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梟雄伝 時逢乱世梟雄起 涿郡市井興大義 一段

後漢の桓帝時代、幽州涿郡涿県。


この地は冀州と幽州を結ぶ交通の要衝でありながら、胡族の侵攻に晒される辺境の地だった。朝廷の威光など、ここでは紙切れ同然である。実際にこの地を仕切っていたのは、土地に根を張る豪族と、彼らに雇われたならず者たちの「掟」だった。


町の中心には市場があり、毎日多くの人で賑わっていた。穀物を売る農民、布を売る商人、馬を売る遊牧民、そして草鞋を売る少年。それが劉備だった。


劉備は、そんな町外れの、みすぼらしい茅葺きの家に生まれた。家の周りには編みかけの草鞋が干され、機を織る音が朝から晩まで絶えない。庭には小さな菜園があり、母が育てた青菜がわずかに青々としていた。父の劉弘は孝廉に推挙されたこともある元官吏だった。涿県の小役人として、誠実に職務をこなし、地元の者たちからは「劉旦那」と呼ばれて親しまれていたという。しかし劉備が幼い頃、劉弘は病に倒れ、あっけなく世を去った。残されたのは、母と幼い劉備だけだった。


「玄徳、今日も町へ出るぞ」


母の声はいつも疲れていた。彼女は朝早くから草鞋を編み、筵を織り、それを町で売ってわずかな糧を得ていた。劉備は幼い頃から、母の背中が日増しに小さくなっていくのを感じていた。朝は夜明け前に起き、井戸から水を汲み、母が編んだ草鞋を筵に包んで市場へ運ぶ。それが劉備の日課だった。


彼の手はすぐに草鞋の藁で荒れ、血が滲んだ。それでも母の手ほどではなかった。母の手は爪の先までひび割れ、固い繭に覆われ、冬にはあかぎれが裂けて血が滲んでいた。それでも母は決して弱音を吐かず、毎日黙々と草鞋を編み続けた。


「母ちゃん、俺がもっと稼げるようになれば」


「いいや、玄徳。お前はそんなことをしてちゃいかん。お前の父は立派な官吏だった。お前もいつかは……」


母はそこで言葉を止めた。その先を言うのは、あまりに残酷だと知っていたからだ。貧しさは、人の夢さえも奪い去る。この時代、身分の低い者がのし上がるなど、ほとんど不可能に近かった。劉備は言葉を呑み込んだ。母を楽にさせたい。その一心だったが、十にも満たない子供に何ができるというのか。


家の東南の角。そこに一際大きな桑の木が生えていた。高さは五丈余り。遠くから見ると、童童と茂ったその姿は、まるで天子の車蓋のように見えた。その木は村の誰もが知る名物で、夏には木陰を作り、秋には実をつけた。往来する者たちは、皆この木を指して囁いた。


「あの木は尋常ならざるなり。いずれ、この家から貴人が出るかもしれん」


幼い劉備はその言葉を聞いて胸を膨らませた。近所の子供たちを連れてその木の下で遊ぶのが好きだった。彼は常に子供たちの中心に立ち、遊びの内容を決め、時には大将軍になりきって号令をかけた。ある日、彼は子供たちを前に、でかい声で宣言した。


「てめェら見てろよ。俺は必ず、この羽葆蓋車に乗ってやるからな!」


羽葆蓋車とは、天子が乗る車である。子供たちはキョトンとしていたが、たまたま通りかかった叔父の劉子敬は顔色を変えて劉備の口を押さえた。


「玄徳、莫迦なことを言うな! そんなことを言えば、一族郎党皆殺しにされるぞ!」


子供の無邪気な言葉が、いかに危険なものか。この時代、天子の車蓋に乗るなどと言えば、それは謀反の意思ありと見なされてもおかしくない。劉備は叔父の震える手を見て、初めて自分の言葉の重さを知った。それでも、彼の胸の奥には、いつか「でかいこと」をやるという、消えることのない炎が灯っていた。


