
「そうかな? 割とみんな出たりしてると思うけど」
ほんの少しだけ短いスカートから出した白い足を組み替えながら続ける。
「特に、アップルパイの甘みがすごいの。北見さんも今度食べてみなよ」
俺は机の上だけを見ながら、そんな女子たちの会話をじっと聞いていた。
五月の大型連休も終わり、そろそろクラス内の立ち位置も固まる辺りだ。
窓際では同じ部活同士繋がった男子たちが集い、後方の席では見るからに陽キャな数人が集まってグループで騒いでいる。
入学時は探り合いと緊張に包まれていた教室内もこうやってみるとだいぶ様変わりしたな。雪が解けて徐々に華が咲き始めるような、そんな温かな雰囲気。
しかし、教室内で新たな人間関係が出来上がっていく中、俺は未だに明確にどこかのグループに属している感じではなく浮いている。
「ところでさ、環季ちゃん。連休の課題なんだけど」
「わかんないとこあった? 数学なら教えるよ?」
「――うんっ!」
それを聞いた隣の眼鏡女子、北見さんは嬉しそうにノートを開いた。そして、椅子ごと赤坂へと身体を寄せる。
赤坂はおとなしい女子に頼られている。スカートも短めだし、見た目は結構陽キャ感あるけど、他の騒々しいタイプの女子とはあまり関わらない。多分、話しかけるハードルはそれなりに低いと思う。
だけど、俺は入学して一度も赤坂と会話をしたことが無い。
というか、女子と殆ど話したことないな俺。
――あああああああああああああ!
思い出したのは昼休みの校舎裏の出来事だった。
何で呼び出し喰らったんだろう。俺を呼び出した女子生徒の机の方を見てもまだ戻ってきている感じではなかった。
あの女子もまた話したことのない相手だった。そんな女子と付き合うチャンスだったかもしれないのに。
あそこで腹痛すら来なければなあ。
「はあ……」
そう言い聞かせていたら溜息が出てくる。
俺の人生はいつもこうだ。ここぞって時に日和ってしまう。逃げてしまう。
この冬青高校に入学したからには今度こそもっとましな学校生活を送ろうって決めたのに。
♦ ♦ ♦
「よう、一之瀬。元気ないぞ?」
机に突っ伏していたら突然明朗快活な男子の声が頭の上から聞こえてきた。
顔を上げると、身長180に届こうかという長身痩躯の男子生徒が立っていた。
日に当たると小麦の穂みたいに薄茶に透けるサラサラの髪。更に整った鼻梁と優しそうな垂れ気味の奥二重。
名前は風晴諌矢。悔しいけれど、男の俺から見てもイケメンだ。
「なんだ、諫矢か」
「がっかり肩落としてほんとどうした? そういう陰気臭い顔は話しかけづらくなるから止めたほういいぜ? あれ、じゃあ何で俺は話しかけてんのかな。あはは」
一人で調子良くほざきながら、諌矢はパック飲料から飛び出ていたストローを咥えてみせた。
コーヒー牛乳のこげ茶と白のパッケージ。乳飲料ですぐお腹が緩くなる俺への当てつけかな?
「昼休みにいろいろあったんだよ」
ぶっきらぼうに答えたせいか、付近の席の女子達がざわっと怖がる。
教室からやたらいなくなる諫矢くらいしか話しかけない浮いた奴。そう見られてるせいか、周囲のクラスメートには触れたらやばいやつと思われてるのかもしれない。
――本当はトイレに逃げてるだけなのにな!
「あー。はは、じゃあいつものアレか」
諌矢は後ろの席の女子にフォローの笑みを向ける。そして陽キャらしく声を張ってアハハと笑い声をあげた。
胡散臭いけど爽やかさも満点でイラっとする。
ちなみに諌矢はクラスで唯一俺の腹の悩みも知っている存在でもある。彼の巧みな話術によりうっかり漏らしてしまったのだ。
軽い見た目通り、恐ろしく口も軽いはずだ。
俺のトイレの悩みをうっかり漏らさないか、常に細心の注意を払っていた。
「なに、さっきの時間もトイ――」
だから、少しでもそういうワードが聞こえてくると俺は反応する。過剰に。
「トイプードルがどうかしたか!?」
諌矢の言いかけた『トイレ』に成り代わる言葉を咄嗟に浮かべてそのまま声をかぶせた。
「ト、トイプードル? 今、トイ――」
ほらな! 思った傍から口走りかけやがる。油断も隙もあったもんじゃない。
俺は諫矢の脛を思いきり蹴り上げた。
「いってえ!」
「トイプードル可愛いよな、分かる。でも生憎俺は猫派なんだ。諫矢の会話には合わせられない」
「わかった、わかったって」
話を逸らせという意味だけは伝わったらしい。諌矢は首を縦に振りまくる。
こいつはリア充だから恐ろしく空気が読める。物分かりが良くて本当に助かる。
「言わねえよ。つかマジで痛かったぞ」
諌矢は片膝をしばらく擦っていた。
俺がお腹が弱く、しかも個室トイレに入るのを躊躇している悩み。高一にもなってそんな事で悩んでいるのが他の連中にバレたらそれこそ格好のネタだ。絶対に誰にも知られてはならない。
だから、こうやって諌矢が言いかける度に『分からせ』ているのだが……
「ここじゃ言えないような、あの二人の秘密って何……?」
「やだ、久美子ちゃん。男子生徒が二人で共有する秘密なんて決まってるじゃない」
しかし、そんな俺の行動が周りには変な意味で勘違いされているらしい。
ひそひそ声で後ろの席の江崎さん達が何か良からぬ事を噂している。
「しっかし、何でこうも頑ななのかね……そんなに嫌なのか?」
「当たり前だ。何やっても許されるキャラの諌矢とは違うんだ」
諌矢ほどのポジションの陽キャなら学校で個室トイレに入るなんて苦も無いんだろう。
そう思って『どうやって学校で安全にウン〇をしているのか』聞いた事もあった。
そうしたら、『そもそも学校で腹なんて痛くならねえし』と返された。ふざけろよ。
腹も壊さないし胃腸薬やオレンジのラッパのマークのお薬とも無縁とのこと。そんな男に俺の悩みなんて理解できないだろう。
「あーあ。まだ痛え。そんなに必死になる事か? 別に大丈夫だし(個室に入っても)高校生でそんなこといちいち気にする事でも――」
「俺にとっては大問題なんだよ」
そんなやり取りをしていると後ろから女子達の会話が聞こえてきた。
「大問題? なんだろ?」
「他校と揉めたとか?」
絶対何か勘違いしてる会話だこれ。
そうやっていたらチャイムが鳴り、諫矢は後ろの席に戻っていった。
その背中を追っていたらすぐ後ろで俺達のやり取りを聞いていた江崎さんと目が合った。
「ご、ごめん! 何も見てないし聞いてないから!」
そういって江崎さんは広げた教科書に顔を隠す。
ただでさえ小柄でショートカットの彼女の輪郭がすっぽりと教科書に隠れて見えなくなった。




