世界は、創造主の斜め上を爆走する
天界。
人間界を映し出す水晶玉の前で、一人の女神が頭を抱えていた。
「なんで……どうして……。」
水晶玉には、仲睦まじく寄り添うヒルダとジョンの姿が映っている。
「真実の愛、という素晴らしいものを用意したのに……。みんなどうして幸せそうなの?」
ヒルダは婚約者と領地経営について語り合い、熊対策と堤防の維持管理に胸を躍らせている。
エドワードとレティシアは、互いの衣装を交換して舞踏会に出ることを楽しんでいる。
そして、ヒルダは前世のオタク趣味を存分に満喫していた。
誰も不幸になっていない。
誰も真実の愛を求めて苦悩していない。
女神が用意した物語の筋書きなど、どこにも存在していなかった。
「……どうしてなのぉ……。」
女神が涙目になった、その時。
「人間というのは、神の思い通りにならないのさ〜。」
「全王神様!!」
いつの間にか、女神の隣に一柱の神が立っていた。
男とも女とも見て取れる美貌。
長い年月を生きてきた者だけが持つ、どこか達観した雰囲気。
全王神は水晶玉を覗き込み、楽しそうに笑った。
「いやあ、君の世界はまだマシじゃないか。」
「……マシ?」
女神は涙を拭い、顔を上げた。
「そうそう。隣の世界の女神のところなんて、恋愛ファンタジーを作ったはずなのに、気付いたらストリートファイターが始まっていたんだよ?」
「…………は?」
「ヒロインと攻略対象が拳で語り合う世界になっちゃってね。最終的には悪役令嬢まで参戦していたよ。」
「ちょ、ちょっと待ってください!恋愛ファンタジーですよね!?」
「うん。最初はね。」
全王神は、実に楽しそうだった。
「別の世界の神のところは、冒険ファンタジーから、いつの間にか国盗り物語になっていたし。」
「……。」
「魔王を倒す旅に出た勇者が、道中で出会った領主たちの政治的問題に巻き込まれてさ。
更に魔族の方が世界の王族たちに虐げられていると知って、魔王と手を組み、王政に憤りを募らせている諸侯をまとめ上げ、王都を包囲していたんだよ。」
「…………。」
「さらに、あっちの世界の神のところなんて、悪役令嬢が暴れ回って、メインカップルを地獄に落としてしまってね。」
「……あの、もう結構です。」
女神は両手で顔を覆った。
「私の世界は、そこまでひどくありません……。」
「そうだねえ。熊対策と堤防の維持管理で幸せになってくれるなら、平和なものだよ。」
「それは……そうですけれど……。」
女神は水晶玉を見つめた。
そこには、ジョンの筋肉を褒めちぎり、満面の笑みを浮かべるヒルダが映っている。
「でも、私は……。せっかく、真実の愛という素晴らしいものを用意したのに。」
全王神は、少しだけ笑みを和らげた。
「君は、真実の愛があれば人間は幸せになれると思っていたんだね。」
「……はい。」
「それ自体は、間違いじゃないよ。真実の愛で幸せになる人間だって、もちろんいる。」
全王神は水晶玉に視線を戻した。
「でもね。それが、すべての人間にとっての幸せとは限らないんだ。」
「…………。」
「見てごらん。」
水晶玉の中では、ヒルダとジョンが楽しそうに話していた。
「彼女は、自分と一緒に領地を守り、暮らしを支えてくれる相手を見つけた。彼もまた、彼女と一緒に生きていくことを望んでいる。」
「……はい。」
「エドワードとレティシアだって、二人なりの幸せを見つけている。
君が想定していた物語とは違うかもしれないけれど、誰かが不幸にならなければ成立しない幸せなんて、そもそも必要ないだろう?」
女神は黙り込んだ。
全王神は、穏やかな声で続けた。
「人間は、神が用意した筋書きを演じるために生きているわけじゃない。
自分で考えて、自分で選んで、その先で幸せになっていくんだよ。」
「……。」
「だからさ。」
全王神は、再び水晶玉を覗き込んだ。
「君の世界、ハッピーエンドじゃないか。」
女神は、もう一度ヒルダたちを見た。
ヒルダはジョンと並んで笑っている。
その表情に、迷いや後悔は見られなかった。
「…………そう、ですね。」
女神は、小さく頷いた。
「私が用意した筋書きとは違いますけれど……。」
「うん。」
「……幸せそうです。」
全王神は満足げに微笑んだ。
「それでいいんだよ。」
しばらくして、全王神はふと思い出したように付け加えた。
「そうそう。さっき話したストリートファイターの世界だけどね。」
「……まだ何かあるんですか?」
「最終的に、悪役令嬢が世界チャンピオンになったらしいよ。」
「…………。」
女神は、静かに水晶玉から目を逸らした。
「……私の世界は、平和でよかったです。」
「だろう?」
全王神は、楽しそうに笑った。
天界の片隅で、今日もまた一つ。
創造主の想定を超えた、幸せな物語が続いていた。