劉備はその日の夜、母に尋ねた。


「母ちゃん、俺の父ちゃんはどんな人だった?」


母は少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「お前の父はな、とても立派な人だったよ。孝廉に推挙されて、范県の令まで務めたんだ。だけど、上の者と折り合いが悪くてな。官を辞めて、ここに戻ってきたんだ」


「どうして折り合いが悪かったんだ?」


「さあ、詳しいことは母ちゃんにもわからん。ただ、父ちゃんはいつも言ってたよ。『正しいことをすると、必ず敵ができる。それでも正しいことをやめちゃいかん』ってな」


劉備はその言葉を胸に刻んだ。正しいことをする。それが父の生き方であり、いつか自分もそうありたいと思った。


十五になった年、母は劉備に学問を学ばせる決心をした。それまで彼女が必死に蓄えてきた金をすべてはたき、同族の劉元起からも援助を取り付けたのである。


「玄徳、お前はこのまま草鞋を編んで終わるような子じゃない。盧植殿という立派な学者がおられる。お前もその門を叩きなさい」


盧植。涿郡の人間で、九江太守を務めたこともある当代随一の碩学。その名はこの地でも広く知られていた。彼は馬融という大儒に師事し、経書に精通するだけでなく、兵法にも明るく、将来を嘱望される学者だった。後に黄巾の乱では北中郎将として討伐軍を率いることになる人物である。


劉備は母の決意に胸を熱くした。同時に、その学費を捻出する母の苦労を思って胸が詰まった。


「母ちゃん、ありがとう。俺、必ず立派になって、母ちゃんを楽させるからな」


「莫迦なことを言うんじゃないよ。母ちゃんはな、お前が立派になるのが一番の楽しみなんだ。さあ、行きな」


劉備は同族の劉徳然と共に、盧植の門を叩いた。盧植の学堂は緱氏山中にあった。ここは洛陽からほど近く、都の空気を吸いながら学問に励める場所だった。劉備にとっては初めての遠出であり、初めて見る洛陽の都は、彼の想像を遥かに超える壮大さだった。


そこで、後に人生を大きく左右することになる男と出会う。


公孫瓚。遼西の豪族の出で、その風貌は端麗、どこか近寄りがたい気品があった。劉備とは対照的に、金持ちの息子で、その身なりも振る舞いも、全てが洗練されていた。彼は遼西令支の大豪族、公孫氏の嫡男で、母は美しかったが身分が低く、最初は郡の小吏に過ぎなかったという。しかしその才能を見抜かれて郡太守に見込まれ、盧植の門下に送られたのである。鼻持ちならない野郎だ、そう思った。


「お前は劉玄徳というのか」


公孫瓚は、学堂の庭で劉備を呼び止めた。彼は劉備より年長で、すでに盧植の門下で一年ほど学んでいた。


「そうだ。悪いか」


劉備は、食ってかかるように答えた。貧乏人の子が、金持ちのボンボンに媚びる気はさらさらなかった。その目には、野良犬のような警戒心が宿っていた。公孫瓚は、その態度に少し驚いた様子だったが、すぐに笑った。


「俺は公孫瓚、字は伯珪だ。お前は俺より下か」


「数えで十五だ」


「ならば俺の弟分ってとこだな。これからよろしく頼む」


公孫瓚は気さくに劉備の肩を叩いた。その手は力強く、温かかった。劉備はこの出会いに、自分の中の何かが動き始めるのを感じた。こいつ、悪いやつじゃねえかもしれない。


「お前、耳がでけえな」


公孫瓚が突然、劉備の耳を指して言った。


「な、何だよ、急に」


「いや、珍しいと思ってな。福耳っていうのか、あれか。縁起がいいな」


劉備はむっとして耳を隠した。この耳のことは昔からよくからかわれた。だが公孫瓚の口調には悪意はなく、むしろ純粋な好奇心があった。


「お前のそれは、きっと何かの運命だぜ。気にすんな」


その言葉に、劉備は少し救われた思いがした。


盧植の門下での生活は、劉備にとって新鮮なことの連続だった。経書を学び、歴史を学び、為政者のあり方を学ぶ。それは、草鞋を編んでいた日々には想像もできなかった世界だった。毎日、夜明けと共に起き、経書を暗誦し、盧植の講義を聴き、夕方には同窓たちと議論を交わす。劉備は学問そのものにはそれほど熱心ではなかったが、人と交わること、人の話を聞くことには貪欲だった。


