世界は、創造主の知らないところで勝手に幸せになる
ハワード伯爵領。
領地の中心に建つ伯爵邸は、朝から華やかな装飾に彩られていた。
今日は、ヒルダ・ハワードとジョン・アンリバッハの婚約式である。
久しぶりに帰省したヒルダを、母カミラは満面の笑みで迎えた。
「ヒルダ、本当に綺麗よ。」
「お母様……ありがとうございます。」
母の言葉に、ヒルダは少し頬を染めた。
クロードも、そんな娘の姿を見て目を細めている。
「ジョン卿も、今日は一段と立派だな。」
「ありがとうございます、ハワード伯爵。」
ジョンは礼儀正しく頭を下げた。
その体格は相変わらず逞しく、鍛え上げられた肩幅と背筋が、仕立ての良い礼服の上からでも分かる。
(……素晴らしい。)
ヒルダは、思わずうっとりとした。
(あの上腕二頭筋と大胸筋を、礼服越しに感じられるなんて……。)
「ヒルダ嬢?」
「はっ!いえ、何でもございません!」
ヒルダは慌てて姿勢を正した。
ジョンは不思議そうに首を傾げたものの、すぐに微笑んだ。
やがて、両家の親族や使用人たちが見守る中、二人は婚約の誓いを交わした。
ヒルダは、隣に立つジョンを見上げた。
彼は、彼女が大切にしているものを理解してくれる人だった。
領地のこと。領民のこと。熊の被害や堤防の維持管理。
そして、筋肉の素晴らしさ。
(……この方となら、きっと楽しく生きていける。)
ヒルダは、心から微笑んだ。
ジョンもまた、彼女の手を優しく握り返した。
こうして二人は、幸せな未来への第一歩を踏み出したのである。
なお、婚約式の翌日から、二人は領地の視察計画について話し合いを始めた。
クロードは、それを見て満足げに頷いた。
(本当に、良い相手を見つけてくれた。)
父親の安堵は、深かった。
***
そして、月日は流れ…………
王立学園の卒業式の日。
華やかな式典を終えたヒルダは、卒業生たちの集まる会場で、久しぶりに顔を合わせた友人たちと談笑していた。
美しく着飾った彼女の姿は、すっかり大人びていた。
「ヒルダ嬢、今日も一段と美しいですよ。」
ヒルダの卒業祝いに駆けつけてくれたジョンが、穏やかな笑みを浮かべて告げる。
「ありがとうございます。ジョン様も本日も凛々しいですわ。」
国境警備隊の正装に身を包むジョンに、ヒルダは思わず見惚れていた。
その時だった。
「ヒルダ嬢。」
聞き慣れた、凛とした声。
振り返ったヒルダは、思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、レティシア・ローゼンベルク公爵令嬢だった。
金色の髪を美しくまとめ、白を基調とした礼装を身に纏っている。
背筋はすらりと伸び、気品ある佇まいには、一切の隙がない。
その姿は、あまりにも美しかった。
(…………あかん。)
ヒルダの脳内で、壮大なファンファーレが鳴り響いた。
(リアルオスカル様や……。)
レティシアが微笑む。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ。」
ヒルダは、震える声で答えた。
「レティシア様が殿方でなくて、本当に良かったです。」
「……まあ?」
「今頃、絵画一枚で国中の女性たちが恋に落ちていたでしょう……。」
ヒルダは、感極まった表情で続けた。
「その凛々しいお姿。気高い眼差し。美しい金髪に、すらりとした立ち姿……。もし白い軍服などお召しになったら、もう……!」
(あかん、想像しただけで寿命が縮む。)
「……ヒルダ嬢。」
レティシアは、しばらく彼女を見つめていた。
そして、ふっと微笑んだ。
「もし、私が男なら……。」
レティシアはヒルダの手を取り、優雅に口元へ運んだ。
「今頃、貴女に金のリンゴを捧げておりましたのに。」
「…………。」
ヒルダの思考が停止した。
「………………。」
そして。
「はぁぁぁ〜…………。」
膝から力が抜けた。
「ヒルダ嬢!?」
近くにいたジョンが、慌てて彼女を支える。
「どうしたんですか!?気分でも悪いのですか!?」
「ジョン様……。」
ヒルダは、遠い目をしていた。
「私……今……人生で最高の台詞を聞いてしまいました……。」
「……台詞?」
「金のリンゴ……。金のリンゴですよ……?」
「…………?」
ジョンには、まったく意味が分からなかった。
レティシアはクスクスと楽しそうに笑っている。
「ふふっ。少々、からかいすぎてしまいましたかしら。」
「レティシア様……。」
ヒルダは、震える手を胸元に当てた。
「貴女という方は……本当に……。」
(女神様……。私、今まで領地経営を頑張ってきて、本当に良かったです……。
こんな素晴らしい供給が待っていたなんて……!)
その瞬間、ヒルダの目がきらりと輝いた。
「レティシア様!!」
「はい?」
「今後とも、末永くお付き合いくださいませ!!」
「ええ。もちろんですわ。」
レティシアは、優雅に微笑んだ。
その横で、ジョンは困惑していた。
「……ヒルダ嬢。私は?」
「もちろん、ジョン様も大切です!」
「……そうですか。」
ジョンは少しだけ安心したように頷いた。
「帰ったら、ダムの建設設計図をお見せします。」
「まあ!!ぜひ!!」
ヒルダは即座に復活した。
レティシアは、とうとう堪えきれずに笑い出した。
「本当に、ヒルダ嬢は面白い方ですわね。」
「……そうでしょうか?」
「ええ。とても。」
レティシアは、ヒルダの手を優しく握った。
「貴女が幸せそうで、私も嬉しいですわ。」
ヒルダは、今度こそ穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、レティシア様。」
彼女には、愛する婚約者がいる。
共に領地を守り、共に人生を歩む相手がいる。
そして、心から尊敬し、憧れる人もいる。
それは、女神が用意した物語とは違う形かもしれない。
けれど、ヒルダにとっては、これ以上ないほど幸せな人生だった。
その後、ヒルダとジョンは婚約式で誓った通り、領地の発展に力を尽くした。
熊の被害は減り、堤防は整備され、領民たちの暮らしは少しずつ豊かになっていった。
もちろん、二人の筋力トレーニングも欠かさなかった。
そしてヒルダは、生涯にわたってレティシアを敬愛し続けたという。
なお、卒業式の日にレティシアから贈られた言葉については、何度思い出しても胸がいっぱいになったらしい。
こうして、伯爵令嬢ヒルダ・ハワードは、自分自身で選び取った幸せな人生を歩んでいった。
めでたし、めでたし。




