恋愛小説に契約書を持ち込むな
前世の美幸は、恋愛小説を読むこと自体は嫌いではなかった。
むしろ、休日にコーヒーを飲みながら読む程度には楽しんでいた。
ただし、職場の先輩と一緒に読んでいた『君だけに捧ぐ王冠』だけは、どうにも理解できなかったのである。
***
伯爵家の一人娘であるヒルダ。
両親からの愛情を一身に受け、周囲からも愛される美貌の令嬢。
そんなヒルダは、ルクレティア王国の王太子エドワードと運命的な出会いをする。
容姿端麗、文武両道。
将来は名君になると期待されている王国の王太子である。
そして彼には、幼い頃から婚約者がいた。
ローゼンベルク公爵家の令嬢、レティシア。
王妃となるべく幼少期から教育を受け、王太子を支えてきた才女であり、社交界でも高い評価を得ている女性だった。
ところが、エドワードはヒルダと出会ったことで、初めて本当の恋を知る。
ヒルダの純粋さ、身分にとらわれない考え方、そして何より、自分を王太子ではなく一人の男性として見てくれる姿に惹かれていくのだ。
そして、エドワードは次第にレティシアを遠ざけるようになった。
***
「……先輩。」
「ん?」
「これ、王太子ですよね?」
「せやな。」
「婚約者がいますよね?」
「いるねぇ。」
「その婚約者、将来の王妃になるために教育を受けてきたんですよね?」
「そう書いてあるわね。」
「……なんで別の女の子と恋愛してるんですか?」
「………作者に聞いたら?」
美幸はスマートフォンをテーブルに置く。
「いや、待ってください。婚約って、王族と公爵家の契約ですよね?」
「恋愛小説に契約書を持ち込むな。」
「でも、婚約解消したら政治的な影響が出ますよね?
公爵家の面子もありますし、後継者問題にも関わりますし、そもそも王太子の一存でどうにかできる話じゃ……。」
「………佐藤ちゃん。」
先輩は静かにコーヒーを飲んだ。
「君、恋愛小説を読むのに向いてないんじゃない?」
「先輩も同じところでツッコんでるじゃないですか!!」
***
やがて、エドワードのヒルダへの寵愛は学園中の噂となった。
一方、レティシアは二人の仲を引き裂こうとする悪女として描かれ始める。
ヒルダを取り巻く令嬢たちは彼女に嫌がらせを行い、レティシアはその黒幕だと疑われるようになった。
しかし、レティシアは公爵令嬢としての誇りを失わず、毅然とした態度を崩さなかった。
それがかえって、エドワードには冷酷に映る。
そして、ついに卒業記念舞踏会の日。
エドワードは大勢の貴族たちを前に、レティシアとの婚約破棄を宣言する。
「レティシア・ローゼンベルク!
私は君との婚約を破棄する!」
会場は騒然となった。
「君はヒルダに嫉妬し、陰湿な嫌がらせを繰り返した。未来の王妃として相応しくない!」
レティシアは反論する。
しかし、エドワードは聞く耳を持たなかった。
そして、ヒルダを新たな婚約者として迎えることを宣言するのである。
***
「………先輩。」
「今度はどうした?」
「証拠は?」
「何の?」
「嫌がらせの証拠です。証言、記録、物証。最低でも裏付けは取ってますよね?」
「…………。」
「まさか、王太子殿下の個人的な感想だけで、公爵令嬢を公衆の面前で断罪したわけじゃないですよね?」
「佐藤ちゃん。」
「はい。」
「これ、恋愛小説や。」
「知ってます!!でも、王族がやっていいことと悪いことがあるでしょう!!」
先輩はスマートフォンをテーブルに置いた。
「ちなみに、佐藤ちゃんが王太子の側近だったらどうする?」
「まず殿下を別室に連れて行きます。」
「うん。」
「レティシア様と公爵家に正式な説明を求めます。」
「うん。」
「事実関係を調査して、証拠を確認します。」
「うん。」
「あと、舞踏会の招待客に何を説明するか、外務と財務にも相談します。
公爵家が王家から離れたら国政に影響が出るので。」
「……佐藤ちゃん。」
「はい。」
「君、もう小説の感想じゃなくて危機管理の会議してるで。」
「誰のせいですか!!」
***
婚約破棄の後、レティシアは公爵家からも見放され、社交界で孤立していく。
その一方で、ヒルダは王太子の愛を一身に受け、周囲から祝福される。
エドワードはヒルダを守るために様々な改革を進め、二人は数々の困難を乗り越えて、ついに結婚する。
そして物語は、二人が王国を導く幸福な未来を迎えたところで幕を閉じる。
――それが、恋愛部門年間ランキング1位に輝いた『君だけに捧ぐ王冠』のあらすじだった。
***
「…………先輩。」
「今度はなんやぁぁ!!」
「この国、よく滅びませんね。」
「そこ!?」
「いや、だって……。」
美幸は指を折る。
「王太子が婚約者との関係を勝手に壊す。
公爵家の面子を潰す。
公衆の面前で証拠もなく断罪する。
新しい婚約者を迎える。
しかも、その後に改革を進めるって……。」
「うん。」
「その改革、誰が予算を組んで、誰が実務を回して、誰が反対派を説得したんですか?」
「……恋愛小説にそこまで求めんのか?」
「財務官僚が過労死する未来しか見えないんですけど!!」
先輩はとうとう笑い出した。
「佐藤ちゃん!言いたいことは分かるけど!
君が読むと、どんな恋愛小説も行政監査報告書になるわ!」
「先輩だって、さっきから一緒にツッコんでるじゃないですか!!」
「そうやねぇ!」
先輩は一通り笑った後、息を吐く。
「私らみたいな女がこの手の恋愛小説読んだらあかんな。」
「ですね。」