彼は同窓たちからも好かれた。身分の高い低いにこだわらず、誰とでも気さくに話し、困っている者がいれば放っておけなかった。学堂の近くの村で子供が井戸に落ちた時は、真っ先に飛び込んで助け出した。そんな義侠心は、盧植の門下でも評判になった。


特に劉備が熱中したのは、史書であった。盧植の書庫には、太史公の『史記』をはじめとする多くの史書が揃っていた。彼は『史記』を繰り返し読み、漢の歴史を学んだ。高祖劉邦の興り、項羽との死闘、呂后の専横、文景の治、武帝の拓疆。それらの物語は、少年の心を激しく揺さぶった。


特に「五宗十三王」の記述に、彼は強い関心を抱いた。


漢景帝の十三人の王子たち。栗姫の子として生まれた臨江閔王劉栄、河間献王劉徳、臨江哀王劉閔。程姫の子として生まれた魯共王劉余、江都易王劉非、膠西于王劉端。賈夫人の子として生まれた趙敬粛王劉彭祖、中山靖王劉勝。唐姫の子として生まれた長沙定王劉発。王夫人児姁の子として生まれた広川恵王劉越、膠東康王劉寄、清河哀王劉乗、常山憲王劉舜。


その中に、自分の先祖かもしれない名がある。中山靖王劉勝。劉備はその名を指でなぞり、何度も読み返した。


だが、彼は同時に疑問も抱いていた。中山靖王劉勝その人物像は、『史記』にこう記されている。


「勝は酒色を好み、子孫百二十余人有り」


酒と女に溺れ、百二十人もの子孫を残した男。しかも、彼自身が景帝の実子であるかどうかさえ、はっきりしない。漢の歴代皇帝には、血縁関係が曖昧な者が少なくない。それは公にできない「秘密」であった。


それでも、中山靖王の子孫と名乗る者が、この時代、ごまんといた。百二十人の子がそれぞれに子を産み、それが何代も続けば、その血を引く者は星の数ほどいる。決して特別な血筋ではない。むしろ、ありふれた存在と言えた。


だが劉備は考えた。だからこそ、良いのではないか。もし自分が河間献王劉徳のような名高い賢王の子孫と名乗れば、すぐに詮索され、偽りが露見する危険がある。しかし、中山靖王ならどうだ。百二十人もの子孫を残した男。その血筋は広く拡散し、誰も正確な系図を辿ることなどできない。「名乗れば名乗るほど、それが事実となる」。そんな曖昧さが、むしろ好都合だった。


さらに劉備は、上林苑の一件を思い起こした。


『史記・景帝本紀』に曰くある日、景帝は寵愛する邯鄲の人である賈姫(趙敬粛王劉彭祖と中山靖王劉勝の生母)を伴って、上林苑へ狩りに出かけた。賈姫が厠に用を足した時、突然野生の猪が彼女がいる厠に猛進した。景帝は郅都に助けに行くよう目配せしたが、郅都は動かなかった。景帝が自ら武器を取ろうとすると、郅都は平伏して言った。「ご側室が失われようとも、陛下にはたくさんのご側室がございます。陛下はたったお一人であります。陛下の身に何かあれば、漢の宗廟やご生母の竇太后はどうなされまするか?」景帝は行くのをやめ、猪はやがて去っていった。竇太后は郅都に金百斤を与え、以来、郅都は重用された。


この逸話。宮中で語り継がれる「賈姫と野猪」の話。だが、劉備は思った。本当に野猪がそんな場所に現れるだろうか。皇宮の狩猟場の警備は厳重である。もし本当に現れたとすれば、それは警備兵の怠慢以外の何物でもない。もしかすると、太史公は皇家の面子を守るために、あえてこう書いたのではないか。


そう考えると、この話自体、どこまでが真実か分からない。ならばなおさら、中山靖王という存在は「都合が良い」。真偽を確かめようのない、絶妙な先祖であった。劉備は、盧植の書庫で、これらのことを反芻した。中山靖王劉勝。百二十人の子を残した絶倫の王。その血筋は広く拡散し、今や誰も正確な系図など辿れない。上林苑の一件も、どこまでが真実か分からない。ならばこの「曖昧な血筋」を、自分は最大限に利用できるのではないか。


どうすればこの乱世を生き抜けるのか。自分には、「血筋」という武器が必要だ。それが真実であるかどうかは、この際、問題ではない。人々が「そうだ」と信じれば、それで十分なのだ。


余談ながら、中山靖王の子孫。それは、四世三公の袁紹には劣るかもしれない。しかし、宦官の孫である曹操よりは、はるかに「立派」な出自である。そして何より「漢室の復興」という大義名分を掲げるなら、自らが漢の皇室の血を引いているという事実は、絶大な力を発揮する。


天下を取る。その野心を、この「曖昧な血筋」は現実味のあるものに変えてくれる。


劉備は、決意した。


「我は中山靖王劉勝の末裔、劉備玄徳なり」


この言葉を、これから何度も何度も口にしよう。最初は嘘かもしれない。だが、何度も言っているうちに、いつしかそれは真実になる。人々がそれを信じ、自分もまた信じるようになる。それで十分なのだ。


侠客の親分として、筋を通し、義理を重んじ、人々に親しまれてきた。それだけでは、この乱世は生き抜けない。今必要なのは、「大義」という名の看板である。


市井の侠客が、天下を志す時が来たのだ。


盧植の門を去った後、劉備は故郷の涿郡に戻った。彼は学問の道を選ばなかった。机の上より、市井の方が自分の居場所だと、何となく感じていたのだ。


彼は、同郡の簡雍という男と共に、徒党を組んだ。簡雍は劉備よりいくつか年上で、細面の顔にはいつも薄笑いを浮かべている男だった。幼い頃からの付き合いで、口が達者で世渡りに長けた簡雍は、劉備の相棒としてぴったりだった。彼は涿郡のどこにでも顔が利き、誰とでもすぐに打ち解ける才能を持っていた。役人のところへ行けば酒を酌み交わし、市場へ行けば商人たちと値段の駆け引きをし、賭場へ行けばならず者たちと肩を並べる。そういう男だった。


「玄徳、このまま草鞋編んでても仕方ねえ。何かやろうぜ」


簡雍の言葉に、劉備は笑った。


「そうだな。俺たちは、この町で『侠客』を名乗ることにしようぜ」


侠客。それは、単なるならず者ではない。弱い者を助け、強い者に立ち向かい、筋の通らねえことは絶対に許さない。表向きはそういう建前だ。実際は、賭場の用心棒をしたり、商人の護衛を請け負ったり、揉め事の仲裁に入って袖の下をいただいたり。時には、他の侠客の組と縄張り争いの殴り合いも辞さない。それが侠客の仕事だった。


劉備の徒党は、最初は十人にも満たない小さな集まりだった。劉備の家の庭に集まり、酒を酌み交わし、町の揉め事の話を聞いては、時には首を突っ込み、時には知らん顔をした。彼らの名が知られるようになったのは、ある事件がきっかけだった。


涿郡の市場で、若い農民が大店の主人に殴られていた。借金の取り立てだというが、利子があまりに法外で、農民は元金すら返せなくなっていた。周りの者たちは見て見ぬふりをしていた。大店の主人は町の顔役で、逆らえば自分たちも危ないからだ。


そこへ劉備が通りかかった。


「おい、旦那。ちったァ加減しろよ。死んじまったら借金も取れねえぜ」


大店の主人は劉備を一瞥し、鼻で笑った。


「何だ、てめェは。草鞋売りのガキが口を出すな」


「ガキでも筋は通す。その借金、利息が高すぎやしねえか」


劉備の声は穏やかだったが、その目は笑っていなかった。主人は少し怯んだが、ここで引けば面子が丸潰れになる。


「うるせえ! てめェに関係ねえ!」


主人が劉備に掴みかかろうとした瞬間、劉備はその腕をひねり上げ、地面に押さえつけた。手際は鮮やかで、周りの者たちは息を呑んだ。劉備は主人の耳元で低く言った。


「元金だけなら、俺が立て替えてやる。だが、利息はまけろ。それが筋ってもんだろうが」


主人は青ざめた顔で何度も頷いた。劉備は懐から金を出し、主人に渡した。そして農民を助け起こし、笑って言った。


「お前、今日から俺のとこで働け。草鞋の編み方、教えてやる」


この一件で、劉備の名は一気に広まった。「筋を通す男」「弱い者の味方」。そんな噂が、町の隅々まで行き渡った。


涿郡には、中山から馬の売買に来る大商人がいた。張世平と蘇双という二人の男だ。彼らは毎年、多くの馬を連れて涿郡を訪れ、豪族たちに売り捌いていた。馬は当時、戦力であり、富であり、ステータスであった。彼らの商いは、この地でも随一の規模を誇っていた。


しかし、商いが大きくなればなるほど、厄介ごとも大きくなる。運搬中の盗賊、取引先との揉め事、代金の支払いを渋る豪族。そうした問題を解決するには、金だけでは足りなかった。力が必要だった。張世平と蘇双が目をつけたのが、劉備の徒党だった。


「劉玄徳殿とお見受けする」


ある日、劉備の家に、上等な絹の服を着た男が訪れた。張世平である。彼は四十がらみの、がっしりとした体格の男で、その目は商人特有の鋭さを持っていた。劉備の家の粗末さに一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに礼儀正しく頭を下げた。


「中山の張世平と申します。こちらは同じく中山の蘇双でございます」


後ろに控えていた蘇双が、にこやかに会釈する。蘇双は張世平よりも若く、三十路を少し過ぎたばかりに見えた。どこか軽やかな印象で、初対面の相手にもすぐに打ち解けられる男だった。


「何の用だ」


劉備がぶっきらぼうに問うと、張世平は懐から皮袋を取り出した。中には、ずっしりとした重みの金が入っていた。劉備はその金を見て、内心で舌打ちした。草鞋を何千足売れば、この金が稼げるか。母は、こんなに楽をできるだろうか。しかし、彼はすぐにその誘いを呑まなかった。


「用心棒、ねえ。俺たちゃただのならず者だぜ。そんな大商人の相手、務まるかどうか」


劉備の言葉に、蘇双が口を挟んだ。


「玄徳殿の噂は聞いております。筋を通す男だと。我々が求めているのは、腕っ節の強さだけではありません。信用できるかどうかです」


「そうだ。お前らみたいな大商人が、俺たちを頼るってのは、よほどのことがあるんだな」


張世平は苦笑した。


「お察しの通りです。このところ、道中の盗賊がやけに増えまして。それだけではありません。取引先の豪族の中には、代金を踏み倒そうとする者もおります。我々は商人、刀を取って戦うことはできません。そこで、玄徳殿のお力をお借りしたいのです」


劉備はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「わかった。ただし、条件がある。俺の連中の顔と名前、ちゃんと覚えろよ。使い捨てにする気なら、その時は…」


彼は腰の剣の柄をトントンと叩いた。張世平と蘇双は顔を見合わせ、笑った。


「承知いたしました。それでは、よろしくお願いします、『親分』」


この日から、劉備の徒党は正式に張世平と蘇双の後ろ盾となった。彼らは商人たちの護衛を務め、取引の仲裁に入り、代金の回収を請け負った。その見返りに、劉備は十分な報酬を得て、徒党を大きくしていくことができたのである。

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